『 富士山の南斜面から地表近くの永久凍土が消滅したとみられることが、静岡大の増沢武弘教授(植物生態学)らの調査でわかった。
16~17日に開かれる富士学会で発表する。 静岡大学www.shizuoka.ac.jp)と国立極地研究所(藤井理行所長 www.nipr.ac.jp/outline/index.html )は共同で1976年から、南斜面の標高2500メートル以上の約100か所で測定した地中温度を分析し、永久凍土の分布状況を推測している。 増沢教授によると、地下約50センチで永久凍土が存在する下限は、76年に3200メートル付近だった。98年は3300メートル付近に上昇し、2008~10年の調査で初めて下限が確認できなかった。 気象庁によると、富士山頂の年平均気温は、76年が氷点下7・2度で、09年が氷点下5・9度に上昇している。また、標高2500メートル付近が生育上限とされていたイネ科のイワノガリヤスが山頂付近で自生しているのが確認されたという。 増沢教授は「(南斜面からの永久凍土消滅は)地球温暖化の影響以外に考えられない。富士山の植生が大きく変化する可能性がある」と話している。 』最終更新:10月16日(土)3時3分読売新聞
日本人の心と山の象徴、富士山、日本の山と言えば日本一高い富士山の山の異変です。富士山の南斜面から地表近くの永久凍土が消滅したとみられることが静岡大学増沢武弘教授(植物生態学)らの調査で分かりました。やはり地球温暖化の影響で富士山の自然環境が破壊されたとしか言いようが有りません。地球温暖化の影響は今の日本には出ていないと言う専門家の主張も有り、富士山の永久凍土の消滅を見る限り地球温暖化による富士山への自然生態系の影響と思われます。地球温暖化が進めば富士山の山頂に雪の積もらない富士山の姿となる時代も来るのではないでしょうか。日本の自然の財産、富士山の自然を保護する為に今後とも静岡大学と国立極地研究所は共同で調査を進めて下さい。
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富士山
富士山(ふじさん、英語表記:Mount Fuji)は、静岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山。
標高3,776m。日本最高峰(剣ヶ峰)[1]であるとともに、日本三名山(三霊山)、日本百名山・日本の地質百選のひとつでもある。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。1952年(昭和27年)に特別名勝に指定された。
概要
富士山の優美な風貌は、国内のみならず海外でも日本の象徴として広く知られている。芙蓉峰・富嶽(富岳)などとも呼ばれる。古来より歌枕として著名である。
古来より霊峰といわれ、富士山を開いたのは、平安末期の1149年(久安5年)山頂に一切経を埋納した富士上人と称された末代であると伝えられている(『本朝世紀』)。
江戸時代後期の1800年(寛政12年)まで富士山は女人禁制であった。富士山の登山は歴史上で最古の富士登山道である村山口から大きく発展した。外国人として初めて富士山の登頂をなし得た人物として、1860年のラザフォード・オールコックの登山とされている。
富士山麓周辺には観光名所が多くある。また、登山道は、富士宮口、須走口、吉田口、御殿場口などがある。
山頂は最暖月の8月でも平均気温が6℃しかなく[2]、ケッペンの気候区分では最暖月平均気温が0℃以上10℃未満のツンドラ気候に分類される。
地質学上の富士山
地質学上の富士山は典型的な成層火山であり、この種の火山特有の美しい稜線を持つ。
現在の富士山の山体の形成は、大きく四段階に分かれる。
- 先小御岳
- 小御岳
- 古富士
- 新富士
この中で先小御岳が最も古く、数十万年前の更新世にできた火山である。東京大学地震研究所が2004年4月に行ったボーリング調査によって、小御岳の下にさらに古い山体があることが判明した。この第4の山体は「先小御岳」と名付けられた。
古富士は8万年前頃から1万5千年前頃まで噴火を続け、噴出した火山灰が降り積もることで、標高3,000m弱まで成長した。山頂は宝永火口の北側1?2kmのところにあったと考えられている。
2009年10月に、GPSによる富士山の観測で地殻変動が確認された。これは1996年4月の観測開始以来初めてのことである。この地殻変動により最大2センチの変化が現れ、富士宮市-富士吉田市間で約2cm伸びた。これはマグマが蓄積している(活火山である)現れとされている。[3]
富士山の噴火
詳細は「富士山の噴火史」を参照
