穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

雑誌の座談会を批評することは書評か?

2023-11-22 23:40:32 | 書評

今月の月刊誌文芸春秋に「昭和陸軍に見る日本型エリート」という座談会がある。期待しないで買った。「期待しないで」というのはいつもの通り読む前から分かっていたから。ただこの題材ではなにかブログに書けるかな、と思ったわけである。すみませんね。

独語 印象は当たっていた。数人の出席者の発言は読む価値がなかった。それに議論のポイントがどこにあるのかはっきりしない。

大正時代から昭和の軍事冒険主義に変わった理由を説明しなければ意味はない。

皆様よくご存じのように、軍事独裁体制は大正時代まで続いた山形有朋などの元老政治を派閥政治と激しく非難して登場した。しかし、実態は目を覆うような新たな破廉恥な派閥政治である。

変化したのは明治維新体制の薩摩長州閥の徹底的排除である。その代わりに維新戦争の敗北者である幕府軍諸藩の派閥政治である。それも実力によるのではなく、お仲間意識による派閥形成であった。

元老政治にあった軍事合理主義は跡形も無くなった。人事は一握りの人間、たとえば東条英機による恣意的な好みによった。

雑誌の政治的、あるいは軍事的座談会を批評することも書評の範囲と強弁して以下何回かに分けて批評する。なぜならこの種の議論では何時も肝心の視点が排除されているようなので「書評」する価値があるかもしれない、と思ったからである。

ちなみに、彼らが非難するように、元老の人物起用にはおそらく個人的な好みによるバイアスはなかったと思われる。具体的には次号以下で。

 

 

 


依怙贔屓の弁護

2023-11-22 23:40:32 | 書評

昭和維新の名のもとに元老の人事を批判した維新戦争敗北軍の詭弁を論ず。

明治維新の時代は国の安否に関わる政策決定が切れ目なく続いた時代である。為政者が責任をもって対処するには相手の人物の能力をよく知った相手を選ぶ必要がある。

その第一は維新前討幕運動で死地を一緒に潜り抜けた相手から選ぶのは当然である。それが薩長土肥の人材に偏るのは当たり前である。それが結果として藩閥政治と言われるものである。

また相手の実力をよく知るものから選ぶのは当然である。すなわち戦争の相手である幕府出身者である。維新政府は幕府人材を大量に採用した。外務大臣には幕府軍の惣領であった勝海舟を選んだのが一例である。彼はロシアと交渉して千島列島すべてを日本の領土と認めさした。また樺太での日本の自治権を大幅にロシアに認めさせた。その他薩長軍が維新戦争の相手とした幕府の有能な人材を大量に取り込んでいる。

相手の実力をよく知って、有能な人物を積極的に登用した。自分のよく知らない相手を選ぶ愚は取らなかった。この観点から評価すると維新政府の人事が依怙贔屓であるとするのは、無能者の多かった反幕府諸藩の根拠なき主張である。

翻って「昭和維新政府」の人事はどうだったか。昭和時代に入ってから薩長から陸軍大臣、海軍大臣になった人物は皆無である。そうして彼らが行った人事は漫才的にまで依怙贔屓の恣意的なものである。これは文芸春秋の座談会の出席者から指摘されている。元老政治のもとでは実力主義だったのが、東条の個人的嗜好に基づいている。政策的実力は考慮されていない。

昭和二十年の敗戦までは必然的な一本道である。

 


ハイデッガーを自分の箔付けに使う馬鹿

2023-11-20 07:02:28 | 書評

この本はハイデガーも同じことを言っていると自慢している。ページ29,300,341,342

こうなると救いようがない。現存在の世界内存在とはおいらのいうことだ、というのだ。こうなるとあんぐりと明けた口が閉まらなくなる。

大体こういう著書は学際的で他の、この場合は認知科学などの、後追い、しもべに甘んじている。いうに事欠いて恥ずかしくないのか。


何事も同情を持って

2023-11-19 08:33:29 | 書評

「ぽじしょりぽーと」93ページ。第一章自律的エイジェント読了。何事も同情を持って読まなければいけない。

要するに地方自治かいいか、中央集権がいいかということである。それがどうもこの本の趣旨らしい。ゴキブリの自衛権すなわち危険回避システムは地方自治である。人間もそうしたほうがいいといいかねない本なので心配したが、使い分けているね。常識的だ、結局。そんなに恐ろしいことを主張していない。何事も、本を読む場合でも同情心を持って読むことをモットーにしているが、第一章を読み終わってやや安心した。

この著者はロボットにご執心だが(すこし異常)、誤解されやすい。人間の場合中央集権、言い換えれば社会的性格、言語、文化、法律の優位性がある、と一章の最後で常識的だ。

