張り合うというと、意地の張り合いとか、ライバルと競い合うようなイメージだが、もう一つの意味の張り合いについて思った。
試合でなくても一緒に稽古しながら他の人と研鑽し合うことを、張り合いが出てきたという。
6年生だった3人の男子がコロナで弓道教室を中断され、6月に再開して道場は緊張もあるけれど、みんなも張り合いが出てきた感じがする。
コロナ騒ぎの間に中学生になった3人は、それぞれに頑張っている。
さて、ひとり稽古をしていて、もうひとつの張り合いが少し分かってきた。
弓を引く時に、縦と横に大きく伸び合う。
その時に、身体が左右対称に張り合う感じがすると妻手が軽く飛ぶ。
しかし、それは毎日引いていないと筋力が衰える年代に、毎回その張り合った後のぱっかーーんと切れるような離れは簡単にはできない。
張り合い以上に緩みが簡単に訪れるからだ。
それを、求めて毎回ずさっと地面に潜る矢にも希望をもたせて、何回も挑戦。
そうやって無為のように時間が過ぎていくのにやめられない。
先日、久々に部活が始まったkouが、「トスが悪くていい球が返せない・・」と、言った。
みんなコロナ休みでガタガタや・・とも言った。
そうやね。休んだら積み上げてきたものがみんな崩れると思うよ。
一回や二回でいい球が出るはずないから。
ばぁばは、試合で1本中てるのに100本以上外しているよ。
「なるほど」
簡単に中るんなら稽古しないさ。
「おー」という返事であった。
この孫との会話も、わたしの暮しの張り合いである。
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