穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

谷崎潤一郎の戦争末期と終戦直後の日記

2023-10-26 06:49:32 | 書評

この中公文庫谷崎の日記は勝手につまみ食いをした、しかも編集方針が分からない断片的なものである。日記としてはまず「最低」と言ってよい。

すなわち、昭和十九年一月から十二月、昭和二十年三月の東京大空襲から八月十五日の日記、昭和二十年の十二月から三月十七日までの断片である。編集者はこの切れ切れに収録した理由を述べていない。不誠実、迂闊な話である。

谷崎の小説は大昔読んだがあまり記憶にない。つまらないという印象が残っている。収録された日記の記述は中学生、高校生でも書ける平凡な調子である。編集採録方針は不親切で不誠実という印象だ。

なお、日記の部分は125ページまでで、その他に当時書かれた短編やそのほかの文章が収録されている。それはまだ読んでいない。

昨日短時間で飛ばし読みをした印象だから、もう一度腰を落ち着けて読んでから印象を追加したい。


バック・ミラー読み

2023-10-24 19:37:15 | 書評

#さて、ポジション・レポートは相変わらず下巻120ページあたりで停滞。そこで気を取り直して?最後にあるスタンダールの自著宣伝文と翻訳者の解説を読んでみた。

自著宣伝文は自作がイタリアで出版計画があり、自著宣伝のためにスタンダールが書いた文章を本文と同じ翻訳者が翻訳したものだが、普通は宣伝のために自著を解説すると、本文より分かりやすく書ものだろうが、この「赤と黒について」は本文の要約としては余計分かりにくくなっている。もっともこれは翻訳者に責めがあるのかもしれない。

しかし、結局イタリアでは出版されなかったそうである。

#この文章の後ろには翻訳者小林正の解説「スタンダール 人と作品」という付録があるが、わかりやすく言うと「読むに堪えぬ文章」である。そこで売り上げ記録を見ると、初版は昭和33年で令和元年までに88刷でている。いささか唖然とした。

日本人の読書レベルがそんなものかな、と思った。これを読むと本文の翻訳の質はどうなんだろうと疑問に思った。

そこで残りを最後まで読むかどうか迷っている。

#話は違うが本日中公文庫で谷崎潤一郎の「疎開日記」を買った。永井荷風が終戦末期に谷崎を訪れたというので買ってみた。読んで面白ければ後日紹介したい。

 


題名赤と黒は特定の集団を表しているのではない

2023-10-23 19:17:00 | 書評

赤と黒は特定の集団、社会階級を表していないのでは?

赤は主人公の特殊な獣欲才能、美貌の未亡人をたらしこんだり、下巻では自分を引き立ててくれた侯爵の娘をたらしこんだり、のソレルの特殊才能のことだろう。

そうすると黒は何だ。二十世紀の中ごろから使われだした「ノワール小説、あるいは映画、と同じ感じではないか。訳すなら黒=暗黒ということだ。

特定の社会集団組織とは関係がないだろう。それだと黒に該当する説得力があるものがない。一種のレトリックだね。

インターネットを見ていたら面白いものを見つけた。年代は分からないが、フランス版の表紙の写真だ。「ルージュ エ ノワール」だが、ルージュはフォントでいえば12ポイントなのにたいしてノワールは24ポイントと倍以上の大きな活字なのだ。この表紙がスタンダール生前のものなら、作者の意向を反映したものだろう。ようするに現代語で言うなら、これは「ノワール小説」なのだ。うまく纏まったかな。お後がよろしいようで。。。

訂正:ソレルが最初に狙ったのは未亡人ではなく、人妻でした。訂正します。

 

 


