教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

花火と桜花・・・人を魅了するもの

2011年08月15日 22時24分01秒 | ブログ

ブログ:桜和尚の震災復興応援歌”死を見つめ 今を生きる”「これからのお墓を考える」こんなテーマでブログを始めたのが今年2月、ところが3/11大変なことが起こりました。今、住職する岩手一関と故郷石巻を中心に、こんな時僧侶として何ができるか?を、悩みながら書いています。

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テーマ:鎮魂と復興の桜を植える
2011年08月13日(土) 18時00分28秒

追悼と復興の花火を打ち上げるイベント”ライトアップニッポン”が11日に、東北11か所で開催されました。

このイベントの中心人物、高田さん(東京のサラリーマン)は震災後、都内の花火大会が次々と中止されることを知り、この花火を東北の為に使えないかと思いついたというのです。

そこで終末、東北に何度も足を運び、各地を回りながら関係者を説得したといいます。

ところが4月頃は「花火より金を回してくれ」というような、ネガティブな声が多かったそうです。

だんだんと時間が経つと、人の心も変わって来るのでしょうか、花火を上げたいというポジティブな考えに変わってきました。

それにしても、8月11日に東北11か所で打ち上げる現地を、よくまとめたと思います。

熱い花火への気持ちが、主催者と現地で互いに重なり、伝わったのでしょう。

私が活動する”てあわせ桜”とも想いや発想がすごく重なるものがあって興味深く感じました。

目的も鎮魂と復興の花火であれば、桜の植樹も同じことです。

また、人は”花”に引き付けられるのだ・・と感じました。

花火と花(桜)は同じだからです。

パッと咲いて、パッと散る。花も散るから美しいし、花火もまたシカリ。

この一瞬が日本の美の原点であり、やはりその根底には、無常観があるのだと思うのです。

この一青年の東北への想いと、花火への情熱が花開いたイベントでした。

私も情熱では負けないつもりです。

少しずつ、点から線へ、日本一の桜ロード、万里の桜堤防を東北の太平洋沿岸に築いていきたいと思います。

引用元http://ameblo.jp/enisinet-j/

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●ハートチャクラ▲29日目■横山光輝の白峰365日語録

2011年08月15日 19時46分54秒 | 悩み

■感動・感激・感謝で、ハートチャクラが開く

あなたは、感動してますか?感激してますか?感謝してますか?

