まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

笑う

2015-02-05 | 暮らし

小2の孫kouが、「面白くない・・」と、もらしたとき、「面白いこと見つけようか。」と言ったが、そんな気持ちの時に見つかるはずはない。

別の日に、学童へ迎えに行ったら楽しそうに遊んでいたので、その後帰りの車の中で、「楽しかった?」というと「うん、楽しかったぁ。」というので、「それは良かった。子どもの仕事って何か知っとる?」と、聞いたら「分からん」というので、「ばぁばは、笑うことやと思うよ。子どもが笑っとったら、みんなうれしいんや。」「おれ、おとうさんとおかあさんを、笑わせるよ。」「人を笑わせんでもいいんや。自分が笑えばいいんやと思うよ。」と、話した。その後、すぐ彼は妖怪ウォッチの話になったので、この話は消えた。

子どもは、親の意見は聞くが、ばぁばの押しつけの意見など聞かないと思う。でも、一応言うだけ言っておく。親の意見がなすびの花なら、婆の意見は何だろう。うるさいハエにならないようにしなければ。

違う日に、「おれ、子供の仕事知っとるよ。」と、言ってくれたので、「おおっ!すばらしい!!」と、言いながら、そういうわたしの仕事も「笑う」ではないかと思えた。

あれも、これも、笑い飛ばせっ!えっ、笑っちゃいます。それでいいのか?今度は、孫に言ったことが正しかったかどうか心配になってきた。 


一喜一憂

2015-02-05 | 暮らし

殿は、弓道において「的中に一喜一憂するな」と、言う。今まではそれは武道としての美学と思っていた。

さて、本当に一喜一憂しないことが良いのか。わたしは、騒がしいので、今の射はこうだ、ああだというが、それは次に進むためには必要なのではないかと思う。的中しないということは、原因があるわけだから、それをクリアしなくてはならない。

下りのエスカレーターに逆らって稽古をしているようなものだから、ぼっーーとしていたら、振り出しに戻ることになる。昇段し高みに上がる人は、必死で登り切ったに違いない。

人生も、成長期を過ぎたら、下りのエレベーターだ。「人生下り坂最高」と、火野正平さんは自転車で坂道を下っていくが、長い道を旅しているなら良いが、目の前にゴールが見えたら、下るのをほっておくのもどうかと思った。ここへきて病状がだんだん思わしくなくなってきて、今日の殿の食欲や、声のトーンに一喜一憂するわたしがいる。しかし、殿は黙って耐えている感じがする。今まで弱音も吐かなかった。それは美徳ではないと思う。もっと、じたばたしてもいいんだと思うと言った。泣きたいときは泣くべきだと言った。結局、ずっと押し込めて我慢しているから病気になるのではないかとも思えた。心配かけないように気を遣い、自分を律することが美徳のように。

そこで、わたしの「じたばたしたいのだけど。」という意見に、殿は「ありがとう。」と、言ってくれたので、では、大船とまでいかないが、わたしに任せなさい。悔いのないようにすぐに実行だ。道はまだある。そして、向かった先進医療。もう少し早く情報を知ればよかったかもしれないが、今がその時。

小百合は、大黒柱ではなく貝柱で、大船ではなく小舟で、要(かなめ)はきかずそそっかしいので、うまくいかないことも多いが、何もしないのはいかんと思う。本当は、いてもたってもいられないのだ。