赤と黒はなにか

2023-10-22 19:12:02 | 書評

題名の赤と黒が何を表すか。結論=不明

Wikipediaによると赤は軍人、黒は聖職者という説が紹介されているが、赤は軍服に多いというので分かるが、黒が聖職者というのは意味不明である。仏教なら墨染の衣と言われてわかるが、キリスト教では黒が聖職者を代表する色ではない。それに、ソレルがパリの有力政治家のひきでパリに出てきたが、その周りの人間がみんな黒い服を着ているという記述があり、作者が黒で聖職者を表してたというのはいただけない。むしろ作者の言うように黒は腹黒い王政復古派の政治家ととるのが自然だろう。

ソレルは出世の道として最初は、だれでもがそうであったようにナポレオン崇拝者でもあったが、パリに出てきて政治家としての野心が出てきたという王政復古後の若者の通弊ととるのが自然だろう。

大体、作者が題名を解題していない(下巻初めまで)のも妙だ。大体このくらいまで読むと題名が腑に落ちるのが普通なんだけどね。

むしろ赤は情欲(夫人との関係)で黒は主人公が失敗して最後は死刑になることを表しているのか知れない。


ナポレオン後のフランス政界

2023-10-22 08:59:07 | 書評

ポジション・リポート68ページ、新潮文庫下巻

さて、ジュリアンは神学校をやめてめでたくパリの政界の有力貴族のサロンで活躍し始める。

そこで当時の政界談義を長々と始める。ほとんど三人称の視点で(実際はジュリアンの観察ということになっている)。そんなことは日本の読者には無用のことである。フランスの作家ではバルザックもこの癖がある。もっともバルザックは実際に代議士としても活躍したそうだが、それにしてもフランスの政界工作なんかわれらには全く興味がない。それが小説全体の理解に不可欠ということは全くないようだ。スタンダールの場合も。


伝通院の浪花節語り」

2023-10-20 07:10:24 | 書評

永井荷風のたしか「伝通院」という随筆だったと思うが、少年時代の思い出で伝通院前の路上で浪速ぶしを語って通行人の投げ銭をもらっていた老人の思い出がある。

最初は調子が出ない、声がでないが、だんだん体が温まってくると、喉に溜まった大きな痰を吐き出して調子を上げてくるという思い出である。

スタンダールの赤と黒も段々そんな具合に調子が上がってきた。新潮文庫上320ページあたり、ブザンソンの神学校で校長に面会して失神するあたりから調子が出てきた。思わず伝通院の浪速ぶし語りを思い出した。

作家によっては途中から調子を上げてくる連中があるから注意して、辛抱強く読まないといけない。


赤と黒

2023-10-16 06:30:37 | 書評

久しぶりにポジション・リポートです。どうも読んでられない。やはりカンが当たったようである。

永井荷風の日記にスタンダールへの言及がなかったようなきがするが、ちょこっと読んでみて、こりゃダメだと思った。現在新潮文庫上巻158ぺージまで堪えて読んだ。最後まで読めるかどうかわからないのでとりあえずポジション・リポート。

日本ではかって、文壇を中心として、女を踏み台にした貧乏青年の出世物語として絶賛された作品らしい。彼らの教科書となったらしい。すくなくとも荷風の読書対象とするべき品質はない。行文も陳腐である。

読書能力も一ページも読まずにカンで、書籍を匂いで排除するようになれば一応水準かな(自画自賛)。

 

 


荷風の読書日記

2023-10-14 13:12:20 | 書評

荷風の日記は来訪者あるいは飯を一緒に食った人の名前、場所それらが読書日記が主要な内容をしめる。他人の文章で一番多いのは江戸時代の漢文(墓碑銘を含む)、それからフランスの書籍が多い。

フランスではもちろんモーパッサン、ゾラ、ジッドが目につくが、その他では無名の(或いは私の知らない)作家の作品が多い。おそらく同時代の作家だろう。たえず、フランス文壇の時流に関心があったようだ。

アメリカの作家もみられる。荷風は銀行員としてニューヨークに滞在していたし、その関係で実業界との交友があった。それらの友人がアメリカの最近の事情を報告していたらしい。

