それは、一度は権力を失った男が“雨天の友”と再び頂上を目指す道程だった。
古くから修験道の霊山として崇められてきた東京・高尾山。持病の悪化で第一次政権を退陣し、失意の底に沈んでいた安倍晋三だったが、側近の今井尚哉(後の首相補佐官)らと毎年のようにこの山に登り、捲土重来を期するようになる。
暗殺から1カ月が経った
二〇一二年四月三十日、晴天に恵まれたこの日、夫人の昭恵や支援者と山麓に姿を見せた安倍。一行の中に、黒いシャツ姿の男性がいた。彼もまた、安倍を支えるキーマンの一人だ。
それから約五カ月後の九月二十六日。石破茂が有力視されていた自民党総裁選が行われた。安倍は少しでも多くの党員票を集め、国会議員のみで争う決選投票で逆転する戦略を描く。
この総裁選で安倍に貴重な一票を投じたのが、四月の高尾山に共に登った男性。自民党員でもあった彼は、実は統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と密接に関わる団体の幹部だった。
果たして安倍は狙い通り決選投票に持ち込み、自民党総裁に就任。衆院選でも勝利し、一二年十二月二十六日、五年ぶりに総理大臣の椅子に座ったのだ――。
◇
参院選の街頭演説中だった安倍が凶弾に斃れてから約一カ月。後援会副会長の乙部正美がこう漏らす。
「事件直後から献花に来る人にお礼を言うために事務所におったけど、一万人を超えとったのう。八月一日に昭恵さんが地元入りした夜、自宅で食事会をしたが、後継者は難しい。昭恵さんに出てもらうのが一番やけどね、本人がハッキリ言うた。『出ん』と。安倍の後には安倍はおらんのよ」
なぜ、歴代最長政権を築いた安倍は暗殺されなければならなかったのか。
容疑者の山上徹也は「統一教会と繋がりがあると思った」と供述している。その動機になったのが、安倍が教団関連団体に寄せた動画メッセージだった。「天宙平和連合」主催の希望前進大会。安倍は「韓鶴子総裁をはじめ、皆様に敬意を表します」と教祖・文鮮明の妻を持ち上げていた。
動画メッセージ(THINK TANK 2022より)
この動画が配信されたのは、総裁選の告示を間近に控えた昨年九月十二日。どういう経緯で安倍は動画を撮影するに至ったのか。
梶栗が安倍に渡したアルバム
小誌は天宙平和連合日本支部の会長・梶栗正義が出演交渉を明かした動画を入手した。十月十七日、統一教会の松濤本部で行われた日曜礼拝での説教だ。
「梶栗氏は、記者会見を行った田中富広会長以上の実力者。『国際勝共連合』の会長も兼ね、長年政界工作を担当してきた。梶栗さんの父、玄太郎氏も統一教会の会長などを歴任しており、教団随一のエリート二世信者です」(教団関係者)
教団現会長の田中
その梶栗は、安倍への交渉についてこう口にした。
「『先生、もしトランプがやるということになったら、やって頂かなくちゃいけないが、どうか』と。『ああ、それなら自分も出なくちゃいけない』という話を実はこの春にやりとりしてた」
信者向け動画で話す梶栗
梶栗は安倍との会食の場に、父の玄太郎と、安倍の祖父の岸信介、安倍の父の安倍晋太郎、そして自らと安倍がそれぞれ写った2ショット写真を収めたアルバムを持参したという。
「三代の因縁であるということをお見せした。そしたら『あ、これ持って帰っていいですか』と言ってそれだけ持って帰っていった」
前米大統領・トランプの出演が決まると、安倍も快諾。大会五日前の九月七日に収録を実施したという。
梶栗が安倍に語った「三代の因縁」――安倍家と統一教会の関係はそれほど深いものがあった。梶栗の父も自叙伝の中で安倍の祖父についてこう綴っている。
〈岸先生とは、自主憲法制定運動とスパイ防止法制定運動で共に活動した仲です〉(『わが、「善き闘い」の日々』光言社刊)
一九六八年、文鮮明が反共主義の団体「国際勝共連合」を立ち上げた際、設立に尽力した岸。渋谷・南平台の自宅には教団の教会が隣接し、日曜日には礼拝の讃美歌が聞こえてきたという。安倍は幼少期、そんな岸邸に足繁く通っていた。
文鮮明と岸信介が握手(『写真で見る統一教会40年史』より)
さらに梶栗の父は、「日韓トンネル構想と世界平和実現へのビジョン」と題する論考で安倍の父にも言及している。
〈安倍晋太郎氏は政権を担った暁には日韓トンネル構想を推進することを約束してくれていた〉(「世界平和研究」一〇年冬季号)
梶栗父の論考(「世界平和研究」より)
日韓トンネルは、文鮮明が提唱した九州と韓国の間を海底トンネルで結ぶ壮大な計画。そんな教祖肝いりの構想の推進を、晋太郎が約束していたという。
こうした統一教会との関係を懸念していた女性がいる。安倍の母・洋子だ。
「なるべく関わり合いにならないように」
息子には以前から、そう伝えていたという。
「夫・晋太郎が活躍した八〇年代には、霊感商法が既に批判されていました。幾ら岸と関わりが深かったとはいえ、良くない印象を持っていたのでしょう」(安倍家と親しい関係者)
母・洋子の胸中は……
だが、安倍は統一教会との関係を保ち続けていた。
そもそも教団にとって、安倍の地盤・山口県下関市は“聖地”。四一年四月一日、当時二十一歳の文鮮明は早大付属高留学のために船で来日したが、初めて足を踏み入れたのが下関だった。毎年四月一日には記念行事も開催されている。
安倍の元秘書が証言する。
