穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第N(13)章 女郎屋に連れて行かれる

2016-08-22 08:53:26 | 反復と忘却

品川のその家は彼の知っている日本家屋の家の造りとは全く違っていた。二階建てのその建物は一階も二階も、まっすぐな芸のない無愛想な廊下が真ん中にある。その両側に襖で仕切られた部屋が並んでいる。入り口の三和土には下足箱がある。三四郎は学生下宿なのだろうかと思った。その中の一室に平島と三四郎は入った。すでに十人ぐらいの人が座布団の上に座っている。

平島は天井から薄汚れた四囲の壁に目を走らせると訳知り顔に頷いて三四郎に囁いた。「これは女郎屋だぜ」

平島の方が世間のことは知っていたのである。というよりか三四郎は全くの世間知らずであった。彼はびっくりして「いまでも営業しているのか」と聞いた。

「馬鹿だな、今あるわけがないだろう。売春禁止法が出来たからね。昔の女郎屋のつくりだよ」と平島は訳知り顔に頷いてみせた。「世間の景気が悪いから、建て替えもせずにこう言う家があちこちに放置されているんだ。だから今日みたいな会合に安く借りられるんだ」 

平島が誘ったのは新興宗教の会合で座禅の実習を教えるというのである。平島は好奇心旺盛で宗教心理学の勉強だとか理屈をつけていた。ただ一人で行く勇気がなかったらしい。誘えば断ったことのない三四郎を連れて来たのである。出席者のほとんどは脂ぎった中年のおばさんたちであった。それに生気がなく、言われたことは何でも言うことを聞きそうなおとなしそうな老人が二、三人いた。

やがて初老のはげ頭の壮漢が入って来て、集まっている人たちに向かい合って上座の座布団の上に腰をおろして一礼した。彼に侍って入って来たのは中年の上品そうな婦人であった。壮漢が新興宗教の教祖であるらしい。くだけた口調で参加者の緊張を解きほぐす様にあまり上品ではない冗談を交えながら話しだした。

平島は座禅の会といっていたが、それは正座して行う呼吸法のようなものであった。三四郎が驚いたのはその「導師」が尻の穴で呼吸しろと教えたことであった。勿論比喩的な、分かりやすい表現をしたのであろうが、あまりにも直接的な表現である。まわりの叔母さん達の表情を三四郎がそれとなく横目でうかがうとすでに会場に雰囲気に自縛されたようで導師の言葉に何の嫌悪感を示さずに感心した様に頷いている。

1時間半ほどで教習というのか講話はおわり、三四郎は平島と外へ出た。

「どうだった」

「どうだったって、驚いたね。尻の穴で呼吸をしろというのはどういうつもりだろうな」と三四郎は言った。

「ちょっと度肝を抜かれたな。あれが教祖のキャラクターなんだろうな。ああいうパーフォーマンスはやる気満々の叔母さん達には効果抜群なんだ」

「よく知っているな」と三四郎は呆れて言った。

「常識だよ。ああいう手は常習的でね。宗教心理学のフィールドワークではイロハの知識さ」

「へえ、そうなのか」

「もっとも独創的ともいえない。尻の穴を重視するのはインドの行者もそうなんだ。尻の穴に注意を集中してそれからだんだんと意識を背骨を伝わって腹から胸、そして頭にもってくるわけだ」

「本当かよ」

「それが悟りを得る手段なんだな」

悟りを得る手段と聞いては三四郎も捨て置けなかった。今の無限地獄を抜け出せるかもしれないではないか。

 


第N(12)章 だんだん悪くなる

2016-08-21 10:16:48 | 反復と忘却

 あるときは女の子に寝顔が可愛いと言われたこともある。きっと田園の夢を見ている時であったのだろう。父親の鱒添林次郎は「だんだん悪くなっていくようだ」と冷徹に科学者として三四郎のことを観察していた。まるで自分の行っている実験を科学者として観察しているようであった。

三四郎の状態は弁証法的に推移していたのである。ちょっと日が射すこともある。又すぐにどんよりと黒雲に覆われてしまうのである。そのスパイラルは新しい局面には上昇しないのである。おなじところを行ったり来たりしていた。そんななかで高校三年生になり、大学受験に失敗してしまった。家にいることは耐えられないので神保町の近くにあった予備校に通った。これで昼間は家にいなくても立派な理由になる。授業は半分くらいしか出なかった。予備校の授業もよく分からないのである。

もっとも、古文とか国語とか漢文は授業を聴かなくても分かっていて退屈なだけだった。英語の授業は興味があったが、講師がその年に芥川賞をとった生意気な田舎者まるだしの中年男で、予備校生を馬鹿者扱いにするので受講するのをすぐに止めてしまった。

自然昼間は街をほっつき歩いて夕方家に帰ってくるようになった。母親に家族とは別に食事を作ってもらって早々と自室に籠ってしまう。

 

神保町の書店街にはよく行った。ほとんど本は買わなかった。小説なんかは読んでもよく分からなかったのでもっぱら立ち読みであった。神保町の大書店はそういう連中には都合がいい。街の小さな書店だと本のバラエティも少ないし、立ち読みをしているとすぐにオヤジがそばまで来てハタキをかけだす。三四郎には不思議な癖があって、やたらに書棚から本を引き抜き帯を読むと、内容を2、3頁眺めただけで書棚に戻し、隣の本を引き抜く。片っ端から書棚に並んだ本を引っこ抜くから書店員が良い顔をしないのである。おまけにほとんど買わないから余計嫌われる。

