穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

レミゼラブルの長講釈に二種あり

2013-03-23 19:47:34 | 書評
まずポジション・レポートから。新潮文庫第五巻407ページ

さてレミゼの余談と言うか長講釈に二種類あることが分かった。

一つはユゴーは詩人としても大変な多作家だった。この才能が生かされて次から次へと比喩的表現が無限に連続して行く場合。

第二に、政談家あるいは代議士としてのマラソン演説の才能が出ている場合。最近は質問演説も反対演説も時間制限があるようだ。だから牛歩戦術なんてのがあるのだろうか。

昔は古今東西、法案の成立を送らせるためにマラソン演説の専門家がいた。反対演説を12時間も24時間もぶっ続けにやる。一種の嫌がらせだね。ユゴーは40代から代議士をやっていたからマラソン演説もやっていたに違いない。その才能が生かされた。

詩人としての豊富な表現力は恋愛場面で生かされ、マラソン演説の才能は時代講釈に生かされた。