穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

11-4:ドルゥーズ+ガタリの学際的手法

2018-11-03 07:51:14 | 妊娠五か月

自然科学どうし、あるいは社会科学どうしの学際的手法はやむを得ないというかそれぞれの分野が細分化していった経緯から「再統合」のようなことには創造的な結果に結びつく可能性があり意味がある。しかし哲学と科学(と称する分野)との学際的な寄せ鍋は「下品」な感じがする。

それは疑似宗教や新興宗教的手法を連想させる。新興宗教で自分の考えは科学的であると主張しないところはほとんどない。

DGのアンチオイデプスは表題どおり反エディプスコンプレックスだというが、どうも庇をかして母屋を取られているようだ。この「アンチオイデプス」はフロイト説に終始まとわりついている。また三角関係(父、母、子)は近代資本主義社会特有だという。だからエディプスコンプレックスには根拠がないと言いたいのだろう。しかし、そうかな、歴史を通底して今の家族関係は変わらないのではないか。もちろん核家族化ということはあるが親子の関係は歴史、東西を通底して変わっていないのではないか。

そこで著者二人は得意の学際的手法で未開社会のフィールドサーベイに助けを求めた。すなわち文化人類学者の助けを求めた。どうもご苦労様なことであった。この援用がうまくいったようにも思えない。強引すぎる。一つや二つのフィールド・サーベイから一般論を引き出すなど、インチキ健康食品の宣伝文句と異なるところがない。