「吹け波(ば)ふけ 櫛を買いたり 秋乃風」
伊丹生れの俳人で、東の芭蕉、西の鬼貫(おにつら)と言われた上島
鬼貫の句碑だ。貞享3(1686)年秋、東海道の旅の途中、ここに立ち寄
り「お六櫛」を買い求め、鈴鹿峠に向った時詠んだ句だと言う。
碑の近くに扇屋伝承文化館があり、本家櫛所の看板を掲げているが、
「お六櫛」を商う商家だったらしい。
中山道は妻籠宿の旅籠の娘・お六は、持病の頭痛を治したいと、旅人
の教え通り御嶽大権現に願掛けをした。すると「ミネバリという木で櫛
を造り、朝夕これで髪を梳かせば治る」とのお告げを聞いた。
お六は早速言われたとおりにすると、たちまち病は治ってしまった。
以後櫛は「お六櫛」と呼ばれ、木曽の名産品として作られるようになった。
「お六櫛」は、享保年間以降になると、中山道の薮原宿などで、旅の
土産として売られる様になる。今日では県知事指定伝統工芸品となり、
又文化庁の日本遺産の指定も受けている。
カバノキ科の固くて粘りのあるミネバリやイスを原料に、僅か10㎝に
も満たない幅に、凡100本もの歯を挽くと言う小さな櫛である。
櫛が土山にもたらされた経緯が説明されている。
「江戸は元禄の頃、伊勢参りを終えて当地に立寄った信濃国の職人が、
重い病を罹った。見かねた村人は、民家で手厚い看病をすると、幸い
一命を取り留め、無事京に向けて旅立つ事が出来た。
職人はそのお礼として櫛の製法を伝えた」という。
こうしてお六櫛は土山宿生里野村の名物となり、最盛期には十軒余の
業者が櫛に関わっていたらしい。
街道筋には「お六櫛商」を名乗る家号札も見られるが、家業としては
全て廃ったというから残念だ。(続)
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