ご存知の通りインドはパキスタンの事を良く思っていないが、
実は中国の事も良くは思っていない。
やはり国境を接している国同士は仲が悪いようだ。
スポーツ物も含めて対パキスタンの映画は多いのだが、
今回、対中国の映画は初めて観た。
先日、ヒンディー語を習った学校へ行ったのだが、
新学期が始まって2週間以上も経過していると言うのに、
学生の半数を占めるはずの中国人留学生が一人もいなかった。
どうやらビザがおりないらしい。昨年も最初は3ヶ月ビザで入国し、
インド国内で延長手続きを強いられ1ヶ月も要していた。
それを聞いてインドと中国の間には問題があるんだなぁと思っていた。
ちなみにパルタンとはヒンディー語で軍の連隊と言う意味。
<ストーリー>
映画は普通の家庭に郵便局員が戦死の知らせを配達するシーンから始まる。
1962年のインド・中国戦争の5年後の1967年、
シッキムのインドと中国の国境ナトゥ・ラが舞台の実話である。
当時のシッキムは1947年のインド独立によって、
イギリスの統治をインドが継承する事にはなっていたが、
中国が自国の領土であると主張し1962年に戦争が起きた。
その後、実際にシッキム州としてインドに併合されたのは1975年の事である。
私は今年4月にシッキム州に行って来たが、
西部はネパール、北部は中国(チベット)、東部はブータンと国境を接している。
そのため外国人はパーミット(入境証)が必要となり、
訪問できる場所が限られている。
ジャンム・カシミール州のレーに比べると州都ガントク周辺では、
軍人を見かける事も少なかったし、軍の施設も多くはなかった。
わずかな石を積み重ねた国境を境に、
中国軍とインド軍が基地を設営しにらみ合っている。
毎日のように威嚇と挑発が続き、発砲こそないが小競り合いは頻繁に起きていた。
中国軍にはヒンディー語に精通した指揮官と兵士がおり、
インド軍も中国語を理解する兵士を中心に議論を繰り広げる。
中国軍の指揮官はいつも「インドと中国は兄弟だ。」と議論や衝突を納めていた。
インド軍のサガット・シン将軍(ジャッキー・シェロフ)はそこに、
ライ・シン中佐(アルジュン・ランパール)の小隊を合流させる。
9月11日の朝インド軍は命令に従って、国境に有刺鉄線の柵を建設し始める。
中国軍はそれに反発し一人の兵士が指揮官のライ・シン中佐を銃で殴る。
その時は大きな事件にはならなかったが、
ある日、今度はインド軍の兵士が中国軍の指揮官を殴った事から、
中国軍の指揮官は独断で攻撃開始を命令する。
柵を建設している所にいきなり銃撃を開始する中国軍。
柵のすぐ内側に自軍の兵士がいるにもかかわらず、
背中から銃撃したので最前線の見方の兵士も撃たれてしまう。
インド軍も反撃を開始し激しい戦闘が続く。
勇敢な兵士たちの命と引き換えの攻撃でインド軍は犠牲を払ったが勝利する。
インド軍と中国軍はお互いに国境を越えて遺体を自国に引き取る。
戦死した兵士の遺体はその場で荼毘に付され、
遺品と遺灰が家族の元に届けられるシーンで終わる。
小競り合いのシーンが延々と繰り返され長い感じは否めなかったが、
私はアルジュン・ランパールをずっと観ていられたので満足だった。
アルジュン・ランパールの両祖父は軍人だったらしい。
彼はこの役に特別な物を感じているし、
他の出演者も国の為に命をかけて戦う人々の為に、
戦争や軍人をテーマにした映画をもっと作るべきだと述べていた。
この映画は主だったキャストの家族関係なども織り交ぜ、
戦争の悲惨さを教えると共に軍人に対して敬意を払うべきだとも語っている。
国民性の違いを感じたのは兵士が手榴弾を使って中国軍の中に飛び込み、
敵方の兵士共々自爆するシーン。日本人であれば涙するであろう。(私はね)
しかしインド人は大喝采だった。一人で大勢をやっつけた!って事らしい。
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実は中国の事も良くは思っていない。