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終戦から66年、戦没者追悼式に7200人

2011年08月15日 13時49分51秒 | ニュース
ここから本文です

産経新聞 8月15日(月)12時23分配信

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全国戦没者追悼式の開始を前に席に着く、全国から集まった遺族ら=8月15日午前、東京都千代田区の日本武道館(撮影・早坂洋祐)(写真:産経新聞)
 『66回目の終戦の日を迎えた15日、政府が主催する全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。天皇、皇后両陛下のご臨席のもと、菅直人首相や東日本大震災の被災地を含む全国各地の遺族ら約7200人が参列。戦争の犠牲となった軍人・軍属約230万人、一般市民約80万人の計約310万人の冥福を祈るとともに、平和への誓いを新たにした。
 式典は正午前に始まり、両陛下のご入場後、参列者全員で国歌を斉唱。菅首相の式辞の後、正午の時報とともに1分間の黙とうがささげられ、天皇陛下がお言葉を述べられた。
 その後、遺族代表で父をフィリピン沖で失った甲府市の河西佐智子さん(67)や衆院議長らが追悼の辞を述べ、参列者代表らが献花。西岡武夫参院議長は体調不良のため出席を取り止めた。
 厚生労働省によると、戦後66年を迎え、戦没者遺族の高齢化と世代交代が一層進んだ。参列予定者4896人のうち、昨年1人いた戦没者の父母はゼロに戻り、妻も昨年から2人減って43人(0・9%)に。一方、子供は3180人で64・9%となった。
 参列遺族の最年長は、夫が中国雲南省で戦死した東京都の馬場宮子さん(97)。曽祖父が沖縄戦で戦死した沖縄県の宮城海皇ちゃん(5)は、平成21年に続き2回目の最年少者となった。 式場の日本武道館では、東日本大震災後の節電対策の一環として冷房を控えめにする代わりに、会場内に氷柱を設置し、厳しい暑さをしのいだ。』
大東亞戦争開戦後、太平洋戦争後66年の終戦記念日の今日、未だ帰れぬ戦没者の遺骨115万の遺骨が、海外の戦地、外地の野戦に元最前線の戦地に野ざらしにされ未だに放置されているのです。一部南方島では、御遺骨が見世物にされていると言うでは有りませんか。地形も風雨にさらされ変わり遺骨収集も困難になっていると思います。日本の国の為に闘った英霊を粗末に扱っている国は、当の洋西を問わずに国では日本国だけでは有りませんか。生き残り日本に帰還された元戦友も残された遺族の方々も高齢化し日本の草葉の下です。日本国が、左右を問わず最期の御一人りまで御遺骨を収集し民間団体に依存せずに日本に御帰り願うのが国家の責任と義務と思います。一銭五厘の赤紙で召集して置いて後は知らないでは政治家も無責任過ぎます。戦前日本帝国陸軍の歩兵嵐116師団第109連隊の一員として中支派遣軍の一員として、機関銃手として7年間野戦、最前線で毛沢東の八路軍や蒋介石の国民党軍やアメリカ空軍の戦闘機と野戦で闘った亡き父は、成都飛行場の決死隊に志願し負傷し頭に砲弾の破片右目を負傷し片目で両肩も両足も両手迫撃砲弾の破片が入ったままあの世に旅立ちました。戦死した戦友は、中支の中国の土に埋め認識票と手を切り落とし内地に送ったと言いました。テレビ番組の戦争番組は実戦とは違い皆撃たれて死んでいると言い死ぬまで見ませんでした。戦争は、テレビドラマのように括弧の良いものでも無く、最前線で闘った実戦経験の無い人間には戦争の悲惨さが分からないといつも生前言っていました。戦友はほとんど戦死したと言っていました。戦争は二度としてはいけないが亡き父の遺言です。戦後66年の終戦記念日に今日の日本の平和と繁栄は、若き人達の貴い血と命と引き換えに築かれていると言うことを忘れてはなりません。約230人の戦没者の皆さん方に最敬礼です。戦没者の皆さん方の御冥福を心から御祈り申し上げます。戦没者の皆さんと父の戦友に良く戦地の歌い上がられている「暁に祈る」と「戦友の歌」「麦と兵隊」をお贈り申し上げます。

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YouTube: 暁に祈る 伊藤久男

戦友

戦友

  • 再生時間:03:25
  • 投稿日:2007年10月28日
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戦争知らない菅直人首相は、第3の開国を唱えるなら、西郷隆盛翁の涙と中曽根康弘元首相の思いを知れ!

