「吹屋よいとこ 金吹く音が 聞こえますぞえ 窓坂え
吹屋よいとこ金掘るところ、掘れば掘るほど金が出る・・・」
こんのふうに俗曲で唄われた吹屋で有る。
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弁柄景気で沸いた吹屋で莫大な利益を得た商人達は、挙って競うよう
に豪邸を建て、赤い町並造りに貢献した。
その中心的な建物が、屋号を「胡屋(えびすや)」と言った国重要文化
財の「旧片山家住宅」である。
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宝暦9(1759)年の創業以来、200年余りにわたり「吹屋弁柄」の製
造・販売を手がけてきた老舗の建物である。
間口は10間と、豪商の邸宅にしてはそれほどでもないが、奥行きは何
と40間もあるうなぎの寝床で有る。
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その向が片山家の総支配人を務め、分家された家である。
今では「郷土館」として有料で室内が公開されている。
間口五間、奥行き16間の典型的な中級の商家造りは、石州の宮大工の手
になる建物で、「これほどの良材と大工の手の揃った家は世に少ない」
とまで言われる名建築とされている。
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当時の片山家は、吹屋地区では最大クラスで、中心的な豪商と言われ、
名字帯刀を許される勢いであった。
千余町歩の山持ちでそこから栗材や桜材など、選りすぐりの良材を切り
出し、建材としてふんだんに利用し豪邸を建て、造作にも凝ったという。
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その他にも、戸田家、藤森家、林家、那須家等多くの商家の建物が残
されている。
弁柄商を営んだ田村家の住宅主屋は、安政三年頃の建築といい、以降順
次増築され、昭和49年まで営業を続けていた。
これらの主屋は何れも入母屋造り平入り形式である。
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一方、城井田家や松浦本家等は、切り妻造りの妻入りで、家の構造は
必ずしも同じでは無く、当主の好みも反映されている様だ。
それでも、屋根・壁の外観には、町造りの統一感への配慮が当然なされ
ている。(続)
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