やはり国境を接している国同士は仲が悪いようだ。
スポーツ物も含めて対パキスタンの映画は多いのだが、
今回、対中国の映画は初めて観た。
先日、ヒンディー語を習った学校へ行ったのだが、
新学期が始まって2週間以上も経過していると言うのに、
学生の半数を占めるはずの中国人留学生が一人もいなかった。
どうやらビザがおりないらしい。昨年も最初は3ヶ月ビザで入国し、
インド国内で延長手続きを強いられ1ヶ月も要していた。
それを聞いてインドと中国の間には問題があるんだなぁと思っていた。
ちなみにパルタンとはヒンディー語で軍の連隊と言う意味。
<ストーリー>
映画は普通の家庭に郵便局員が戦死の知らせを配達するシーンから始まる。
1962年のインド・中国戦争の5年後の1967年、
シッキムのインドと中国の国境ナトゥ・ラが舞台の実話である。
当時のシッキムは1947年のインド独立によって、
イギリスの統治をインドが継承する事にはなっていたが、
中国が自国の領土であると主張し1962年に戦争が起きた。
その後、実際にシッキム州としてインドに併合されたのは1975年の事である。
私は今年4月にシッキム州に行って来たが、
西部はネパール、北部は中国(チベット)、東部はブータンと国境を接している。
そのため外国人はパーミット(入境証)が必要となり、
訪問できる場所が限られている。
ジャンム・カシミール州のレーに比べると州都ガントク周辺では、
軍人を見かける事も少なかったし、軍の施設も多くはなかった。
わずかな石を積み重ねた国境を境に、
中国軍とインド軍が基地を設営しにらみ合っている。
毎日のように威嚇と挑発が続き、発砲こそないが小競り合いは頻繁に起きていた。
中国軍にはヒンディー語に精通した指揮官と兵士がおり、
インド軍も中国語を理解する兵士を中心に議論を繰り広げる。
中国軍の指揮官はいつも「インドと中国は兄弟だ。」と議論や衝突を納めていた。
インド軍のサガット・シン将軍(ジャッキー・シェロフ)はそこに、
ライ・シン中佐(アルジュン・ランパール)の小隊を合流させる。
9月11日の朝インド軍は命令に従って、国境に有刺鉄線の柵を建設し始める。
中国軍はそれに反発し一人の兵士が指揮官のライ・シン中佐を銃で殴る。
その時は大きな事件にはならなかったが、
ある日、今度はインド軍の兵士が中国軍の指揮官を殴った事から、
中国軍の指揮官は独断で攻撃開始を命令する。
柵を建設している所にいきなり銃撃を開始する中国軍。
柵のすぐ内側に自軍の兵士がいるにもかかわらず、
背中から銃撃したので最前線の見方の兵士も撃たれてしまう。
インド軍も反撃を開始し激しい戦闘が続く。
勇敢な兵士たちの命と引き換えの攻撃でインド軍は犠牲を払ったが勝利する。
インド軍と中国軍はお互いに国境を越えて遺体を自国に引き取る。
戦死した兵士の遺体はその場で荼毘に付され、
遺品と遺灰が家族の元に届けられるシーンで終わる。
小競り合いのシーンが延々と繰り返され長い感じは否めなかったが、
私はアルジュン・ランパールをずっと観ていられたので満足だった。
アルジュン・ランパールの両祖父は軍人だったらしい。
彼はこの役に特別な物を感じているし、
他の出演者も国の為に命をかけて戦う人々の為に、
戦争や軍人をテーマにした映画をもっと作るべきだと述べていた。
この映画は主だったキャストの家族関係なども織り交ぜ、
戦争の悲惨さを教えると共に軍人に対して敬意を払うべきだとも語っている。
国民性の違いを感じたのは兵士が手榴弾を使って中国軍の中に飛び込み、
敵方の兵士共々自爆するシーン。日本人であれば涙するであろう。(私はね)
しかしインド人は大喝采だった。一人で大勢をやっつけた!って事らしい。
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