ただゴキブリ的地方分権システムのほうが安上がりで「すぴーでい」だというのだ。ようするにロボットの制作ではゴキブリ的発想だけで十分だというのだろう。これって、人間で言うと、幼児、子供、未熟な青年それから女性の行動を特徴づけるね。お後がよろしいようで、この辺でやめておこう。

 

 


叙述の仕方

2023-11-18 18:31:00 | 書評

前回の補足、ごきぶりの逃走の仕組みを解説すると、すぐに人間の意識も同じだと飛躍する。

間に当然つなぎというか説明が入るのが当たり前だが、なにもない。異様な書き方だ。

もっと読んでいくと繋がりが分かるのかしら。物事の説明がこんな風に行くなら世話はない。


「現れる現在」

2023-11-18 11:27:34 | 書評

著者はアンデイ・クラークという人で哲学者らしい。それではそれなりの批評書評をしなければいけない。訳者は12人もいる。私は翻訳物で共訳者が多いのは経験から避けている。翻訳の質が確保されないことがおおいから。それにしても12人というのは異常である。

現在68ページあたりまで読んだ。ゴキブリの避難行動を長々と述べている。最後まで読まないと断言できないが、ゴキブリがそうだから人間もそうだ、で終わっているならお話にならない。人間にも、そうだという説明が不可欠である。最もそのうちに出てくるかもしれないが、

 


無聊に苦しみ自然科学もの

2023-11-18 07:59:54 | 書評

荷風物の書評も新しい種が尽きたので、無聊に苦しみ本棚を見渡したところ、早川の通俗科学もので「現れる現在」というのが目に留まった。書棚から引っこ抜いて表紙を見ると思わせぶりな帯が目にはいった。「心は漏れ出しやすい組織である。」

そういえば混雑する駅の構内で日曜日など雑踏の中を歩いていると群衆の頭から漏れ出した有象無象のクモの吐き出す糸の様な粘着性の物質に絡まれて頭痛がしてくる。これってそのことかな、と思って読みだした。

実は昨年だったか、買って少し読みだしたが翻訳の日本語が「処置なし」で10ページほど読んで投げ出した。「人間の脳は動かしていないとさび付く」というわけで、何もないよりもまあいいか、とそろりそろいと読みだした。作者が悪いのか、訳者が悪いのか、非常に読みにくいのは去年と同じだ。ま、何事も勉強である、どういうことが書いてあるのか。

早川 自然科学 早川ノンフィクション文庫

 

 


私立探偵の報告をもとに

2023-11-17 11:24:16 | 書評

荷風に「来訪者」という中編がある。昭和19年2月起筆、昭和19年4月脱稿。戦時下で発表されるせいひつ(こんな簡単な文字が変換できない!!)ではなく、内容ではなく、と言い換えると変換できた。発表年月日は不明であるが戦後のことであろう。

荷風が自作の未発表小説をかって自宅を訪れた人物に勝手に闇市場で売られた。また未発表の私信を闇市場で売られたことに気づいて「私立探偵」に調査を依頼したという骨子である。さきに占い師に相談したというのがあったが、今度は私立探偵に調査を依頼した。

このいきさつは日記の断腸亭日乗に記載がある。荷風は自分が被害を受けると必ず反撃したから、木場とか白井とかいう人物も本名であろう。

 

 


墨東奇談の成功の鍵は叙述スタイル

2023-11-01 17:03:07 | 書評

岩波の荷風選集小説編によると、「梅雨のあとさき」と「墨東奇談」のあいだに「ひかげの花」という小説がある。墨東の出来が突出しているので間の「ひかげの花」を最初のほうだけ目を通したが、陳腐で感心しない。叙述はあるひものものである。

とすると、墨東の突出した出来は徐々に出てきたものではない。おそらく墨東の成功は叙述スタイルにあるようだ。荷風の花柳小説の叙述は男性にしろ、女性にしろ花柳界に住む人物の語り、あるいは視点である。墨東奇談の私は疑似荷風である。それが全編の質を高めている。疑似荷風の、なれいしょん、は他にあったかなと思い出してみると、初期の筆力が未発達の段階の作品には、いくつかあるようだが円熟期の作品にはないようだ。もしこの記憶が正しくなければ訂正してください。

墨東の成功の理由を荷風が自覚していたら、それ以降の同様の作品があってもおかしくないが、記憶では墨東だけのようだ。違いましたっけ。

 