2011年08月15日 12時48分50秒 | 国際・政治
2011年08月14日 22時29分53秒 | 政治
◆「8月15日」を終戦記念日というか、敗戦記念日というか。いつも悩むところである。終戦記念日というと戦後66年がまったく平和時代だった決め付けてしまわなくてはならないけれど、日本は間接的に米国が行った戦争に加担してきたから、どうも割り切れない。敗戦記念日というと、負けたことへの無念さが感じられ、次の戦争には、必ず勝つぞという何か時代錯誤に陥っている感があり、これも違うような気がしてならない。
 しかし、大東亜戦争の犠牲者を冥福を祈る鎮魂の日であるとすれば、ともかく納得できる。それでも、この日を迎えると、マスメディアが、ステレオタイプの報道をして、戦争を回顧するのには、もう飽き飽きしている。特攻隊だの玉砕だの戦艦大和の最期だの玉音盤だの山本五十六だのと、戦後66年にもなるのに変わり映えしない報道をしている。出版の世界でも同様だ。いま必要なのは、これから起こり得る大戦争にどう備えるかであるはずなのに、「悪の戦争経済」を起こそうと策動している動きには、まったく関心を示さないのは、実に由々しきことである。
 つまり、戦後生まれの私のように大東亜戦争を知らない世代がすでに70%を超えて、なかには、戦争待望論者さえ増えてきている状況下で、必要なのは、「第3次世界大戦」への備えである。私たちが大戦を食い止めようといかに逆立ちをしても、食い止めることは不可能であるからである。願望と実行とは、計り知れない距離がある。
 米国がかかわってきた朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガニスタン空爆・イラク戦争に対して、日本国民は、ただただ米国を資金援助したり、後方支援するのが、精一杯であった。これからも多分、同じように振舞うしかないだろう。平和憲法下では、他国の戦争には、極力関わらないようにするしかない。いかに反対しても、当事者は聞く耳を持つはずはないのである。また、米国は、引きずり込もうとするだろうが、いろいろ言い訳をして、いかに卑怯だ、ズルイなどと非難されようとも、引っ張り込まれないようにする必要がある。日本のために戦うのは、米軍と韓国軍だけでよい。お任せしましょう。
◆ならば、日本国民は、日本を守るために、どうすればよいのか。軍事力では如何ともし難いので、文化と精神力で勝負するしかない。この66年目の敗戦記念日を迎えるに当り、中曽根康弘元首相が、いいことを言っているのが、大変参考になる。
 読売新聞は8月14日付け朝刊1~2面「地球を読む」欄で中曽根康弘元首相の「菅首相退陣へ 国家なき市民主義の限界」と題する論文を掲載し、このなかで、以下のように力説している。
 「 安全保障を含めた危機管理について言えば、自民党は長い政権の過去から学んできたが、民主党はあらゆる危機の可能性を研究し、事前の準備を怠りなくする必要がある。「民主主義」を越えた理想と政治理念が必要となる。
 国会議員の任務は、国家の運営にあずかることである。国家にはそれぞれ固有の歴史や伝統の個性があり、世界の中でその個性に立って諸国家、諸民族とともに世界の繁栄に貢献となければならない。そして、国家に生きる市民は国家の歴史や伝統から遊離した存在ではない。
 国務を担当する政治家の主張が市民生活にのみ焦点を当て、背後にある国家や国民を蔑ろにしては本務に反する。居住地域を大切に生きるとい意味で「市民」という言葉を用いるなら結構なのだが、首相の言葉に歴史や文化の背景が伴わないのでは迫力を欠く。首相は、一国の歴史や文化を背負った存在なのだ。
 官政権を通し、民族や国家の歴史の流れを無視した形での、いわゆる歴史的実験ともいうべき「市民主義」の意味が明らかにされ、国家の統治原理としては甚だ不十分である事が示されてきた。
 次期政権は、この教訓を生かさなければならない。」
◆南洲翁遺訓「四 萬民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行われ難し、然るに草創の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱え、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷(ましき)也。今となりては、戊辰の義戦も偏へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し、戦死者に対して面目無きぞとて、頻りに涙を催されける」
 (現代語訳:全国民の上に立つ政治家や高級官僚など指導者は、自らの生活態度を派手派手しくすることなく、日ごろの言動や振る舞いを正しくして、贅沢三昧の生活ぶりをしないように注意し、勤倹節約に暮らすことに努め、与えられた職務や仕事に専念して、国民全体の模範、手本となり、国民が生活を賭けて働いている苦労を気にかけなくてはならない。そうでなければ、政府がいかに大事な命令や指示を政令として出してても、それが忠実に守られることはできない。だが、まだ明治維新が始まったばかりであるというのに、豪邸を構えて権勢を誇り、服装をきら、びやかに贅沢にして、美しい妾まで囲い、金銀財宝を貯め込むことばかり画策している者が増えているのであれば、明治維新という大きな事業は達成できないだろう。最近は、そういう不心得者の行状ばかり目につく。いまなっては、戊辰の戦いにおいて、世の中を変えようという志を抱いて加わった正義の戦いも、実は私利私欲のためだったととうような姿になってしまい、日本に全体に対しても、戦死者に対しても、本当に申し訳ないことだと、西郷隆盛翁は、しきりに涙を流してられた)
 世直しいうにしろ、維新というにしろ、革命というにしろ、その成功の果実は、生き残った者たちが、教享受する。しかし、だからと言って、政権を取った者たちが、権勢を誇り、自分ちちだけの栄耀栄華に酔いしれていては、犠牲になった者たちに顔向けできないと言うことである。
大東亜戦争に敗れた後の第2の開国、いまは、第3開国の時だと菅直人首相は、明言した。その矢先に東日本大地震・大津波・福島第1原発大事故という大事件が起きた。にもかかわらず、菅直人首相は、高価な衣服に身を包み、連日連夜、高級料理店に通い、身内だけで豪華な食事を楽しんでいる。みな、官房機密費で支払っていると言われている。こんな贅沢三昧にうつつを抜かしていて、「市民政治家」とは、ちゃんちゃらおかしいのである。昭和21年10月10日生まれ、戦争を知らない世代の菅直人首相は、第3の開国を唱えるなら、西郷隆盛翁の涙と中曽根康弘元首相の思いを知れ。
小沢一郎元代表の裁判で、東京地裁が「暗殺防止」のため傍聴席との間に透明なアクリル板設置を決めた背景には、一体何があるのか?


