穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

abさんご、僭越ながら技の提案

2013-02-20 21:44:46 | 書評
さて、インターネットを漁って少し皆さんの意見を読ませていただけました。

参考になるところもあり、有益なる情報を得ることも出来ました。

さて、次々と技を繰り出す黒田夏子さんでありますが、なぜ右から左に書かなかったのでしょうね。昔の日本はそうでしたし、アラビア語もたしか右から書きます(横書きでね)。会社の文章みたいに左から右というのはいかにも味がありません。横書きにするときは支那の文章もそうでした。

それと、もっと解せないのは句読点が残っていることです。日本式の句読点からピリオドとカンマにはなっていますがね。日本語というものは句読点なしで達意の文章が書けるものです。明治維新前までずっとそうしてきたわけです。

モロコシでも句読点はありません(伝統的な文章では)。

横書きで句読点があるのは事務文書みたいでよくありません。その句読点が.と,というのもね。

あと、単語の選択と言う点でも一部(大部分?)の人が言うようにセンスがあるとは思えません。天井と書かないでてんじょうと書いてあるとぐんと迫ってくるなんていう記事がありましたが、目を疑いました。

ちょっと訓練された読者なら漢語でも読むと同時にその音を内耳で玩味しているものです。そしてその言葉の選択が適切かどうか評価あるいは鑑賞しているものです。


私は未だに三章ほどざっと目を通しただけですが、単語の選択に唸らせるものがあるなら数ページ読めばわかるものです。

これはインターネットで得た情報ですが、蓮實重彦とかいう人が彼女を見つけて絶賛したのが事の起こりらしい。

この人物がどういう人か知りませんが、フランス文学者で元東大総長だそうです。なんとなく、彼女いや彼女の文章と相性がよさそうです。

くどくどと嫌みを言っているように聞こえると困るのですが、このブログでは社会的に、あるいはこの業界でニュースになった事象を取り上げているものですから、極めて特異な現象のように思われるのでやや長くなってしまいました。

黒田夏子さんはワープロで文章を書くのでしょうか。それとも手書きですか。