殿が最後に何かしたいといって「写教」をしたり、「写仏」をしたりしていた。自分の気持ちが落ち着くことをしたかったのだろう。香を焚きながら、写経したり、仏様を書いたりしていた。残り少ない人生の最後の澄ましの時間だったように思う。
整理していたら、その時の写仏が出てきた。
その教材と一緒に説法が載っている冊子がついてくる。その中に「怒」があった。
あなたは、最近どんなことで怒りましたか?「どうして言ったことができないの?」「どうして人の話を聞かないの?」
怒りっぽい人は「絶対自分が正しい」という考えにとらわれているという特徴がある。自分の考えとは違うものを認めることができず、異質なものに対して心が反応し、イライラと怒りの感情が沸き起ってくる。
どうしたら怒りの感情を抑えられるのか。
自分が正しいという思い込みを持たないということ。自分が間違っていることがあるということを考えながら生活すると、何が正しいのかという探求心が生まれる。自分とは違う、自分には理解できない出来事の背景には何があるのだろうと、立ち止まって考えようというもの。
その説法の中で「正しいという字は、止まるの上に一と書きます。そう、何が正しいかは一度止まって見つめてみることで導き出されるのです。」と、あった。
わたしは、先日、母を病院に連れて行くときにイライラした。いつも何かがないと探す母に、同じところに仕舞うように言いきかせ、場所を変えることに腹を立てた。そんなわたしに、殿がこの「写仏」の意味を教えてくれたような気がした。このタイミングでひょっこりはん。
わたしは駄目だなあ。度量が小さいなあと思う。これから、どんどん予想外のことが起きてくる。予想外のことに驚かずに、止まって考えることは大事だなあと思う。