◆〔特別情報①〕
 小沢一郎元代表の刑事裁判が10月6日から、東京地裁(大善文男裁判長)で開かれる。資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐり、政治資金規正法違反罪で強制的に起訴された事件である。公判前整理手続きで、2012年1月の通常国会開会前に証拠調べを終わらせる方向で調整、早ければ来春ごろに判決が言い渡される見通しといい、東京地裁は、小沢一郎元代表の安全に配慮し、傍聴席との間に透明なアクリル板を設置するなど警備態勢を強化する。自民党の幹事長や民主党の代表を務めたからという。小沢一郎元代表の命を狙う者とは?。


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</form>
第三章 ロシヤ革命と猶太
前回からの続き
 諾代表の試みた報告演説に依つて、螢働者の反政府的運動の最も広く進展して居る所は濁逸であることが判つた。決議文の作成に当たり極端説を唱へたのはレーニン、ラデツク(ユダヤ)、ローザ・ルユクセンブルグ(ユダヤ女)及彼等一味の党友連で、彼等は總同盟罷工とか、怠業叉は武装的叛乱と云つた断然たる手段により、戦争中止のために戦ふべきことを提議した。


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引用元:
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken
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 これは政治家小沢一郎に対する応援歌である new!!

2011年08月15日 12時08分01秒 | 国際・政治
 
天木 直人

Naoto Amaki
japan

 

