今月の月刊誌文芸春秋に「昭和陸軍に見る日本型エリート」という座談会がある。期待しないで買った。「期待しないで」というのはいつもの通り読む前から分かっていたから。ただこの題材ではなにかブログに書けるかな、と思ったわけである。すみませんね。
独語 印象は当たっていた。数人の出席者の発言は読む価値がなかった。それに議論のポイントがどこにあるのかはっきりしない。
大正時代から昭和の軍事冒険主義に変わった理由を説明しなければ意味はない。
皆様よくご存じのように、軍事独裁体制は大正時代まで続いた山形有朋などの元老政治を派閥政治と激しく非難して登場した。しかし、実態は目を覆うような新たな破廉恥な派閥政治である。
変化したのは明治維新体制の薩摩長州閥の徹底的排除である。その代わりに維新戦争の敗北者である幕府軍諸藩の派閥政治である。それも実力によるのではなく、お仲間意識による派閥形成であった。
元老政治にあった軍事合理主義は跡形も無くなった。人事は一握りの人間、たとえば東条英機による恣意的な好みによった。
雑誌の政治的、あるいは軍事的座談会を批評することも書評の範囲と強弁して以下何回かに分けて批評する。なぜならこの種の議論では何時も肝心の視点が排除されているようなので「書評」する価値があるかもしれない、と思ったからである。
ちなみに、彼らが非難するように、元老の人物起用にはおそらく個人的な好みによるバイアスはなかったと思われる。具体的には次号以下で。