ベトナム戦争という米国の原罪
きょう11月2日の東京新聞に掲載されていた法政大学教授の竹田茂夫氏が書いた「ベトナム戦争」という見出しの「本音のコラム」に私の目がとまった。
この竹田茂夫という教授と私はもちろん一面識もないが、「本音のコラム」の執筆者の中で、私が最も評価している人物だ。
その竹田氏のきょうのコラムで私は知ったのだが、先ごろ、米国公共放送(PBS)がベトナム戦争についての長編記録映画を放映したという。
ベトナム戦争と言えば、1960年代の米国の本格介入から始まって、1975年のサイゴン陥落で終わった戦後最大の悲惨な冷戦の産物だ。
私が外務省に入省したのはベトナム戦争が激しさを増す1969年であり、1970年から72年の間、米国の大学での語学研修中は、大学の寮で毎日のよう に、今は亡きCBSイブニングニュースの名キャスターであったウォルター・クロンカイトが読み上げるニュースのはじめが、きまってベトナム戦争の戦況で あった。
そして、ベトナム戦争が終わって統一ベトナムが誕生した1976年には私は本省に戻って経済援助を担当したが、南ベトナムに貸し付けた経済援助の返済を北ベトナムからどう返済させるか、その難交渉を任されてハノイを毎週のように往復したことがあった。
いまとなっては遠い過去になったベトナム戦争であるが、ベトナム戦争は決してノスタルジアで終わらせてはならない戦後史の一つだ。
竹田氏はそのコラムに中でこの長編記録映画が、ベトナム戦争の悲惨さをあらためて思い出させてくれたと書いている。
私が注目したのは、竹田氏が、その記録映画を見て釈然としないものが残ると、次のように書いていたところだ。
「記憶の共有で米国社会の分裂を癒す事が目的というが、大義なき戦争で200万人のベトナム人を犠牲にした責任は誰に帰すべきか・・・「動くものはすべて 殺せ」(と題するこの映画は)・・・500人以上の無抵抗の農民を虐殺して反戦運動の標的になったソンミ村事件が例外ではなく、米軍の戦争犯罪は半ば組織 的だったことを明らかにした。さらに空爆によるインフラ破壊、枯れ葉剤の大量散布が引き起こした環境破壊や健康被害や遺伝子損傷に関して、米国は本格的な 大規模調査や損害賠償を拒否している。猛毒ダイオキシンで先天性欠損症をもって生まれた後の世代の苦しみはどう癒せばよいのか」
ベトナム戦争に象徴される戦争犯罪は、黒人奴隷制度と並んで米国の原罪である。
米国はいまもその原罪の反省なく、ついにそれらを公然と否定するトランプ大統領を選んでしまった。
そのトランプ大統領がまもなく日本にやってくる。
憲法9条を持つ日本が、そのトランプ大統領に無条件で従属し、これ以上日米軍事同盟の強化に突き進んでいいのか。
問われているのは日本の政治であり、メディアであり、日本国民である(了)