穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

9-3:メルセデス

2018-10-10 07:19:08 | 妊娠五か月

 あちこちに散らばっていた書類を整理していた彼の姪が片付けが終わったらしく二人の傍にきて「コーヒーを飲む」と平敷に言った。「そうだな、頼む」と答えた。

「あなたは」とTに向かって問いかけた。言った。「は?」と言うと

「姪の摩耶がね、インスタント・コーヒーを買ってきたんだよ。向かいの喫茶店のコーヒーが口に合わないというのでね。濃すぎるというのだ。それで薄めに自分で調整できるからというので、インスタントを持ち込んだのさ。俺はいつもインスタントをスプーン一杯半にシュガースティック一本で作ってもらっているのさ。君はもっと濃いのがいいんだろう」と説明した。

「それではコーヒーはスプーン山盛り三倍に砂糖10グラムでお願いします」と頼んだ。

それを聞いて摩耶は目をむいた。やがてポツンと「砂糖10グラムというのは分からない。計量器もないし」

平敷が助け舟を出した。「そのスティックは細いからたしか3グラムだよ。見れば書いてあるだろう。3,4本をそのまま一緒に持ってきて」

  彼女は薬缶をガスレンジにかけた。食器棚を調べていたが三種類の違うコップを取り出して、それぞれに指定の量のコーヒーの粉を入れた。彼女は頭がいい。これなら各人の注文を間違えない。やがて薬缶がちんちんと鳴り出すと火を止めて熱湯を三つのコップに注意深く注ぎわけた。三人の前までトレイに乗せて運んできた。そして間違えないように注意しながらそれぞれのコップを各人の前においた。

大丈夫ですか、と彼女は心配そうにTを見た。Tと平敷は一口ずつ飲んで摩耶にうなずて見せた。Tのコーヒーは濃くいれてあった。

コーヒーも適当に冷めて二口三口飲んだところで摩耶が言った。

「この間買ってきた本は役にたたなかったの」とさっき脇で二人の会話を聞いていたらしくたずねた。

「そうだね、ややこしいことが書いてある割にはあまり役には立たないようだ」

「ごめんなさいね。よく分からなくて」

「いや、いいんだよ。おれにも分からなかったんだから。いまTに教えてもらって分かったくらいだから」

「そういえば、ねえ」と摩耶は埋め合わせをしなければいけないと思ったように話した。

「スティーヴン・キングのメルセデスっていう小説があるでしょう。読んだ?」

「いや読んでいないな。君はどうだ」とTに確認した。

「僕も知らないな」

「あたしが読んだ時にはこれは秋葉原事件を種にしているなと思ったのよ」

「ふーん、どうして」

彼女はバッグから煙草のパックを出すと一本振り出して火をつけた。うすい煙を口を窄めて細く上品に噴き出すと彼女は説明した。

「メルセデスってとても重い車らしいわね。二トンぐらいあるんですって。それを運転してアイドル歌手の講演会に入場しようと行列しているファンの列に突っ込んで大勢の人間をひき殺そうと計画して実行した青年のはなしなの」