そんなことをしていたらある日後ろから「鱒添君じゃないか」と声をかけられた。振り向くと高校時代の同級生だった平島であった。彼は現役で東大の文学部にはいっていて、二年近く合っていなかった。

「何処に入ったの」喫茶店の席に落ち着くと平島が聞いた。三四郎が現役で同じ学校を受けて落第したことは知っていたが、その後何処かの大学に入ったのだろうと思っていたのだろう。

「まだ浪人をしている。坂の上の予備校に通っていることになっているけど、よくさぼってこの辺にくるんだ」

平島はなにか何冊か本を買ったらしく書店の紙袋を下げていた。

「いま何を専攻しているの」

「心理学さ」

「それは心理学の本かい、今日買ったのは」と三四郎は聞いた。

「うーん、そうとも言えないな」というと平島は買った本を取り出してテーブルの上に並べた。文庫本で4、5冊の分冊になっている本で「金枝編」とタイトルが書いてある。

「聞いたことのない書名だな。そのタイトルじゃ内容の見当もつかない。哲学の本なのか」と三四郎は聞いた。岩波文庫の青帯だったから多分哲学関係の本だろうと思ったのである。

平島はコーヒーに砂糖を入れるとかき回した。「人類学の本というかな、大分古い本でね。世界各地の未開民族の習慣やら迷信を蒐集した本なんだ」

「へえ未開民族の風習か」

「未開民族だけでもないけどね。たしか最初の方にはイタリアとか古いヨーロッパの習俗の分析もあるそうだ。わりと有名な本らしい。先生に勧められたんだけどね。ちょっと癖のある本ではあるらしいんだ」

「面白そうじゃないか」と三四郎は答えた。

1時間あまり取り留めも無い話をしたが、分かれる時に平島は「また時々合おうよ、電話番号は変わっていないのか」と確かめると「その内に電話するよ」と分かれて行った。高校時代と同じで、大抵の時間黙っている三四郎にテープレコーダーに向っての様に平島は話し続けた。そういう話がしやすい相手なのだろう。またそういう話を時々する必要があったのだろう。

 


第N(11)章 夜半真に力あり

2016-08-19 08:15:36 | 反復と忘却

 あの時以来、三四郎は昼夜が逆転したようだった。昼間は気の抜けたビールみたいに茶色く淀んでいる。泡の残骸がグラスの上部にこびりついている。母が写真好きで何かと言うと写真を撮った。「なにか」理由がなくても気が向くとカメラを家族に向けたのである。それらの写真を見ると三四郎はまるでぼんやりとした表情で生気がない。不活性化した核弾頭みたいな顔で写っている。

そのかわり夜間は活性化するらしい。「らしい」というのは彼自身には分からないのである。全然自覚がないのである。大声で寝言を言うらしいが、まったく夢も見ないから本人は自覚がない。もっとも夢は見ているのかも知れない。ただ夢の記憶が全然残っていない。目覚めると抑圧されてしまうのかもしれないのだ。

母によるとまるで、かたきに襲いかかる時の様にはげしく歯ぎしりをするというのだ。ただ覚えている夢の記憶もあることはあるが、それは大声で寝言をいったり、地団駄を踏む様に激しい物ではない。むしろ穏やかな至福と言っても良い記憶が再三にわたって夢裡に出現するのである。

場面が暗闇から光の中へと一転するのである。その夢というのは彼が小学校に入ったばかりの頃、どういう理由からか、おそらく父と母との不調和がまだ尾をひいていたのだろう、母の実家で一年近く過ごしたことがある。たぶん着いた日の翌日であろう、庭から防風林を抜けて田んぼに出た時に景色が一変した。祖父の家はまだ家にいた叔母や叔父達で手狭だったので、祖父の持ち家である郊外の農家にしばらくの間過ごしていた。

夢に出てくる風景はおそらくその時の記憶だろう。暗闇はもちろん東京の家を表す。庭をかこっている高い木の間の隙間を抜けるとレンゲや名も知らない彩りも華やかな草花の咲き誇る緩やかな土手があり、その麓には用水路を兼ねた澄んだ幅が二メートルもない小川が流れていた。その向うはまだ青々として稲田がはるか彼方にまで広がっていた。

太陽は一面に降り注ぎ、はるか彼方から緩やかに湾曲しながら流れてくる小川の岸辺に点綴する木々は粲粲として栄に向っている。三四郎はうっとりとして無垢至福の時に身を任せるのである。

三四郎はラジオを小さな音でかけっぱなしにして寝入ってしまうことがあった。深夜ふと目が覚めると童謡が流れている。気が付くと彼の目から涙が枕の上に流れ落ちていたのであった。宋の詩人がうたったように、まことに夜半力あり、であった。

 


第X(14)章 デベロッパーだった母

2016-08-15 07:36:26 | 反復と忘却

「母はデベロッパーみたいな人だったんだな」と三四郎は気が付いた。第一のプロジェクトは三四郎プロジェクトであった。自分の理想の男性像と言う青写真があったのである。 

第二のプロジェクトは挫折した自己自身の内面の希望、欲望を娘達に投影することだった。文学少女として、いわば覚醒した女性としてハッキリとした自己意識を母は持っていたが、その実現を悉く父に破壊され抑圧されてしまった。大抵の女性はそれだけでナーバス・ブレークダウンになる。知性のある母はそこをぐっと堪えて娘達に青春の自己の希望を投影したのであった。

