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北国製薬で開発しているコロナ薬の治験が順調に進んでいることは内外のメディアでも大々的に報道されるようになっていた。フリーの雑誌記者でいわゆるトップ屋の山本は北陸製薬と共同で開発しているというベンチャー企業の葵生物化学研究所を取材しようと電話で取材を申し込んだが連絡できなかったのでアポなしで直接取材することにした。
大宮駅のコンコースを改札口に向かった。駅から歩いて20分くらいのところにある葵研究所の入り口は閉まっていた。インタフォンを押しても応答音が聞こえない。近くの鋳物工場に行って従業員に聞くと「ああ、どこかに引っ越していったよ」と言った。研究所のドアには引っ越し先も閉鎖の挨拶もなかった。彼は北陸製薬に電話した。ワクチン開発を担当している部署に新しい連絡先を聞くと、驚いてそんな連絡は来ていないという。
開発が信じられないような極めて速いペースで順調に進んでいる状況は内外のメディアによって報道されていた。株価は敏感に反応して跳ね上がり続けていた。北陸製薬の時価総額は15兆円になっていた。従業員持ち株制度で持っている河野の株もベラボウな金額に膨れ上がっていた。四十五歳の彼はそろそろ引退しようかな、と連日白日夢を見てぼんやりしている。今度の成功で次の株主総会で取締役に抜擢されるのは間違いないだろう。ひょっとすると、いきなり常務に飛び級昇格するかもしれない。しかしな、と河野は考えた。それから先が長い。十二人もいる先任常務を飛び越して専務取締役、副社長、社長、会長となるには、成れたとして、長い道のりがある。45歳の彼はそろそろ引退の潮時かなとも考えた。カリブ海に別荘でも買って引退するのもいい。ひょっとすると、南仏かスペインにもう一つ別荘が買えるかもしれない。自家用機を持つのは無理としてもSSTで日本と別荘の間を飛び回って気楽に暮らすのもいいな、と夢見ていると目の前のデスクの上の電話が不吉な呼び出し音を発した。彼はぎょっとして心臓が一瞬停止した。本能的にその電話が凶報をもたらすものと直感したのだ。
電話は副社長からだった。「新聞記者の山本と言う人から電話があってな、葵研究所が引っ越して行方不明と言うのだ。どういうことになっているのだ」と咳き込んだ口調で詰問した。
「なんですって」と滑り落ちそうになった受話器を持ち直すと彼は「そんなことはありません」と答えた。
「彼は取材に来ると言ったが、こちらから連絡するからと言っておいた。すぐに調べて対処しなさい」というと記者の電話番号を教えた。
河野は葵研究所の電話番号を押した。テープの音声で「この電話は使われておりません」と言うと切れた。普通は「新しい連絡先は」と案内が続くものだが何もない。
とにかく、ほおっておくとますますまづいことになりそうなので河野は山本に連絡したが、話し中だった。数分おいてまた電話するとまだ話し中だ。相手はあちこちと関連先を取材しまくっているらしい。
彼はふと思いついて法務室に連絡した。葵研究所の設立登記を調べてもらうことにした。役員の住所や連絡先がわかるだろうと思ったのである。