穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

Q(3)章 長州征伐の時に家出をした

2017-05-26 08:42:29 | 反復と忘却

しばらく前から百輛編成の貨物列車が近づいてくるような音が上空から轟いていたが、いきなりすべてを焼尽すようなマグネシウムの閃光が走り店内は真っ白になった。ガシャン、バリッ、ドカンと大音響が降ってくると同時に震度八以上の揺れがスターバックスの店を揺さぶった。明かりは全部消えた。

 午後三時とはいえ外はカワタレ時(彼は誰時)のような暗さで店内には十燭光ほどの光しか届かない。道路を疾駆する車は昼間からランプを点灯している。そのヘッドライトの光線が時々店内をぱっと一瞬照らす。

 店内にいた女性客はキャーとかギャーとか文字に転換不可能な彼女達特有の動物的絶叫をあげた。「おいでなすったな」と老人の声がテーブルの向うでした。その目は紫色に光っていた。しばらくすると上空の貨物列車の轟音はだんだんと遠ざかって行った。

 「西南戦争の時の田原坂での官軍の砲撃を思い出しますな」と老人は呟いた。我に返った平敷は「いったいお年はおいくつで」と聞いた。「当年取って十一歳でさあ」と老人は答えた。「えっ!」

 「文政十年と言うと190歳ということになりますね」と落雷にすっかり性根が飛んでしまった三四郎が機械的に独り言の様に口に出した。

「昔はね。還暦を過ぎると新しく数え直す。私なんか三回還暦を迎えてますな。最後の還暦から十年、当年とって十一歳でさ」

 「そうするとあなたは島津藩のお侍さんだったんですか」

老人はとんでもない、という様に体の前で手をひらひらさせた。「広島の山の中の水呑百姓のせがれでさあ。幕末からご一新の始め頃に一旗あげようとあちこちの戦争に飛び込んだ。うだつの上がらない百姓から這い上がれるかと思ってね」

「備中美作の宮本武蔵みたいですね。関ヶ原で一旗揚げようと飛び出して来た」

「そうさね、そんなところだな。とにかく生まれた所がひどい所でね。農閑期には出稼ぎに諸国を行商して歩かなければならない。毎年の様に河の水が溢れる。十歳の時には家族全員が洪水で死んだ。分家の分家でね。それで本家に引き取られたんだがまるで奴隷の様に働かされた。それでぐれてね、博打に手を出したりした。そのときに長州征伐があったのさ。幕府の大本営が広島に置かれたのでうまい汁を吸おうと家出をしてしまった」

 平敷が聞いた。「それでお侍になれましたか」

馬鹿を言っちゃ行けないというように老人は言った。「まず雑役夫に潜り込めればいいほうだ。その内にお侍に取り入ってうまく行けば足軽みたいなものになれるかもしれない」