一郎が葬儀の時に「お母さんは芯の強い人だったね」と三四郎に言ったのはそういうことであった。といっても次から次へと生まれてくる子供の世話に忙殺される。母は多産系の家系だったのである。加えて一筋縄では行かない先妻のこども達のひきおこす数々のトラブルである。非常に厳しい要求を日常的に母にぶつける父の存在もあった。それらを切れ目無く捌いて行かなければならない。綿密な施行は出来なかった。そこで彼女がとった工法とは「自由放任」であった。

良い麦も育つ。毒麦も育つのである。母は選別刈り入れもしないで死んでしまった。おなじ種から色々な苗が出て来た。三四郎は性善説も性悪説もとらない。生まれてくる人間が全員善人であるというような馬鹿な話はない。同様に人間は全員悪人であるなどという気違い染みた説にも与しない。

三四郎の見る所、根っからの善人という人もいる。全体の20パーセントくらいの見当である。こんな統計は勿論ないし、統計処理の対象になることでもない。同様に生まれつきの悪人も20パーセントくらいいる。また、育て方次第、教育次第でよくも悪くもなる人たちが60パーセントくらいいる。だから家庭の躾とか道徳教育が大切なのである。

生まれつきの善人は心配ないのだが、生来の悪人気質でも教育や躾で良い型にはめることが出来るパーセントは20パーセント半分ぐらいはいる(つかみでね)。

結局俺の結論は性善説かな、と三四郎は思った。躾さえしっかりすればほとんどは善人になるんだからな。目の前のテーブルには母が躾を放棄して「自由放任」という形でプロジェクトした娘達がいた。彼女達を眺めながら三四郎は考えたのである。様々な形に育った女たちである。ちょうど剪定はさみを一度も入れられたことのない雑草の様に育ったバラエティゆたかな妹たちである。

 


第X(13)章 三人の妻

2016-08-14 09:29:08 | 反復と忘却

 久しぶりに合った妹達はぎょっとしたような顔をした。今朝マンションを出る時に入り口で出くわしたタヌキおばさんと同じ反応に似ていた。大分久しぶりに顔を合わせたきょうだい達であった。兄達は退職間近で頭髪は白くなり薄くなっていた。その娘や息子達はもう就職したり結婚したりしていた。いもうと達もすっかりおばさん風に変わっていた。その子供達は料理を取り合って騒いでいる。

そういえば、ここへ来る途中電車のなかで悪態をつかれた。車両は入り口付近ばかりが込んでいて、中央はすいている。なかに移動しようとしたが、行商人風のワイシャツ姿のおとこが立ちはだかっていた。その横をすり抜けようとして肩が触れるとその男は「なんだ、この野郎」とニンニク臭い息を吹きかけた。ぎょっとして相手の顔を見ると一応背広姿でサラリーマン風のなりをしているが、人品からはどういう種類の人間か判断しかねた。普通のサラリーマンでないことだけは間違いない。ちょっと職業不詳であった。消費者金融の取り立て人によくある雰囲気を漂わしている。

こんでいる車内を移動しようとして背中がちょっと触れるだけでこんな風にすごまれることはまずない。相手は彼よりも背が高く柔道選手のような体格をしている。こんなやつの相手をしない方がいいと一目見て判断した。そうしたら次の駅でその男はこそこそと逃げ出す様に電車を降りてしまった。そのときに俺の人相はそんなに悪いのかな、目付きがよくないのかな、とちらっと思った三四郎であった。

さて兄の一郎は大学時代ぐれていたころ「三人の母」という小説を書いたが、その原稿を次兄から見せてもらった印象をもとに三四郎自身が分かる範囲で調べたことがある。兄は新しい母に強い反感を持っていて、原稿にもろにそのバイアスが反映している内容であったからそのまま信用するわけにはいかなかったのである。

父の最初の妻はまだ父が出世街道に乗る前に田舎の家がアレンジした結婚で田舎士族の家系ということであった。此れが一郎と次郎の生母であるが、彼らが幼時に肺炎で死亡しているので兄達には印象が薄いようであった。

二番目の妻は父が世間に頭角を現した後で貰った人で東京の富裕な商人の娘であった。父は大変にこの女性が気に入っていたようである。田舎での最初の妻と異なり非常に社交的で遊び好きで、いかにも下町育ちらしい機転の利いた娘であったらしい。田舎者の父とは正反対の性格ではあるが、かえってその辺が父の気に入っていたようである。

富裕な商人の娘ということで実家からの仕送りが潤沢で兄達にしょっちゅう小遣いをやって懐柔していた。この女性は5年ほどの結婚生活の後出産のときに母子ともに死亡してしまった。

三番目の妻が三四郎たちの生母であるが、二番目の妻とは何から何まで正反対であった。母の父は軍人から実業家に転じた人物であった。どちらかというと、士族出の家風が濃厚で自身も軍人であったので、娘の嫁ぎ先にジャンジャン金を注ぎ込むという「はしたない」真似の出来ないひとであった。それが兄達の反感をいっそう強めた。父も前の妻の都会育ちらしい性格にくらべて、気が利かないという不満をもっていた。父自身が大変な田舎者であったので、都会的な、特に商人的な家庭の雰囲気が好きだったのである。