最終氷期が終了した約1万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、溶岩を大量に噴出した。この溶岩によって、現在の富士山の山体である新富士が形成された。その後、古富士の山頂が新富士の山頂の東側に顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,500?2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大規模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして崩壊してしまった。
新富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前?約8,000年前の3,000年間と、約4,500年前?約3,200年前の1,300年間と考えられている。これ以降、山頂部からの噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が断続的に発生している。
延暦19年 - 21年(800年 - 802年)に延暦噴火、貞観6年(864年)に貞観噴火。最後に富士山が噴火したのは宝永4年(1707年)の宝永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4cmの火山灰が降り積もった。また、宝永大噴火によって富士山の山体に宝永山が形成された。その後も火山性の地震や噴気が観測されており、今後も噴火の可能性が残されている。
宝永大噴火以来300年にわたって噴火を起こしていないこともあり、1990年代まで小学校などでは富士山は休火山と教えられていた。しかし先述のとおり富士山にはいまだ活発な活動が観測されており、また気象庁が休火山という区分を廃止したことも重なり、現在は活火山としている。
噴火に関する記録
噴火の年代が考証できる最も古い記録は、『続日本紀』に記述されている、天応元年(781年)に富士山より降灰があったくだりである。平安時代初期に成立した『竹取物語』にも、富士山が作品成立の頃、活動期であったことを窺わせる記述がある。平安時代中期の『更級日記』には、富士山の噴気や火映現象を表わした描写がある。
宝永大噴火についての記録は、新井白石による『折りたく柴の記』をはじめとした文書、絵図等により多数残されている。
その後も、噴煙や鳴動の記録は多く残されているが、記述から見て短期間かつ小規模な活動で終わったものと推測される。
伏流水
富士山に降った雨や雪は、長い年月をかけ伏流水として地下水脈を流れ湧き出てくる。
溶岩洞窟
富士山麓周辺には大小100以上の溶岩洞窟が形成されている。
その中でも総延長2139mの三ツ池穴(静岡県富士宮市)は溶岩洞窟として日本一の長さを誇る。また、山麓周辺で最大規模の溶岩洞窟として西湖コウモリ穴(山梨県南都留郡富士河口湖町)があり、国の天然記念物に指定されている。その他、鳴沢氷穴(山梨県南都留郡鳴沢村)も国の天然記念物に指定されている。
生態系
富士山は標高は高いが、日本の他の高山に比較すると高山植物などの植生に乏しい。これは富士山が最終氷期が終了した後に山頂から大規模な噴火が繰り返したために山の生態系が破壊され、また独立峰であるため、他の山系からの植物の進入も遅れたためである。しかし、宝永山周辺ではいくらか高山植物が見られる。
中部山岳地帯の高山の森林限界の上にはハイマツ帯が広がっているのが通例であるが、富士山にはハイマツ帯は欠如し、その代替にカラマツ林が広がっている。
富士山の森林限界付近のカラマツ林
(富士山北西斜面、奥庭 2009年5月)
富士山頂
山頂の構造として、富士山の噴火部である「大内院」があり、それを囲むようにして八神峰がある。八神峰の1つに3776mの剣ヶ峰がある。
大内院の構造は、国土地理院によると、最深部の標高が3538.7m、火口の深さは約237m、山頂火口の直径は780m、火口底の直径は130mとある。[4]
宝永山
宝永山(ほうえいざん)は宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した側火山(寄生火山)である。富士山南東斜面に位置し標高は2,693 mである。宝永山の西側には巨大な噴火口が開いている。これらは間近で見ることができ、そのための登山コースも整備されている。
詳細は「宝永山」を参照
防災対策
- 火山噴火予知連絡会(気象庁) - 富士山のみを限定するものではないが、日本の火山活動についての検討を実施する。状況に応じて見解を発表するが、噴火の日時を特定して発表することはない。定例会は年3回実施されるが、噴火時には随時開催される。2000年10月に富士山の低周波地震が増加した際は、ワーキンググループが設置され、富士山に関する基礎データの収集・整理、監視体制の検討、火山情報発信の方法など