命が延びる気がする、、

2023-11-01 08:29:07 | 書評

荷風の著作は「つゆのあとさき」「日陰のはな」「墨東奇談」と続くのだが、墨東奇談は疑似主人公が筆者である唯一の例ではないか。それだけに荷風の得意とする随筆の特徴である鋭さが先鋭に出ている。

墨東奇談は数度読み返しているが、そのたびに荷風の言葉を借りれば*命の延びる気がする*岩波文庫13ページ

 


肝心の作品の品質は

2023-10-30 18:56:55 | 書評

これまでに「つゆのあとさき」について、ずいぶん述べてきたが、これはハードボイルドとか推理小説の手法の影響が物珍しかったからである。肝心の作品の品質ということだが、あまり感心しない。

全体に分かりにくい、荷風の小説にしては。構成がごつごつしてい、記憶に残らない。ということで荷風の作品としては高い評価はできない。この作品のすぐ後に例の評価の高い「墨東奇談」が出てくるのだが、時期が隣接している割には高い評価はできない。岩波がこの小説を単体で文庫に入れたほどの価値はない。

 


尾行

2023-10-30 06:29:34 | 書評

梅雨の後先にはほかの作品にみられない試みがいくつか見られる。

大衆小説界のボス清岡がなじみの女給を密かに尾行する描写がある。ほかの荷風作品に尾行場面はなかったと記憶する。別にブラックマスクの影響ではなくても、当時は「探偵小説」が流行りだしたころで、江戸川乱歩も活躍していた。どうも荷風はこの作品でHBや探偵小説の技法を導入し試したらしい。

その後はこの異分野の技法は見られないが、いずれにしても異色の作品と言える。


永井荷風の女主人公

2023-10-28 11:15:50 | 書評

いずれも墨東奇談(岩波文庫)数字はページ数

*94 わたくしはこの東京のみならず、西洋にあっても、売笑の巷のほか、ほとんどその他の社会をしらない。

*96 正当な妻女の偽善的虚栄心、公明なる社会の詐欺的活動に対する義憤は、彼をして最初から不正暗黒として知られた他の一方に馳せおもむかしめた唯一の力であった。

*96 投げ捨てられた襤褸の片にも美しい縫い取りの残りを発見して喜ぶのだ。正義の宮殿にも往々にして鳥やネズミの糞が落ちているのと同じく、悪徳の谷底には美しい人情の花とかぐわしい涙の果実がかえって沢山摘み集められる。 


つゆのあとさきのモデル問題

2023-10-28 10:26:41 | 書評

だいぶ前のアップで川端康成の雪国に出てくる無為徒食で自身は西洋の舞踏の研究家だというのは永井荷風ではないか、と記した。おそらく菊池寛に使嗾されたものではないかというのである。それで川端康成は書き始めたが、さすがに師匠菊池寛がいうように品のないことは書けないと、現在の作品になったらしい。昭和十年ころの話だ。それで川端は目出度くノーベル賞。

つゆのあとさきの犯人役は通俗小説作家の世界のボスである。なじみの女給にストーカー行為を繰り返す。猫の死骸を彼女の押し入れに放り込んだり、髪を切ったり、着物を切ったりする。簪をとったりする。それで女給の君子は占い師に相談に行く。どうも読んでいくとこの人物は菊池寛らしい。作品は昭和11年。

犯人はだんだんやり方がエスカレートしていく。彼の弟子が必死に師匠を止める場面がある。そうして匿名の手紙で君子に警告する。

この辺の骨組みや進行具合はハードボイルらしい。

次回は君子の造形について。あるいは永井荷風の女主人公の造形について

 

 

 


印象の訂正

2023-10-27 17:12:31 | 書評

誤った印象を与えたかもしれないので補足します。10月14日の「荷風の読書日記」で当時アメリカで流行りだしたハードボイルどタッチの作品があると書きました。その後気になったのでその作品を探したところ、昭和六年の作品「つゆのあとさき」に今でいうホステス(女給)とタクシー運転手のいざこざの記述がまあ、ハードボイルド風でした。運転手と言い合いになり、降りるときに運転手がわざと急発進して3,4日のけがを女給に負わせた叙述があります。ハードボイルド風というのも大げさだが、いずれにせよ、荷風のタッチではないので記憶していた。

この小説はかなり長編で問題の個所は2,3ページだけなので作品全体をハードボイルド風というのは言い過ぎでした。

この作品は出だしもちょっと変わっていて最近いろいろいたずらをされるので占い師に女給が相談に行くところから始まっています。これなんかもクライエントが私立探偵に相談に行く雰囲気で荷風としては変わっています。チャンドラーなんかこのパターンですよね。相談に行くところが私立探偵か占い師かの違いですが。やはり当時のアメリカの小説なんかに触発されたという気がしますね。