穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

太宰治『津軽』の家族の臭み

2012-04-28 21:52:10 | 太宰治書評

小説仕立ての半自伝という評価らしいが、家族の匂いと言うものがまったくない。遊び友たちの使用人の息子とか学校の友達との再会の話ばかりだ。おわりに乳母との再会が用意してあるらしい。それだけらしいね。

以下断片的箇条書き的に記すが、

津軽の大地主だというが、そういう雰囲気がまったくない。もっとも彼は階級の逆コンプレックスからプロレタリア文学に接近したそうで、意識的に地主の家庭の匂いを消しているのかもしれない。しかし、自伝ならそんな工夫をする必要もないのではないか。

高校時代まで青森にいたと言うのも奇異な感じだ。大体、こういう家庭だと早ければ子供の時から、おそくても中学校くらいで東京などに居住して学校に行くだろう。10番目の子供と言うが、家庭の内情に関係があるのか、肝心のところの説得力ある描写がこれからあるのか。

つまりこの作品は、額面通りの旅行記であって、自伝小説ではない。旅行記に小説味をつけたものということだろう。

つまり家庭のことは語られなかったのだ。彼の言うように家庭を描くことが至難であったのか。はたまた、それは意図的に隠蔽されたのか。

普通郷里の旅行記を書くなら、そして協力者を求めるなら家族や実家の人たちだろうに、小説の中での随伴者は妙な顔ぶれである。


太宰治『津軽』の絶賛にはまいりました

2012-04-28 21:10:47 | 太宰治書評

どうみても中学生の作文にしかみえないんだけどね。新潮文庫の亀井勝一郎の評価がすごい。そうすると、おいらの文章観賞力がゆがんでいるのかと心配になって、岩波文庫の解説を立ち読みした。長部日出男とかいう人だ。知らない人だ。もっともオイラは関連業界の人間ではないから、ほとんど業界人の名前はしらないのだが。

ところが、彼も大絶賛、まいった。おれの感覚がおかしいらしいね。

ところで長部さんの解説で小説の中で「紫色の着物を着こなすのは女でも難しい」とあるのを、男で、ここまで女の心理を理解する作家は絶無であるというようなことを言っている。しっかりしてくださいよ、そのくらいのことは分かる人には分かるし、第一人の色彩のセンスはまちまちだからこう断定するほうがおかしいのかもしれないが。

いずれにしても、長部さんは偉い文芸評論家なんだろうが、この下りはどう考えても珍妙だ。

二人の解説に共通しているのは、この作品は人間失格や斜陽とことなるタイプであるというものだ。この点は納得。そしてこの作品を代表作、最高傑作と言っていたかな、と判定していることだ。オイラもむかし、斜陽とか読んだ時にはほとんど印象感銘を受けず、内容もまったく記憶に残っていない。津軽は恥ずかしながら初読であるが、読み終わったら忘れてしまいそうだから、甲乙つけがたいとはいえる。

岩波、新潮文庫の両解説者は太宰の文章を名文であると言う。これもちょっと首をひねりたくなる。

じゃ何故買って読むのかと反論されそうだが、オビにつられたのかな。家族の陰鬱な関係が描かれているとか。どういう風に、と興味を持ったと言うことだ。もっとも100ページまでだと出てこない。

ただ、ある箇所で、どんな作家でも家族のことを書くのが一番難しい、というくだりがある。予告編かな。もっともあらすじ(インターネット情報)や解説で後半の内容も大体把握出来るが、ほとんど実のある描写は期待できないようである。

そういえば最近、得意の本屋の立ち読みで、予備校教師の出口とか言う人の書いたもので、太宰治に名文を学ぶとかいう題の本があった。へえ、と思ったが、今思い出した。

こうなると、けなすのは怖くなるね。

次号は家系と言うか家庭について。


太宰治『津軽』書評、注および解説編

2012-04-28 19:39:04 | 太宰治書評

当ブログの書評は注とか解説がついている場合は、それにも及ぶのでご了承ください。

さて、新潮文庫で読んでるんだが、まだ100ページ当たりまでしか読んでいない。注に長屋てのがある。まず長屋にまで注がつくのかなという驚きと言うか、呆れたというか。

注をつけないとなんのことか若い読者にはわからないんだろうね。オイラも長屋に入ったことは無いんだ。だけど確固としたイメージは当然のようにあったから妙な気がするんだろうな。

自分は長屋に住んだこともないし、御用聞きで長屋を覗いたこともないし、長屋に友達を訪ねたこともない。長屋は平屋に限るかどうかしらないが、もう平屋はなかったな。

長屋と言うのは辞書にはないのかな。辞書で分からない事項に注は限ったほうがいいんじゃないか。なんか妙だよ。

続く


太宰治『津軽』

2012-04-28 14:58:18 | 太宰治書評

当ブログの書評カテゴリーを見て対象の雑多なことに驚かれるであろう。活字依存症なのと、適当な読書指導者がいないのだ。

さて、津軽、を読んで丸谷才一の文章読本を思い出した。その心は東北人がおどけた文章を書こうと落語をまねたところだ。

田舎者には落語をまねることが難しい。昔は言葉に訛りがあると言うので田舎者は弟子に取らなかったということは知られている。今は落語と言っても田舎者の真打ちもいるし、活字になっているから田舎の人もまねたくなるんだろうが。

訛りの問題よりも何よりも、エスプリ、この言葉も死語だろうが、が生得のものでないと妙に聞こえるだけだ。

ま、簡単に言えば都市最下層民の意地っ張りのやせ我慢と批判精神、反骨精神ということだろうが、これはまねられない。やせ我慢というところが特に大事だ。

太宰治は旧制高校卒業まで青森にいたのだから田舎漢(デンシャカン)といって差し支えあるまい。田舎の人がまねるなら浪花節がいい。講談もいい。もっとも太宰は高校時代女義太夫のお師匠さんの所に稽古をつけてもらいにいっていたそうだ。津軽、に書いてある。

津軽、には他にも意外だった点があるが、以下次号。