 これほど馬鹿馬鹿しいことは無い。民主党代表選挙の事だ。

 そもそも民主党自体がすでに国民から支持を失って政権政党の
資格を失っているというのに二年後の衆参同時選挙まで民主党
政治を続けるという。

 マニフェストを放棄した崩壊状態の民主党であるのに、そのまま
代表を選ぶという。

 おまけに代表選の候補者にろくなものがいない。

 世論に迎合して自らの政策を明言できない。

 唯一明言している候補者が大連立や増税を唱える野田では
洒落にもならない。

 政権奪回の絶好のチャンスであるのに、自民党もまた動きが鈍い。
国民の支持はない。

 これを要するに日本の政治のドン詰まりである。

 そこで注目されるのが小沢一郎の動向だ。

 小沢一郎信者でなくても、そして小沢一郎にその器量があっても
なくても、一度は小沢を首相にやらせてみたいと思う国民は増えて
いるのではないか。 私もその一人だ。

 しかし、小沢一郎は今度の民主党代表選においては決して動いて
はならない。

 どの候補者も支持してはならない。

 小沢派の民主党議員に対しては自主投票に任せるべきだ。

 姑息な動きをする必要はない。

 そうすることによって、必ず言われる「影の指導者」という批判
をかわせ。

 下手な候補者を支持する事によって自らを貶めるな。

 今の日本は、誰が民主党の代表になっても、そしてどのような
与野党連立を繰り返そうと、行き詰まる。

 政界再編を求める声が早晩国民の中から沸きあがってくる。

 動くのはその時だ。その時まで裁判で無罪を勝ち取ることに専念
すればいいのだ。

 動き出す必要がでてくる時までには裁判の決着もついているだろう。

 それまでは体力、気力を蓄えるのだ。

 勉強を重ねて政策を練り上げるのだ。

 国民が悲鳴をあげ、一度小沢にやらせて見るしかない、と言い出す
まで自ら動きだしてはいけない。

 それで出番が来なければそれも天命だ。

 出番が来れば、新党結成もよし、大連立もよし、すべては国民の為に
正しい政治を実現する。これだけを有言実行すればいいのだ。

 果たして小沢一郎はその器量と覚悟があるのか。

 それはわからない。

 しかし小沢待望論は小沢の耳にも届いているはずだ。

 それを裏切ることはできないだろう。

 器量があろうがなかろうが、覚悟を決めるしかないのだ。

 いま真価が問われているのは民主党の新代表でも自民党の政治家でもない。

 政治家小沢一郎、その人である。
                        了

 「天木直人のメールマガジン」は報道の裏にある真実を見抜き、
反権力、対米自立、平和外交、公平な世の中の実現を訴えています。
                         
<label>引用元http://www.amakiblog.com/</label>

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陸前高田の松、成田山新勝寺へ 犠牲者の供養に使用

2011年08月15日 11時20分10秒 | 社会・経済
『 東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松の木が、震災で犠牲となった人たちの供養のため、千葉県成田市の成田山新勝寺に送られることになった。9月25日の「おたき上げ」で、祈願成就のための護摩木と一緒にたかれる。関係者が14日明らかにした。 高田松原の松をめぐっては、京都市の伝統行事「五山の送り火」の「大文字」で燃やされるはずだったが、市民から「放射線汚染が心配」などの声が上がって中止。その後、京都府や市に抗議が殺到したため、一転受け入れを表明したが、新たに取り寄せた松の薪の表面から放射性セシウムが検出されたため、再び使用を断念した。』2011/08/14 18:11共同通信
世間では、捨てる神有れば拾う神有りと言いますが。拾う仏様千葉県成田市成田山新勝寺の御本尊成田不動尊と言うことで決着が付きましたが。岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松の木に放射線物質のセシウムがどこまで本当に含まれていたのか関係者以外分からないややこしいもつれた糸になってしまったと思います。木の松にも生命が有り、長年寒風酷暑ものかわとせず生き抜いて
来た松の木にも精霊が宿っています。千葉県成田市成田山新勝寺で岩手県陸前高田市景勝地「高田松原」の松の木と東日本大震災で亡くなられた犠牲者の方々も千葉県成田市の成田山新勝寺で、秋のお彼岸に護摩木と一緒にお炊き上げされ供養される事になり良かったと思います。

2011年8月5日 ... 千葉県成田市。大本山。寺の歴史と主な伽藍、参詣・行事案内、出版物の紹介。

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不登校受け皿中学、開校準備遅れ 「隔離の恐れ」と異論

2011年08月15日 10時59分31秒 | 受験・学校
2011年8月15日2時2分アサヒコム

写真:2年の「表現」の授業。文章表現を磨いたり、語彙(ごい)を増やしたりしていた=横浜市旭区の星槎中学校2年の「表現」の授業。文章表現を磨いたり、語彙(ごい)を増やしたりしていた=横浜市旭区の星槎中学校

<script language="JavaScript" type="text/javascript"></script><script src="http://imp.asahi.com/bservers/AAMALL/acc_random=6257024/pageid=45724820/AAMB1/SITE=SOKUHOU/AREA=RECT3/AAMSZ=300X250/OENCJP=EUC"></script><script></script><script></script>

 名古屋市が誘致し、来年4月に開校を予定している不登校対応の私立中学校「星槎(せいさ)名古屋中学校」(仮称)の開校準備が遅れている。私学関係者でつくる審議会で「隔離につながる」などと異論が相次ぎ、生徒募集も始まっていない。  名古屋市教育委員会が、私立中学校誘致を表明したのは昨年7月のことだ。  市内の不登校の生徒は2007~09年度で毎年1300人ほどいたが、学校に通えるようになったのは35%前後。そこで、教育課程を柔軟に編成して進学を後押ししようと、「受け皿の一つ」として発案。公募で、同様の中学校を運営する学校法人国際学園(横浜市)を選んだ。  ところが、3月の愛知県私立学校審議会で、委員から「不登校の生徒の隔離につながらないか」「不登校の生徒への対応は、公立が担うべきだ」などの意見が出て、設置計画の承認は9月に持ち越された。  星槎名古屋中は、名古屋駅に近い旧市立六反小学校(同市中村区)の土地と校舎を年間約1千万円で借り、初年度に150人を募集。3年目以降は270人に増やす計画だが、審議会が認めないと、県に設置認可を申請できず、生徒募集やPRもできない。  審議会は愛知県内の学校法人理事長を中心に20人で構成する。関係者の間では当初から「遠方でなじみのない学校法人の新規参入はすんなり通さないだろう」との見方があった。  95年4月に開校した不登校向けの全寮制の黄柳野(つげの)高校(愛知県新城市)の場合も、93年の審議会が「財源不足」を理由に94年の開校は認められないと答申。開校が1年後にずれ込んだ。  審議会では今回、「不登校の生徒を確保できるのか」との指摘も出た。国際学園が横浜市旭区で運営する星槎中学校では毎年、定員の2、3倍の応募があり、生徒集めには自信をのぞかせる。国際学園の角木(かどき)孝生理事は「9月の審議会でも認められないと、来春の開校に間に合わない。学校の意義を理解してもらいたい」と話す。 』