二番目の妻に手なずけられていた兄達は「武士の家庭」風な新しい母親には反感しかもたなかったようである。それに加えて次から次へと再婚する父への反発も加わっていた。

 


第X(12)章 母は三四郎をプロジェクトした

2016-08-13 08:29:02 | 反復と忘却

駅前再開発プロジェクトなんてあるでしょう。あのプロジェクトです。実存哲学なんかでは「企投」なんて田吾作が作ったみたいなセンスのない訳語がある。母は男としてのつまり夫としての理想像のリストを作っていたのかもしれない、父のメモ「私のハイラーテン観」に対抗して。

勿論それは現実の父の特徴の正反対のものばかりであった。母は三四郎を生物学的にプロダクトするばかりでは満足せずに彼に自分の理想の夫像をプロジェクトしようとしたのである。当然のことであるが、それは三四郎に取っては重苦しく迷惑なものであった。こうして母は夫に対する鬱屈した不満を中和し昇華していたのかもしれない。

三四郎のなかで今にいたるもこの現実を無視したとも言うべき弁証法的矛盾は調停されていない。母は下品なことを嫌った。キリスト教が好きだったというよりも賛美歌の醸し出す上品な雰囲気を好んだのである。そういうとミーハーと代わりがないかって、そう言ってもいいかもしれない。

音楽では何と言っても賛美歌以外ではクラッシックであった。母は流行歌に怖気(オゾケ)をふるった。身を震わせて嫌悪感を表現した。いま流行歌なんて言葉が通用するのだろうか、とも三四郎は思う。歌謡曲とか演歌とでもいうのだろうか。母はまだ三四郎が小学生のころからクラッシックの音楽会に連れていった。彼にはちっとも面白くない退屈な場所であった。とにかく話したり音を立てたりしてはいけないのである。じっと息を殺していなければならない、1時間も2時間も。

美空ひばりというと、古いね、とさすがに三四郎も思う、の唄がラジオから流れてくるとコレラ患者の吐瀉物でも見た様に身を震わせて三四郎にラジオを消す様に命じるのであった。とくに演歌の裏声や小節をきかせるところが我慢出来なかったようである。たしかに下品だし、日本人の感性のもっとも下劣というか、心の奥底に濁って淀む溜まりからわき出すメタンガスを吸うような気がすると三四郎も同意する。

父という太陽が消え母という夜空に輝く星が姿を消した後、三四郎にはそのようなことが見えて来たのであった。

 


第x(11)章 妻をめとらば

2016-08-12 07:47:01 | 反復と忘却

 父の遺品の中に大学ノートがあった。むかしからこのような「大学ノート」というものはあったらしい。大学の講義を筆記したノートまで取ってある。父はおよそ捨てるということをしない人物であった。母の生前、庭いじりは母の仕事でありわずかな息抜きの聖域であった。複雑な家庭の重苦しい空気から逃れる安息所であった。

母亡き後の庭はいささか荒れ放題で雑草が庭を巡る小道を埋め尽くしていた。ある時に家事等の手伝いをしたことのない三四郎が気をきかして雑草を引き抜いて整理したことがあったが、あとで父がそれを見つけて大変に怒りだした。もっとも父の訪問客が庭を覗いて「結構なお庭ですな」と感心した様にお世辞を言うから父もその気になっていたのである。そう言われてみると廃園の趣にも捨てがたい所があったようでもある。

事程左様に現状変更を認めないのである。勿論父自身が整理するなら全然かまわないのであるが家族といえども他人が右においてあるものを左に動かしても不機嫌になる。

畳の上に落ちているゴミまで自分で取りのけないと気がすまないのである。子供達の結婚についても悉く反対した。二人の兄や姉達の結婚の時も猛烈に反対して長い間揉めていた。今日この法事の席にいる二人の兄の妻も長い間家には出入り禁止になっていた。

さて、何冊かの大学ノートには父が女性の様に奇麗な字で丁寧に書いた青春の理想の吐露があった。まるで三四郎が知っている同じ父の手で書かれたとは思われない。いかつい激発的な性格からは想像出来ないが父の手跡は女性のような特徴があるのを知っていたからそれらの若者らしい理想論が父の手記だと分かるのである。

「私のハイラーテン観」なんて文章もある。「妻を娶らば才長けて眉目麗しく情けあり」の近代版とでも言うべく、まるで大正デモクラシーのコピーのような文章である。後世の父しか知らない三四郎からは、これが父の遺品の中からではなくて、ぽっと目の前に差し出されたら父の文章とはまったく想像出来ない文章である。

男なんて若いうちはみんなそう言うものだよ、ということは出来る。大学ノートの中には父が舎監か寮長をしていたらしい少年寮の日誌のようなものがあった。大学時代のアルバイトか、大学を卒業してまだ若い頃にそんな青少年の寮に住み込んでいたらしい。今で言えばボランテアというかNPOみたいな仕事らしい。

ここにも熱意に溢れた大正デモクラシーの教則本から書き写したような熱烈な文字が連ねてある。母だけではなくて、父も長い変遷を経て大きな変貌を遂げていたのである。いわばボス猿へのキャリア・パスとでも言えようか。

