まず訂正というか補足:
前にチャンドラーの悠々たる執筆態度から見て、金銭に追われて連載を書くとか、締め切りに追われたということもないようなので、財政的に生活に余裕があったのではないか、たとえば資産運用に長けた永井荷風のように、と推測したが、マクシェインの伝記を読むとそんなことは触れていないので保留しておきます。老妻シシーが資産家だったりしたのかもしれない。
さて、無聊に耐えかねてハメット再読を始めました。いろいろとチャンドラーと対照的だし、本人(泉下のチャンドラー)は気にしていなくても周りでヤイヤイ批評するのでこの機会に少々。
ふたりの経歴は対照的で、年齢はチャンドラーのほうが、6歳年上だが短編を発表し始めたのはハメットが10年近く早い。そしてハメットが40歳で執筆活動を中止してから5年後にチャンドラーは最初の長編「大いなる眠り」を発表する。
ハメットには学歴がない。7歳から新聞配達を始め14歳から丁稚として働く。21歳でピンカートン探偵社に入り数年間働く。チャンドラーはイギリスにわたり「ダリッジ・カレッジ・予備校」にはいる。いわゆるパブリック・スクールで大学への進学のための予備校である。親に子供を大学に進学させる余裕のない生徒の為に商業高校のようなコースもあった。彼は両方のコースを受講して大学には進まず、外務省のノン・キャリとして社会人生活を始める。しかし、半年でやめ、ジャーナリズムの世界の片隅に潜り込む。書評などの半端仕事をやっていたらしい。ダリッジというのいわゆるプレップ・スクールとして中のところであったらしい。
職歴も違う。ハメットはピンカートンをやめるとすぐに書き始めたが、チャンドラーはアメリカに戻り小さな石油会社に就職してやがて重役となる。不況とスキャンダルで会社を首になってから、45歳ごろから短編を書き始める。続く