ひと月足らずのご無沙汰でした。徒然(トゼンと読んでほしい)に耐えかね、書棚から取りだしたる一冊、ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」。
70年前のミステリーだ。加えて小生は書評でオマンマを食っているわけではないので結末から入っても差し支えあるまい。
記述者(ワトソン役)が犯人というので、おきて破りだと細かいことをいう書評家に難癖をつけられたのはクリスティのアクロイド殺しだったか。幻の女は探偵が犯人という趣向。探偵役というのは素人でえん罪で捕まっている男の親友である。本当は友人に罪をかぶせようとする男。途中から探偵役をかって出るのは、今後新しい証拠が出ないように証人になる可能性のある人間を殺していくため。
いったん捜査で有罪証拠を固めた刑事が、やり残した捜査をその男にやらせる。いったん警察でケースクローズになったケースは自分では扱えないから。
(捜査では十分な証拠がそろえば、被告人の証言の全ポイントを洗わなくてもいい、という「盲点」を蒸し返す、ということで一応筋はとおる)
そして、刑事と冤罪男の愛人が協力して「親友」が「真犯人」であることを突き止める。それが死刑執行日という段取り。
少し長過ぎる難がある。ミステリーはせいぜい日本語で300ページまでだ。それ以上のものはよほど技量がいる。まずそういう作者はいないとみてよい。そうすると、最近の日本の(外国もその傾向があるが)はミステリー作家の腕があがったのか。
否である。読者の質が下がっているのである。編集者、書評家の質が低下しているのである。
最近はミステリーはあまり読まない。たまに読むのは大昔読んだ本を読み返すくらいだ。最近は最初を30ページほど読む。それから最後の30ページを読む。そして作者の状況設定と落とし所を見たうえで、真ん中のアンコを読む。どう料理してあるかな、構成はしっかりしているかな、不自然さはどう処理してあるかな、緊迫感は平均値かな、てなところを「観賞あるいは罵倒」する。
幸いなことに前に読んだことは全く覚えていないから、新しく買って読むのと同じなのはありがたい。
早川文庫巻末の解説によるとアイリッシュは抜群の筆力とある。抜群というのは躊躇する。日本語で読んでるしね。最初のほうはたしかに「エンターテインメント」としての資格はある。
もう少し全体を縮めたらピリッとしてくるだろう。なべて言えば平均値をかなり超えていることは間違いない。
昭和17年の作品である。