俺も変貌しなくてどうする、と三四郎はこころのなかで思った。


第X(10)章 母の変身

2016-08-11 10:25:39 | 反復と忘却

父も母も大変な変身したのである。父は母の遺品を整理していなかった。保存したというより手をつけずにそのままにしていた。父が亡くなって兄弟で形見分けした後で残った引き取り手のない遺品を整理した。金目の物は兄弟が持って行ってしまったから反古みたいなものがほとんどだった。そのときに父の遺品と同時に沢山出て来た母の遺品を調べた時のことである。

遺品といっても大したものがあるわけではない。和服などは母の葬儀後妹達が根こそぎ持って行ってしまったし、装身具等も何も無かったからこれも父が娘達に与えたか妹達が勝手に分けたのであろう。残っていたのは手紙、メモそれに和歌の原稿だった。母は生涯和歌をたしなんでいたのである。そのほかに書類というか資料というか母が結婚前に属していたらしい地方の文化サークルらしきところの発行している同人誌のような会誌があった。

父がこれらの内容をチェックしたことが無いのは明らかのようである。中には母が父と結婚する前に交際していた男性からと思われる皮肉っぽい恨み節ともとれる手紙等もあった。それらは何十年も解かれたことがないらしいこよりで硬く縛られていた。父が中を見なかったことは明らかであった。

もっとも和歌の原稿は父が目を通して整理していた。父は母の死後、母の残した和歌を編集して懇意にしていた出版社から自費出版したのである。とにかくその時は処分に困って地方に住んでいる叔母に電話してそれらの遺品を送ろうとしたのだが、そちらで処分してくれといわれた。

その時にクラッシック音楽の愛好会が毎月開催していたらしい演奏会の内容についての会誌のことを聞いた。それも処分して良いということだったが、ついでにその頃の母のことを聞いてみたのである。

母は大変な文学少女で島にある祖父の別荘に若い男女が集まって響宴でもしているようににぎやかだったという。彼の知っている母とはまったく違っていたので驚いたのである。いったい母はどのようにして彼の知っている女性になったのだろうか。その「調整」の過程の一端を示す手紙が母の遺品のなかにあった。

それは父から母にあてた何通もの手紙だった。日付から判断すると結婚して2、3年目のことらしい。おそらく仲人口とあまりに違う現実の複雑さにびっくりしてしまったのだろう。母は生後まもない三四郎をつれて実家に戻っていたのである。父は手紙で何回も母に戻ってくる様に「指示」していたのであった。いかにも父らしい一方的で教示的な手紙だった。とにかく帰りの日時、汽車の時間まで指示してある。乗り継ぎの方法、切符の買い方まで書いてある。

 

 


第X(10)章 聖アウグスティヌスのなげき

2016-08-10 09:16:04 | 反復と忘却

母が死んだ時に通夜の席で一郎が「お母さんは芯の強い人だったね」と三四郎に言ったのである。母は極端に神経質で父親には全く自分から意見を言うようなこともなかったから非常に意外な思いがした。父親に対して自分の意見をあくまでも主張する等ということは見たこともなかった。とうてい相鎚を打てるような話題でもなく、彼は黙っていた。そのうちに他の話題に移って行ったのであるが、兄の言葉が異様に響いたのでそのことだけは記憶に残っていた。

母は自分自身が父に対して従順であっただけでなく、彼にも父に逆らわない様にしつけをした。それのみならず兄達に対しても機嫌を損ねることがないようにと、それを基準にして彼を神経質にしつけた。母は彼をno(何々をしてはいけません)という無数の環を結びつけた鎖で十重二十重に縛り付けたのである。しかし妹達についてはまったく躾を放棄していた。これが三四郎には理解できない不条理と映った。

母が死ぬ数年前であったが、彼に「私が死んだらあなたはどうなるだろうね」と不安そうに呟いたことがある。いまにして思うと、母が彼に向っても言うようでも無く、独り言とも聞こえるつぶやきが重大な意味合いを伴って思い出されることが他にもいくつかある。続けて母は兄達から三四郎がどんな不都合な扱いを受けるか心配している様に「お兄さん達の言うことを良く聞いてね」と言った。そのとき彼も成人していたのであるが、大人になった彼に対しても、自分がいなくなったら兄達が彼に危害を加えるのではないか、とまるで心配しているようであった。

聖アウグスティヌスがなげくように、我々は自分の幼時のことや少年期の初期のことを記憶していない。記憶していると思っている場合は、少年期に母親や身近に生活をしていた祖母や忠実な乳母などから自分の幼時のことを繰り返し聞かされて、それが直接の記憶の様に思い出されるだけである。三島由紀夫の「仮面の告白」における祖母や中勘助の「銀の匙」のなかでの乳母のような場合である。彼の場合にはそのような存在は皆無だったのである。

そして幼時や少年期の初期の体験がいまの自分のほとんどを作り上げていることに鑑みると聖アウグスティヌスの悔しさや歯ぎしりそして嘆きがわかるのである。アウグスティヌスは「だから私は青年期のはじめからこの告白をはじめる」と書いている。

彼に対してとは逆に妹達へのしつけを放棄したのはしたたかな「芯の強い」母親の復讐であった。ぎらつく「父という太陽の光源」が消灯したあとに浮かび上がって来た「真実」である。

 


