穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

久しぶりに陶淵明を読む

2022-09-26 08:40:35 | 哲学書評

 五柳先生伝に「意に会する」文章あり。
『書を読むを好むも、甚だしく解するを求めず。意に会するもの有るごとに、すなわち欣然として食を忘る』
 哲学書と言うものは曖昧なものである。それは詩をしのぐ場合が多い。しかし、なるほど、うまいことを言うな、と思わず膝を叩いてうれしくなることがある。そんな時に食事を忘れるほど有頂天にはならないが、ま、そんな感じだ。
 その意味を「甚だしく、事細かに、根掘り葉掘り解(釈)し詮索する」のは大学の哲学教師に任せておけばよろしい。彼らはそれで飯を食っているのだから。