前に読んだ作品でタイトルは思い出せないが、ハードボイルタッチの作品もある。おそらく実業界の友人が「こんなのがアメリカで流行っているよ」と雑誌を持ち帰ったものらしい(ブラックマスクあたりか)。それを模倣したのか、ごく短い作品で駕篭かき風のタクシー運転手とキャバレーの女給を思わせる女とのトラブルを描いている。ハードボイルド・タッチはこの作品一つだとおもうが、

 


いまさら何ですが

2023-10-13 14:30:26 | 書評

食わず嫌い、というのではないが、有名な小説で長年の間読む気がしなかったという小説があるものだ。理由は本人にもわからない。書店で思いついて引っこ抜くがまた棚に戻してしまう。

なにか、作者に反感があるというわけでもない。伝え聞く内容が気に食わないというわけでもないのだが。

そういう本の一つにスタンダールの「赤と黒」がある。大抵の人なら読書経験の浅いうちに読んでしまっているものだろう。ところが私の場合、上に述べたような事情で読んでいないのだ。

岩波の荷風全集の断腸亭日乗全七巻をどうやら読み終わって、口(目)寂しい折からか、今日、本屋で新潮文庫の赤と黒を買った。上下巻で千ページ近くある。だいぶ持つだろう。


版権のとらぶるか

2023-10-11 16:15:43 | 書評

岩波版荷風小説には戦後の作品が四編しか採用されていない。最晩年はともかく、短編が主とはいえ、断腸亭日乗によれば戦後多くの作品を発表しているにも関わらず四作品しか採用されていない。

採用される質が劣るというなら何らかの言及があって然るべきである。」普通作家の全作品リストがあり、作品の年譜があるがそれもない。

考えられるもっとも有力な説は版権の問題で収録できなかったのであろう。終戦直後の混乱期で各出版社、雑誌に発表されたものは版権がはっきりしない、あるいは紛糾があるという理由しか考えられない。

晩年の作品は不可欠だ。傾向、筆力、などの観点から網羅的に収録するのが良心的である。出来なければその理由を明記するのが岩波の義務である。


永井荷風は豪脚だった?

2023-10-10 17:31:46 | 書評

さて、太平洋戦争が激しくなり(アメリカに攻めまくられて)荷風は麻布のペンキ館を焼け出され、中野のアパートも焼け出され、明石の寺に身を寄せたが、そこもアメリカ軍の空襲で焼け出された。こんなに空襲で避難する先々で続けざまに被災するのも珍しい。

そして、敗戦、帰るところのない荷風は仮住まいを転々とする。その事情や社会の経済状況などが昭和二十四年ころまで続く。それはそれで読める。世相の変遷の記述はそれなりに読ませる。さて、二十四年になって、またまた浅草の劇場で自作の上演が始まり、連日連夜の浅草がよいが復活する。昭和十年ころのように。

日和下駄があるように荷風は散歩好きである。そういえば、ちょっと私が興味をひかれたことのある、おーすたーもニュウヨークを歩き回るが、荷風も散歩好きである。ちょっと病的である。

それでこんな風な記述が多い。相当はなれているところで、たとえば、「小岩浅草辺を散歩」みたいな記述がある。相当な健脚でないと歩けない。もっとも小岩でちょっと電車を降りて付近を散歩し、また電車にのって浅草にいって散歩したというならわかるが、小岩浅草辺を散歩というと小岩から浅草まで歩いたととるだろう。超人的な健脚である。それが70歳を過ぎてからの話である。

どうなんだろうね、

 


荷風の断腸亭日乗

2023-09-28 08:13:19 | 書評

どうも昭和十二年ごろまでは興味が持てない。最初のころは歌舞伎界との交流が毎日に記述で、それもどこで飯を食ったとか、誰と会ったかという一日二、三行の記述で興味がわかない。それに、秋庭太郎の伝記では交友範囲の具体的人名が一切ない。これはのちの伝記を通していえる。これは致命的な欠陥である。