第X(9)章 女としての母

2016-08-08 20:00:02 | 反復と忘却

三四郎の母は父の死亡した数年前に亡くなったのであるが、きょうだいたちの新しい面に気が付いたと同様に死亡した母についても新しい姿が見える様になった。 

彼にとって母は聖女のような存在であった。また、父との関係では暴虐な夫に虐げられた妻という観念であった。その認識は変わる訳ではないが、新しい母の側面と言うか、陰翳というものが理解できるようになった。それは女性としての母が見えて来たということだろうか。母が、そして父が生きている間は彼女の像というものは三四郎には単純明確でもあり、そんなに複雑なものではなかった。

しかしながら夫婦の関係というのは複雑なものらしい。多様なものであるらしい。暴虐な夫と忍従の妻という関係は世間ではそう珍しい存在ではないらしい。また、そのために妻が不幸とも必ずしも言えないようなのである。暴虐が愛情の欠如というわけでもないとドストエフスキーは「地下室の手記」で書いている。そういう形でしか愛情を表現できない人間がいるという。そして妻もそういう夫の愛情を理解するというのである。

母は父のいない所でも決して父のことを悪く言わなかったし、夫婦の日常を見ている三四郎が父に悪い感情を持つのを心配して父のことを褒めることしかしなかった。「お父さんは決して手をあげるようなことはなさらなかった」と彼にいったことがあった。反対に彼は父にはよく殴られたのであるが。

父の母に対する暴圧はもっぱら口によるものであって、サディスティックとも言えたが、母がそれに耐えられなかったというわけでもない。女性というのは強靭なものらしい。柳に風と受け流していた風でもあった。身体が生来あまり強くないにも関わらず長命だったのもそのせいかもしれない。

しかし、母もさすがに女だったな、と気が付いたことがある。母は彼女の流儀でちゃんと父に復讐をしてもいたのである。強烈な夕陽の水平直射が視界を暗くしていた。日没とともに明らかになることもあるのである。満天にきらめく星々のように。

 


第X(8)章 種馬のつぶやき

2016-08-04 08:57:46 | 反復と忘却

 まだ会社にいたころだが、おふくろが死んだ。葬式の時車の中で親父が「大した子供が出来なくて」と呟いた。それは自分の息子達に失望した様にも聞こえた。三人の妻を乗り継いだ精力家ではあったが、前の二人とはほんのあっという間に死別してしまったのにくらべて、三四郎達の母の場合には三十年近く続いたので、母の死はショックであった様子であった。彼自身もようやく衰えを自身で感じ始めていたこともあるのだろう。火葬場から家に帰っていた時には靴も脱がずに家に上がり込んだ。靴を履いていることに気が付かないほど放心していたのだろう。

あまり子供達について感想を述べることが無かった父から聞いた初めての述懐であった。そのときに、俺はおやと思った。父親は子供達の発達と言うか成功を心の底では望んでいたのだろうか、と意外に思った。子供の成功をねがわない親は無い筈だがおやじまでがそうだとは感じたことがなかった。彼のこども、特に男子の場合は、我が子という意識よりもいずれは自分に敵対して乗り越えて行く人間というスタンスを見ていた。

これは父の死後、闇に包まれていた父方の、気障な言葉で言えば、ルーツ探しをしたときに分かったのであるが、我が家系は代々子供が父親を乗り越えて行く傾向があったらしい。父親自身が自分の父親を踏み越えていった形跡がある。その時の紛糾混乱がその後の郷里の親類との断絶の原因となっているようだ。したがって男の子供達にたいしてもやがて自分の対抗者になるという警戒心が強かったらしい。

それに加えて、彼自身が大変な成功者であったことも影響したのだろう。一般的に一生うだつの上がらない境涯にいれば息子の成功だけに期待をかけるものである。自分の青年時代の経験から、子供に追い越される恐怖感が始終あったらしい。だから子供が急速に成長し始める思春期には露骨に対抗心が現れる。類人猿学のフィールドワークに「猿の子殺し」という分野がある。親父にはなにかそういう原始的なエネルギーがマグマとしてあったようである。

彼の長兄も高校性の頃、父親にきびしく当たられておかしくなってしまったそうである。躾あるいは勉学の指導と言う形をとったようであるが、兄は一時級友達から「おかしくなった」といわれたと聞いた。落第はする、いまでいう「不純異性交遊」はするという状態になったらしい。

俺も中学生の夏に過酷な一撃を受けた影響が今も尾を引いている。だから本当のつぶやきは「おれは息子の発展は実は望んでいなかったのだ、そうしてみんなその通りになった」という述懐の裏返しだったのだろう。自分自身が大変な成功者になったのだから、息子達に自分を追い越す発展をしてもらいたくなかったのだろう。

 


X(7)章 厩戸皇子

2016-08-02 09:46:02 | 反復と忘却

きょうだいや親戚が父の死後全然別の顔を見せだしたということにも驚いたが、考えてみると親父のことをなにもしらないのに気が付いた。親父との会話がない家庭であったから父から父の家や祖先の話を聞いたこともない。出身は大変遠隔な山間の僻地であり、三四郎は一回も父の故郷に行ったことがない。父も一言も口にしなかった。大体、父は昔一族となにか経緯があってもめたらしく一切郷里の親族と交流しなかった。父方の親戚が家を尋ねてくることも絶えてなかった。 

