まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

弓で迷う

2016-08-16 | 弓道

県体に出る前、殿の13キロの弓の入りきが強くなり、関板から弦がずれるので気になりだした。引きが気持ち良いのと、時折中りが出るので気にいっていたが、断念した。カーボンが入っているので、矯正をかけても難しいと弓具屋さんに言われ残念な感じ。張ってから時間が経過すると、とんでもない所に弦がある。この弓を手放すのもつらいが。

結局、寸詰まりの自分の弓で試合に出た。会に入ってからきついので日ごろの稽古不足を知らしめられる。調子がでないまま試合に臨み、ビクを抑えるために過去の「弓道誌」の「弓道は回転だ」を、思い出して読み直し、わたしの場合、会で緩むのでその時に回転を加えて離すことを考えながら引いていたら、運よく3中したが、2回目の立で気持ちよく離れるし、いい感じだと思っていたが、矢が1時にばかり抜けて最後に中てに行ったのがビクった。本日の初ビクだった。2回目の立でずっこけたので、わたしのせいで、団体1位から3位に転落。転落といいうことで、弓道は回転だとはこのことか。

 


年相応の夢

2016-08-16 | 暮らし

若い時は大きな夢を見る。日々、同じことを繰り返している両親をみて、自分はもっと夢のある仕事をするのだと思っていた。それが、日々の無事を願うようになってきた。

年を取るということは、夢をあきらめていくことだと誰かが言った。わたしは、夢の規模が小さくなっていくことだと思っている。それは、生きていくことの本当の基本に返っていくのだはないかとも思った。やたら、予定を入れてしまうのは、その日まで元気でいることを自身で約束しているような気がする。

左手の三指がずっとしびれているので、整形外科へ診察にいこうかなと思う。抗がん剤をしている時は、両手がしびれていた。たぶん、それとは違うと思うのは、3本の指だけなのと最近になって発症したからだ。指は動くので生活に支障はないが気持ちが悪いのである。治しに行こうと思う。これは夢ではない。願望か希望かわからないが、そういう分類をしたことがない。

夏休みに入って仕事が終日なので、父を見舞うのは週一回になってしまった。父が、手がしびれて箸が持てなくなったという。「いつ、治るんかなあ。」と、言う。母はあとでわたしに「父ちゃん、子どもみたいなこと言うとるね。90もすんだら年寄り病や。もう治らんのに。」と、言う。父の今の夢は、手のしびれが治ることと家へ帰ることなのだと思う。何気ない、わたしたちは普段当たり前のこととして過ごしていることが、生きることの夢なのか。

行くたびに、父のひげをそる。電気カミソリより、T字のかみそりで剃るほうがきれいになる。髭を剃りながら思う。父は「世話をかけるんなあ。ありがとう。」と、言う。今、こんなことしかしてあげられないのである。頑張れば、うちへ連れて帰られるかとも思うが、父も母もみんなに迷惑をかけるからと、それを望まない。

わたしには、まだ少しやりたいことがある。それを叶えたいと思うことがある。まだ、少し若いのかもしれない。そして、年を重ねて少しずつ諦めていくのかもしれない。