予算不足で、不登校児が置き去りにされ、学校教育から斬り捨てられては困ります。日本国憲法第26条1項の学習権や教育基本法の4条の『教育の機会均等』が損なわれます。不登校児を隔離する為に学校が新しく開校されるのではないと思いますが。虐めや集団暴力行為、家庭の複雑な事情等、不登校も様々な要因が有ると思います。不登校の生徒の隔離に繋がると言うのなら学校全体で教職員が一丸となり不登校児が出ないように全力で取組む必要が有ると思います。皆今有名人になって入る人達も皆不登校や休学、転校を経験していますよ。まっすぐなレールを一目散に走るのが学校教育の目的でしょうか。

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敵機見つける防空監視哨、今もビル屋上に 北九州中心街

2011年08月15日 10時29分11秒 | 社会・経済

2011年8月15日0時1分アサヒコム

写真:7階建てビルの屋上に残る防空監視哨=11日、北九州市小倉北区、藤脇正真撮影

7階建てビルの屋上に残る防空監視哨=11日、北九州市小倉北区、藤脇正真撮影アサヒコム

図:防空監視哨のあるワシントンビル防空監視哨のあるワシントンビル

<script language="JavaScript" type="text/javascript"></script><script src="http://imp.asahi.com/bservers/AAMALL/acc_random=48272792/pageid=10428491/AAMB1/SITE=SOKUHOU/AREA=RECT3/AAMSZ=300X250/OENCJP=EUC"></script><script></script><script></script>

『商業ビルが立ち並ぶ北九州市の中心街のビルの屋上に、戦争遺構が残っていることがわかった。戦時中、敵機を発見するため高い場所に設置された 。戦後66年の今も当時の面影をとどめ、街を見下ろしている。  北九州市小倉北区魚町3丁目にある7階建てのテナント「ワシントンビル」。いまは薬屋などが入るこのビルの屋上にコンクリート造りの建物がある。一辺2メートルほどの立方体。側面には縦30センチ、横90センチほどののぞき穴があり、小倉城や駅周辺の商店街が一望できる。  九州産業考古学会の砂場一明事務局長らによると、この建物が防空監視哨。戦時中、空襲に飛来する米軍機をいち早く発見するため、監視要員がのぞき穴から目をこらしていたという。 』

戦後66年目にも残っている防空監視哨跡の証言です。小倉空襲時の生き証人です。小倉の空襲体験を知る人も御高齢化し亡くなられ少なくなられたのではないでしょうか。このビルの名前「ワシントンビル」で敵性用語にあたりで、戦争中は別の名前で呼ばれていたのではないでしょうか。手作りのが防空監視哨の強さも有り、残ったのかも分かりませんね。ビル空襲の目標にされないように黒く塗られていたそうです。私の通っていた中学校も外壁の塗料は戦後も残されて黒いままでしたよ。防空監視哨跡の写真、戦争の悲劇と平和の意義を終戦記念日に皆さんにお知らせ致したく転載致しました。下記に空襲の模様を記録した【軍歌】なんだ空襲-歌詞付を掲載致しました。

小倉空襲で亡くなられた方々の御冥福を心から御祈り申し上げます。


YouTube: 【軍歌】なんだ空襲-歌詞付-

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