ぷらいばしーへの配慮があるのだろうが、荷風の記述が「誰それと飯を食った」という記述にとどまっているから、そういう配慮を必要としない。まれに配慮を必要とする人物が出てくるが、その個所はしかるべき書き方があるだろう、職業的売文家としては。

昭和初年になると歌舞伎界との付き合い記述が一変して変名?の人物との銀座界隈での会食の記録の連続連日であるが、これも無味乾燥である。もちろん女出入りも記録しているが興味をひくものではない。この変名が誰であるかがわかれば興味が持てるかもしれない。秋庭太郎の伝記でもその辺の記述は全くない。したがって興味が持てない。交友関係が一変しているらしいので。これらの人物が誰であるかが分からければ全く無意味な記述である。

昭和十年前後になると、一年以上にわたって浅草の小劇場で自作の上演の経緯が中心となる。これも正直言って興味が持てる書き方ではない。しかし、連日連夜夜明けま舞台台稽古に付き合ったり、けいこが終わった後女優や、踊り子たちを引き連れて飯を食ったり、吉原に上がったりの記述が延々とつづく。はっきり言ってモノトーンである。

昭和十年以降になると険悪な、政治情勢や軍部横暴に対する荷風の嫌悪、批判が多くなり、やや読めるようになる。ひっ迫する日常生活の具体的記述が多くなり、読める。

これは昔所読した時の記憶であるが、このころから戦争末期、終戦直後の混乱の「体験記」は「読める」

 


昭和八年夏早くも防空演習

2023-09-08 12:44:10 | 書評

昭和八年というと満州事変の翌年であるが、夏に早くも銀座あたりで防空演習が行われている。

まだ日本の国際連盟脱退前だと思うが、軍部ではアメリカ軍の帝都空襲を予想していたらしい。

一応先の先まで読んだ布石だったのだろう。荷風の日記によると銀座はお祭り騒ぎの人出だったらしい。

断腸亭日乗昭和八年八月連日防空演習


荷風日記昭和七年十二月六日

2023-09-07 19:02:48 | 書評

断腸亭日乗・昭和七年十二月六日:

「陸軍士官軍服のままにてカフェまたは舞踏場に出入することさらに珍しからず」

大正末から昭和初年までは内外の軍縮ムードで職業軍人は軍服を着ては街中を歩けなかった。国民から「税金泥棒」とののしられたからである。ところが満州事変で連戦連勝すると、様子が一変したのである。「兵隊さん(将校のことである)ありがとう」というわけだ。軍服を着て女遊びがおおっぴらにできるようになった。

なんか、サッカーやバスケットで国際試合に勝つと気が触れたように熱狂する放送解説者や視聴者に似ているようで怖いね。


悪書秋庭太郎「永井荷風伝」

2023-09-03 06:59:10 | 書評

漢詩といっても広うござんす。文字通り古代漢の時代から唐代、モンゴル支配の清国のまで。

荷風が好んだのやや近代感覚の現れた清国の時代の詩らしい。荷風は外国語大学の清国科に学んだ。清国滅亡の寸前の時代だ。

秋庭太郎の永井荷風伝によると、荷風の漢詩はめちゃくちゃに批判されている。該書300ページあたり。しかし荷風は漢詩を売りにしていたわけではない。彼の発表した漢詩は多くはないが、文筆家として一家をなした後でも、必ず少年時代から師事した漢学者の校閲を得て発表している。第一荷風自身が昭和五年二月十四日の記に「余満腔の愁思をやるに詩をもってせむと欲するも詩を作ること能わず。わずかに古人の作を抄録して自ら慰む。」とある。

秋庭の文意は荷風が自覚なしに出鱈目な漢詩をもてあそんだ、という調子であるが、これをもってするにこの伝記は眉唾ものであろう。これは何とかいう文学賞を取った作らしい。憐れむべし、笑うべし。

さて、該当の断腸亭日録は昭和に入ってから文章に潤いが出てきたようだ。