いつもバスで通っている通りから見えた遺跡。
なんだろう・・・とずっと思っていたが、
あえて下車してまで見る価値があるのか解らなかった。
場所はデリーの南側、ビカジカマプレイスである。
特に用事もない場所である。
さて、ついにその日はやって来た。
わざわざ下車したわけではなく近所のカフェからの帰り道、
思い出したので、バス停を一つ先まで歩いて行ってみた。
通りからは公園を挟んで向こう側に見えていた。
近づいてみる。入口に看板があった。
遺跡の名前は「ティーン・ブルジュ」ヒンディー語で3つのドームと言う意味だ。
ぱっと見は一つの建物のようだが、中には3つ部屋があった。
建物の真ん中に入口があり看板が出ていた。
それほど高くない建物の開いている入口から中が見えた。
イスラム教の墓石である。
真ん中と右側の部屋には墓石が並んでいたが、
左側に部屋の中は空っぽだった。
看板を読んでみる・・・。
この大きな墓は、モスクとして一般的に使われている建築様式であり、
当初はモスクとして建設されていた可能性が高い。
いずれもローディー時代の物で建物は建築上の価値がある。
建物の大きさは幅が56.4m、奥行きは18m、
3つのドームで構成されており、その中心には半球形のドームエリアがある。
ローディー朝(1451~1526年)は、
デリー・スルターン朝の5番目のアフガン系イスラーム王朝で、
ガンジス川流域とパンジャーブ地方を中心に支配していた。
首都はデリー、アーグラ。
実際の所、これが誰の墓なのかは記載がないので解らないが、
名のある人ではないのだろう。
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なんだろう・・・とずっと思っていたが、
あえて下車してまで見る価値があるのか解らなかった。
場所はデリーの南側、ビカジカマプレイスである。
特に用事もない場所である。
さて、ついにその日はやって来た。
わざわざ下車したわけではなく近所のカフェからの帰り道、
思い出したので、バス停を一つ先まで歩いて行ってみた。
通りからは公園を挟んで向こう側に見えていた。
近づいてみる。入口に看板があった。
遺跡の名前は「ティーン・ブルジュ」ヒンディー語で3つのドームと言う意味だ。
ぱっと見は一つの建物のようだが、中には3つ部屋があった。
建物の真ん中に入口があり看板が出ていた。
それほど高くない建物の開いている入口から中が見えた。
イスラム教の墓石である。
真ん中と右側の部屋には墓石が並んでいたが、
左側に部屋の中は空っぽだった。
看板を読んでみる・・・。
この大きな墓は、モスクとして一般的に使われている建築様式であり、
当初はモスクとして建設されていた可能性が高い。
いずれもローディー時代の物で建物は建築上の価値がある。
建物の大きさは幅が56.4m、奥行きは18m、
3つのドームで構成されており、その中心には半球形のドームエリアがある。
ローディー朝(1451~1526年)は、
デリー・スルターン朝の5番目のアフガン系イスラーム王朝で、
ガンジス川流域とパンジャーブ地方を中心に支配していた。
首都はデリー、アーグラ。
実際の所、これが誰の墓なのかは記載がないので解らないが、
名のある人ではないのだろう。
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