穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ハードボイルドといえば

2014-08-10 10:26:02 | 書評
ハードボイルドといえば、このブログの書評で大分前にかなりの分量を書いた。チャンドラー、ハメット、ロスマグ、M・スピレーンなど。この順番に書いた分量が多い。

もっともハードボイルといっても、どうも二つの定義があるようだ。文体に関するものと、主人公の行動の特徴に関するもの。

文体に関して言えば上記の作家でハードボイルドに該当するのはハメットの一部の作品とスピレーンだけだろう。

なぜ、またこんなことを書くことになったかというと、先日数日間旅行をした。ホテルで深夜目が醒めて眠れないときのためになにか文庫本を持って行こうと本棚を探していたところヘミングウェイの短編集に目を留めた訳である。

ヘミングウェイを読んだ時には全く感興が湧かなかったのであるが、ソファに寝転がってぱらぱらとページを繰りながら吟味をしていると、これが案外いける。眠れない時に10ページほど読むのにはいいだろう。ほかにめぼしい本が棚に見つからなかったことも有るし。

そういえば、ヘミングウェイもハードボイルと言われていたんじゃないかな。これは上記の定義によれば文体のことだろう。それとも主人公の行動規範だろうか。

というわけで、旅行中に新潮社の短編集「我らが時代」の三分の一ほど読んだかな。なかなかいいじゃないの、というわけだ。いいというのは感銘を受けたということでもない。才能を予感させたとでもいうか。

彼については、この短編集のほかにノーベル文学賞の対象になったという「老人と海」を読んだことがある。あまり感銘を受けなかった。テーマは私の好きな部類に入るのだが作品には感心しなかった。

で、一つの仮説をたてた。かれは加齢劣化型の作家か。それを検証しようと買ったのが「海流の中の島」。死後遺稿を出版した作品だそうだが、これが感心しない。もっとも、最初の方だけした読んでいないが。

なぜ買ったかと言うと、奥付をみるとこの小説が一番売れているようだ、というミーハー的な理由である。

加齢劣化型かどうか検証するためには「日は又昇る」を買わなければいけなかったね。我らが時代は彼の最初の本だから、次に読むのはその後に出た「日はまた、」だろう。