アラン・オクタヴィアン・ヒュームの屋敷の跡。
ジャクー寺院に向かう途中にある。
あまり目立たないのだが道の左手にある。
最初の門はこんな感じ。城壁があるのでかろうじて城だと解る。
門の左側には見張り塔らしい物もあった。
壊れた門の右側にはロズニー城と書いてあり、
左側には現在の所有者なのか「ラジェンダ・モハ」と表札がある。
中央には立ち入り禁止と書かれている。
坂を上って行くと・・・本来はこちらが正門だと思われる、
大きな門の先に屋敷が見える。改修してあるのだろう。
今ではとうてい城には見えない。
アラン・オクタヴィアン・ヒュームと言うのは、大英帝国の役人で、
かなりの変わり者だったらしい。
1846年にインドの官史になり植民地政府で出世していったが、
インド国民に対する酷い扱いを見て社会改革者となった。
現在のインド政党の国民会議派の設立に貢献した。
その他、鳥類の剥製のコレクションがアジア最大だったり、
魔術を研究したり、チベット仏教の僧になろうとしたり・・・
これは本物の変わり者である。
にほんブログ村
ジャクー寺院に向かう途中にある。
あまり目立たないのだが道の左手にある。
最初の門はこんな感じ。城壁があるのでかろうじて城だと解る。
門の左側には見張り塔らしい物もあった。
壊れた門の右側にはロズニー城と書いてあり、
左側には現在の所有者なのか「ラジェンダ・モハ」と表札がある。
中央には立ち入り禁止と書かれている。
坂を上って行くと・・・本来はこちらが正門だと思われる、
大きな門の先に屋敷が見える。改修してあるのだろう。
今ではとうてい城には見えない。
アラン・オクタヴィアン・ヒュームと言うのは、大英帝国の役人で、
かなりの変わり者だったらしい。
1846年にインドの官史になり植民地政府で出世していったが、
インド国民に対する酷い扱いを見て社会改革者となった。
現在のインド政党の国民会議派の設立に貢献した。
その他、鳥類の剥製のコレクションがアジア最大だったり、
魔術を研究したり、チベット仏教の僧になろうとしたり・・・
これは本物の変わり者である。
にほんブログ村