そういえば、二十歳も年が上の兄が一度父の郷里に行こうとしたことがあるそうだ。ところが父は広島まで行くと、一人で行くと言って兄を残して郷里に向ったという。

唯一の親戚は父の弟であり、この人は時々父のところに来たが、なにも父の家のことや自分たちの若い頃の話をしなかったような気がする。子供の頃なにか聞いたような気もするが、その度にはぐらかされてしまう。ぎらつく太陽を直視するようで、父にはそういう話題を仕掛けることは考えたこともなかった。

 一方は母の実家のことは比較的身近に感じていた。母の親戚が時々田舎から尋ねてきたし、母の実家には大学時代旅行したことがあった。父の死によって改めて巨大の空虚が嫌でも目の前に迫ってくる様になると、その無知が異様なことに思われて来た。大体、こんなに父について無知なのは世間では異常らしい。

そんな父の周りのことを調べる気になったのは、死後半年ほどしてからだろうか。父の遺品のなかに随分と色々ながらくたやメモがあった。そのなかに鉛筆で描いた父の「生家」と記されたデッサンがあった。台所の他二間しかない。居間というのか食堂というのか寝室というのか、その隣に同じ屋根の下に厩と書いたスペースがあった。貧農であったので農耕馬と一つ屋根の下で暮らしていたのだろう。

父は東京に出て来て、大学を卒業してから運が向いて来て大変な出世をしたわけである。そういえば、父は非常に田舎者らしい一面があったと同時に、時々「田舎者は」と侮蔑したように言うことがあった。父が郷里と縁を切ろうとした理由なのであろうか。

 


第X(6)章 わたしは青空が嫌いだ

2016-08-01 07:51:00 | 反復と忘却

(今後カテゴリー「小説のようなもの」を「反復と忘却」に変更します。) 

親父は百歳に垂んとする長寿を全うして生涯を終えた。最後まで精神ははっきりとしていた。もっともそうと断言する根拠はないのである。なにしろほとんど会話のない親子であったから、ぼけていったかどうかはハッキリとわからない。黙っている限り立ち居振る舞いには全く変化は感じられなかった。従って「言動」のうち、「動」にはまったく痴呆は感じられなかったのである。肺炎で死んだのである。老衰という感じはまったく無かった。

さて大おやじのあとの空虚はブラックホールが出来たような物で大渦にしばらくは翻弄されたが、それが収まると家族がまったく違って見えて来たのは不思議だった。また世界政治の話を持ち出して大げさで恐縮であるが、独裁者チトー大統領が死亡した後のユーゴスラビアのような混乱状態になったのである。ここで諸君は言うだろう。これは私的なメモだろう、まるで講演でもしているみたいだぜ、と。そうなのである、これは私的なメモである、ただ少しでも格調高く書くには仮想読者を想定した方がいいかなと考えたのである。なにしろこちらは書くことでは初心者であるから。 

ま、コソボ紛争やボスニア・ヘルツェゴビナの内戦でも起きそうな気配が漂ったのである。そこはそれ、みな良識があるからボヤは広がらなかった。とにかく親父という重しが取れると皆本性が現れてくるというか、予想しない言動にあっけにとられることも多かった。

どこかで、だれか、たしか詩人だったと思うが、「私は青空が嫌いだ」と書いていたのを読んだ記憶がある。昼間は太陽が出ているから星がまったく見えない。太陽が沈んだ夜は星がはっきりと見えてくるというのである。昼でも天穹には無数の星がある。青空が広がっているから見えないだけなのである。 

この詩人の言葉を思い出した。親父という太陽が沈むと、いままで見えなかったことが沢山見えて来たのである。あるいはこの言葉を思い出したのはそのころ外房に旅行した時の体験に誘発されたのかもしれない。鴨川に泊まった日の明け方であった。どういう訳か深夜に目が醒めてしまった。そう言う時のために旅行の時には文庫本を持参する。寝付けない時はそう言う本を10頁ほども読めばまた、眠くなるのである。ところがその夜はますます目が冴えて来た。

ふと思いついて海岸を散歩しようと外に出た。海の上は星が無数に輝いている。まるで部屋の天井にぶら下がっている照明のように手が届くような気がした。そのときに詩人の言葉を思い出したのである。気障に聞こえるかも知れないが空が話しかけてくるような気がした。前にも書いたかも知れないが、私の親戚でソクラテスのように空と会話する人間がいた。その人は後に新興宗教の教祖になったのである。私にもそういう気がすこしあるのかも知れない。

 


第D(9)章 自然は真空を嫌う

2016-07-15 08:36:31 | 反復と忘却

 アリストテレスの言葉だったかな。俺はこうパロッた。「精神は空虚を嫌う」。

「ソフトがなければパソコンはただの箱」、待てよ、これは俺のオリジナルじゃないな。ひところ流行った言葉だ。なんでも俺の独創にしてしまうのが悪い癖だ。

なにか対象がないと精神は錆び付いてしまう。その人なりに対象が必要なのだ。ヒステリー女がなんでもいい、対象があれば火をつけてメラメラ炎を這わせるようなものである。で、無為自然に化して登仙しその行く所を知らず、という訳にはいかないのだ。 

小人閑居して不善をなす、というのは本当だぜ。それで読書と音楽鑑賞という予定が狂ってしまい、計画の練り直しを迫られた。考えたね。読書方針が間違っていたのだ。赤子いや青少年婦女子の様に年甲斐も無く本に感動を求めようとしたのが間違いであった。

