まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

予定が満載

2019-04-03 | 暮らし

夫の母親である婆さんは、今年90歳になる。すこぶる元気で、また耕運機を動かしジャガイモを植えた。ひとときも休まず動いている。冬仕事で、靴下カバーを編んだり、アクリルたわしを編んだりするのだが、たわしは使いきれないほどある。もういらないとは言えないので、娘たちにも分けるのだが、彼女たちは「まだ、あるし・・」と、言う。

それで、考えたのは、台所の暖簾に下げることにした。「とても可愛いので下げた」と言うと、嬉しそうだった。このたわしが減らない限り、まだあるよ・・ということである。これは良いアイデアだった。

時々、自分で頭が良いと思うことがある。そして、時々頭が悪いなと思うことがある。半分ずつだと卑屈にならずに生きていけそうだが、最近は忘れることもあって、それを一つと数えるとすると、4対6の割合となる。そういうくだらないことを考えるので、それも入れると3対7で、何とか辛うじて生きていけるのは、周りにいる人たちのお陰だと思う。

忘れると言えば、予定満載で日々カレンダーを眺めては、間違いのないようにと思っているが。

鞍掛山に登った帰りに、母の歯医者の日であったことを思い出した。電話すると「もう治ったし行かない・・」と、言う。そういう自分の歯医者も、4月1日だと思って診察券を見たら2日だった。危ない。「明日ですよ・・」と、言われるところだった。kouの入学式(5日)の日をカレンダーに書きながら、済んでしまった4/1のメモが自分で読み取れない。謎のままだが何事も起きなかったのでスルーしたが危ないのではないか?

3日の夜は体育協会の会議があって、6日は弓道大会の打ち上げがあって・・と、書いているうちに何もない日はいつなのだ?と思った。仕事はシフト勤務なので、これだけは間違えることは許されない。で、金曜はmomoたちが泊まりに来るという。

友達同士で集まると「中ばぁばは大変やね」と、言い合う。年寄婆さんと孫の面倒を見なくてはならず、孫が大きくなると、いよいよ年寄り婆さんとなるわけだ。忙しく、頼りにされているうちが花なのである。

 

 

 


親子4世代で

2019-04-02 | 暮らし

遂に、新元号が決まった。その瞬間を孫と一緒にTVを観ていて、ずっとこの日を覚えていてくれたらいいなと思った。

婆さんも自分の部屋で観ていて、4世代でこの日を迎えることが出来たのは凄いねって娘とラインで言い合った。

この日、長く勤めた会社の東京の取引先の元社長から電話があって、Nさん(79)の訃報を知らされた。後で、句が送られてきた。

  令和の名 聞かず旅立つ 卯月入り

お別れをする人が増えていくということは、それだけ自分も年を重ねたのだと思う。

昨日、なぜか取っていない新聞社の号外が入っていた。それには、元号総覧が載っていて、飛鳥時代の大化から始まって200以上あって、その中で南北朝時代にはふたつあったのだということを初めて知った。いかに、興味がなかったことか。

「どういう名前になると思いますか?」などと聞いていた中に「安永」というのがあったけれど、江戸時代にあったのだ。ついでに言うなら、安倍さんの苗字と被ったら大変だと瞬間に思った。

何はともあれ、良かった良かった。娘たちは「R1グランプリ」と、言っていた。吉本興業は大喜びだろう。真摯に受けとめなくてはならないのに、すみません。


膝が痛い

2019-04-01 | 弓道

加賀市弓道場開設記念大会があった。金曜に鞍掛山に登り、土曜日の夜は武道館の3階のまでの階段を折りたたみの椅子を運んだり、じゅうたんを運んだりした。山に登るより楽であると調子に乗っていた。

翌日、日曜の大会の日、朝3階から2階へ下りるとき膝に痛みが出た。その後、ずっと痛くて、試合が立射でよかった。わたしの膝は過去に半月板を損傷しているが、今まで山に登っても大丈夫だったのに、どうも階段をガシガシ上り下りするのは良くないような。重いものを持つのも良くないような。

県内唯一の室内弓道場で、41回目の大会で、おまけに平成最後の大会である。会員が減って、大会準備は大変である。

無事終了したものの足を引きずるありさまだ。殿の友達が「この前、中日本、良かったなあ・・上手になったんやね」と、握手してくれたというのに、今日は無残な結果だった。矢は元気に上ばかり行って、気持ちはダウンだ。

一生懸命のご褒美が膝痛とは・・。後輩の20代のM君も膝が痛くなったという。若者も痛いということは、加齢ではなく過労に違いない。婆さんの「経皮鎮痛消炎剤」という塗り薬や、貼り薬を分けてもらった。薬仲間が増えたようで婆さんは嬉しそうだった。