「京立ち 石部泊まり」
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京・三条大橋かから大津の間は三里(11.8㎞)、大津から草津の間は
三里半六丁(14.4㎞)ある。そして草津から石部までは、二里半十七丁
(11.7㎞)、更に石部から水口までは三里半(13.7㎞)ある。
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当時の人は健脚を誇り、一日に10里(40㎞弱)は歩くと言われていて、
京都を朝出発すると、石部には夕方陽が暮れるまでには到着することから
このように言われた。流石に更に水口までは無理で、江戸へ下る旅人の多
くは、石部を最初の宿に選んでいた。
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近江国甲賀郡石部(いしべ)は「後ろの山を いそべの山といふ」と、
江戸時代の旅案内にある事から、昔は「いそべ」とも呼ばれていた。
宿の成立にも諸説有り、信長の統治下には近隣五か村が統合され、既
に「石部町」が形成されていて、何時頃からか定かではないが、今日で
はほぼ「いしべ」との呼称に統一されている。
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東海道51番目の宿場、石部の宿内人口は1600人余り、家数が458軒、
その内旅籠は32軒有った。京に近く貴人達にとっても最初の宿泊地と
しての需要が多く、本陣は幕府直轄と膳所藩直轄の小島本陣と三大寺
本陣の2軒が有った。
人口比では男性が800人余りで女性より僅かに多く、都に近く貴人の
宿泊も多く、公を憚ってか、宿場に遊女はいなかったらしい。
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旧道は左程広くは無く直線的である。沿道に立つ家屋は、平入りと
妻入りが入り乱れ、その中に比較的新しい家屋等も多くある。
町並に統一感は無く、何となく猥雑な感がする町である。
それでも所々では漆喰壁、虫篭窓、格子戸のある古い家等も見られ、
そこそこに宿場の雰囲気は感じられる。
旧道沿いには、清酒・香の泉を造る竹内酒造もある。(続)
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