金を払って本を買う。当然それなりの批判の権利を手にするわけだ。くだらない本はそれなりに逐語的、逐行的に批判、採点していけばいいのである。結構暇がつぶれる。それからは本を読む時には必ずボールペンを握った。余白に批評、罵倒といったほうがいいが、を書き込むのである。たちまちもとの文章が読めないほど書き込みで真っ黒になる。

もっとも批評する気にならない最低のものもある。批評の書き込みをする本はまだ見込みがある。高校で体育の教師が生徒に体罰を加えるのは、その生徒に見込みがあるからである。

生活は規則正しく送ることが大切である。そうしないと長続きしない。そこで次は生活設計である。まず朝はどんぶり一杯の濃いコーヒーを一時間足らずかけてゆっくりと飲むのだが、その時に読むのは哲学書である。これもボールペンを持って読む。哲学書というのは穴だらけでそこをいかにはったりで目くらましをするのかが彼らの腕である。

小説等ではこの種の飛ばし、抜かし、説明なしは手法として、あるいは一種のケレン(あるいは外連味)として許されている。必要でさえある。しかし哲学ではどうかな、違和感がある。そうしているうちに目が醒めてくる。身体のエンジンが温まってくる。そうしたら家事である。炊事、洗濯、掃除である。 

それが終わると髭を剃る。顔を洗う。歯を磨く。そのほか朝の行事をこなす(あまり具体的に書くのは上品ではないので具体的には書かないが)。そして窓から外を覗き観天望気だ。傘が必要かどうか判断する。 俺の天気予報は当たる。途中で雨に遭いあわててコンビニでビニール傘を買うことはない。今の傘は20年前に買った物である。

外出して夕方まで市中を徘徊する。大型書店を何軒か回って獲物を漁る。夜は大体小説を読むね。そして寝る時には深夜目が醒めて眠れない時のためにエンタメ系の小説をベッドの脇に用意する訳だ。勿論ボールペンも一緒に。

 


第D(8)章 読書

2016-07-14 09:31:29 | 反復と忘却

場末の1DKに格安物件があったので購入した。学生街のある町の裏通りにある1DKばかりの8階建ての小さなマンションである。近くにどぶ川が流れいて、ちょっと雨が降ると「洪水警報」のけたたましいサイレンが鳴り響くところである。

前には田舎から出て来た女子大生が住んでいたとかで部屋の壁に妙な仕掛けが残っていた。なんでもネズミのペットがいたそうでネズミが走り回る走路のようなものだったらしい。いずれリフォームして取っ払わなければならない。しかし、退職早々で手元不如意であるから支出は慎重に計画しなければならない。とりあえずはそのままにしておいた。壁にはへんな動物の臭気がまだ染み付いていた。

ペットはもちろんネズミとはよばれず、なにかハイカラな名前があるらしい。ペットショップに行けば若い女の子の好む「ネズミ」の一種の名前はわかるのだろうが管理人も知らなかった。彼は女子学生がネズミを飼っていた、と言っていたから俺もそう言うのだ。若い女はちんちくりんな獣を飼うからね。

「大隠は市中に棲む」と洒落込むつもりだったが、すぐにそんな生活はできないことが分かった。毎日が日曜日になったら、のんびりと一日中音楽を聴いたり、読書をしたり出来るだろうな、と思ったがそんなことに耐えられる筈が無いのだ。音痴のせいかもしれないが、俺の耳に耐えられるのはごく少数のCDである。それをひっきりなしに聞いているなんて出来る訳がない。好きな曲でもたまに聞くから良いのであって、のべつまくなしに聞くほど馬鹿じゃない。

読書は多いに期待していたんだがね。なにしろ俺は若い時にあまり本を読まなかった。これからは読書三昧だわい、と期待しておったのであるが、甚だしく失望した。読むものはいくらでもある。なにしろほとんど本を読んだことがないのだから。量的にはなんの不安もない。値段も酒を飲みに行くのよりかは全然金がかからないしね。

ま、最初は書店で目立つ場所にてんこ盛りしてある本だ。ベストセラーとか出版社が営業目的でやっているでこぼこ賞受賞作なんてやつだ。ところがくだらないものばかりだ。これにはあっけにとられたというか、呆れた。その内に1DKの部屋は10頁くらいしか読まないで放り投げられた本で、たちまち足の踏み場もなくなった。そこで場所を取らない文庫本に切り替えた。

今度は購入方針を切り替えた。長い間出版され続けた本は何らかの理由があるのだろう。つまり『外れ』の可能性はより少ないだろう、というわけである。で、まず奥付を見る。発行年が30年以上前であること、版数が一年に一回以上であることを目安とした。それと文庫本には第三者(評論家)による解説がついていることが多い。解説は長くても10頁くらいで立ち読み出来る。解説にはその質がピンからキリまである。文章にはちょっと読むだけで、位という者がわかる。これを文徳という。解説が合格なら中身もまあまあだろうという訳である。これは外れることもあるが確率はいい。 

そうすると、たまにまあまあの本にぶつかる。それについての書評をしたりすれば投資金額(本代)を多少回収したことにもなる。勿論猛烈にケチを付けた書評もすることがある。800円の文庫本なら800円分の批判料を支払っているようなものだからね。回収しなくてどうするのだ。暇つぶしにもなるしさ。