読書をして、その内容のなにがしかを自己の栄養として取り込む変換率を言う。
オビや目次につられて買ってみたものの、ものの一ページも読まないで抛り出す場合(そういうのが多いが)を別として、我慢しながらでもせいぜい10ページ、20ページよんでなにがしかの価値を取り入れる効率を言うのである。
個体差があるから何とも言えないが、私の場合は5パーセントを超えることはない。頭が悪いから理解できないのだろう、って。いや、ごもっともなご指摘でござる。
ならすと、ずいぶん乱暴な話だが、2,30パーセントということではないか。これは著者、読者に最大限の敬意を払っているのだ。石油エネルギーを電気エネルギーに変換する効率もそのくらいじゃなかったかな。褒めているのである。
じゃ、なぜ本を買うのだ、いやまったくそこが問題である。早く言えば食事のようなものだろう。定期的にとらないと飢えてしまう。どんなにまずいものでも口にせざるをえない。戦場などで食料がなくなると、靴も食べるようになるという。
飯を食えばどうなるか。その大部分は糞になるのである。糞尿を処理するためには下水道が完備していなければならない。下水道工事は莫大な公共投資を必要とするインフラ整備である。
前回申し上げた通り、出版界では下水道インフラの整備が義務なのである。糞詰まりが解消すれば、食欲も回復し新本のはけがよくなることも明瞭である。社会的義務を果たすと同時に売上拡大にもなるのである。
前にも申し上げたとおり、古本屋はまったく役に立たない。出版業界はパソコン、家電にならってリサイクル事業を始めるべき時期である。なぜなら古本は再流通比率が(商業的に)きわめて低い。古紙再生としてリサイクルすれば環境問題の一助となる。