「かつて教団の下関教会は安倍事務所から二百メートルほどの距離にありました。晋太郎さんの代から仕えた筆頭秘書が“教団担当”で、信者も事務所に出入りしていた。関連団体『世界平和女性連合』に所属する女性たちでしたが、黒いスーツにお揃いのバッジを付けて異様な雰囲気を醸し出していました。彼女たちが『世界日報』などの機関紙を持ってくると、その筆頭秘書は話を聞く。選挙戦になると、世界平和女性連合の人たちに事務所を開放し、電話作戦などを行っていました」
〇九年十一月が分岐点だった
官房長官時代の〇六年五月には、天宙平和連合が主催した集会に祝電を送付。「私人の立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送ったとの報告を受けた」とコメントしていた。ただ、この時までは安倍自身が統一教会に深入りすることは無かったという。
ここから、安倍の政治家人生は流転する。〇六年九月に戦後最年少で首相に就任したが、翌〇七年七月の参院選で惨敗し、九月に退陣。一転して“終わった人”と見られるようになる。
安倍と統一教会、双方にとって“大きな分岐点”となったのが、〇九年十一月だった。
自民党は下野し、雌伏の時を過ごしていた安倍だが、政策集団「真・保守政策研究会」(現・創生「日本」)の会長に就任。“復活の狼煙”をあげたのだ。第二次政権で首相補佐官を務めた衛藤晟一が振り返る。
「安倍さんと私、中川昭一さんと平沼赳夫さんの四人で立ち上げました。民主党に政権を奪われ、会長だった中川さんも急逝してしまった。将来を見据えた保守の中核団体を作るという意気込みで、安倍さんに『もう一回やってくれ』と会長になってもらったのです」
側近議員が補足する。
「自らの岩盤である保守層をガッチリ固め直すことで、再び自民党内での影響力を高めていく。それが安倍さんの真の狙いでした」
一方、同じ月、統一教会にとっても致命的な出来事が起きた。
「印鑑販売会社『新世』の社長に有罪判決が言い渡されたのです。その中で、初めて霊感商法と教団の関係性が司法の場で認定された。全国霊感商法対策弁護士連絡会の渡辺博弁護士も『教団の責任者が“政治家との絆が弱かったから、警察の摘発を受けた。今後は政治家と一生懸命繋がっていかないと”というのが彼らの反省点』などと述べています」(社会部デスク)
保守層と手を握り直そうとした安倍と、政治との繋がりを深め直そうとした統一教会。再起を図る両者の“利害”が一致する。
「統一教会は反共産主義を掲げ、憲法改正や防衛力強化などの政策を打ち出している。保守と相性が良いのです」(自民党関係者)
衆院選の出陣式にも信者が(安倍のFBより)
年が明けた一〇年二月六日、安倍が講師として「保守再生」をテーマに講演を行ったのが、保守系シンクタンクを標榜する「世界戦略総合研究所」。この組織は統一教会の関連団体だった。
戦略研は「統一教会とは、思想と方針が違う」としているが、会長の阿部正寿はかつて教団の広報委員長という要職を担い、国際勝共連合の事務総長でもあった人物。日本維新の会も、党の調査で戦略研を統一教会関連団体と認定している。
それだけではない。講演から約半年後の一〇年八月三日には、天宙平和連合の梶栗や元統一教会会長の小山田秀生が国会の安倍事務所を訪問。ついに教団の中枢が安倍と直接やり取りするようになったのだ。
「小山田氏は九〇年代半ばと〇〇年代初めに二度、教団の会長を務めました。霊感商法を巡る訴訟では、法廷で『信者が勝手にやったこと』などと証言。以降も梶栗氏と並び、最高実力者の一人として君臨しています」(前出・教団関係者)
迎えた一二年。安倍にとって“勝負の年”となった。
下関家庭教会の支援リスト
冒頭の場面に戻ろう。安倍夫妻とともに高尾山に登っていた男性。その人物こそ、阿部と戦略研を立ち上げ、事務局長のポストに座る小林幸司である。自らも小林と登山に参加した筆頭理事の加藤幸彦が明かす。
「この登山は、安倍さんが『まだ元気だ。総理になって日本を立て直す』ということを示すために、我々が企画したんです。高尾山では一般の方々とも写真を撮って物凄い人気でした」
夫人の昭恵と小林(右=小林のFBより)
安倍は下山した後、加藤らと一緒に京王線に乗って帰ったという。
「電車内で立っている安倍さんに『今度、講演をお願いします』と依頼すると、『はい、いいですよ』と快諾してくれた。それで、七月にセミナーを開くことになったんです。講演では政策全般に加え、『また総理にカムバックする』と意気込みも語ってくれた。小林さんもこのセミナーを高く評価していました」(同前)
そして、小林も党員として安倍に投票した九月の自民党総裁選で勝利。加藤らに約束した通り、再び首相の座に返り咲くのだ。
安倍は翌一三年から四年連続で、小林を首相主催の「桜を見る会」に招待している。この会は「総理大臣が各界において功績、功労のあった方々を招く」ものだ。総裁選勝利に貢献したキーマンとして「功労」があったのか。本人は小誌の取材にこう答えていた。
「(招待は)事実です。安倍さんが(総裁選に)立つ時に支援をしたので、その関係の方たちが誘われた時に『一緒にどうですか』と」
激しい総裁選を勝ち抜いて、再び最高権力を手にした安倍が最初に戦った国政選挙が一三年七月の参院選だった。安倍にとって、第一次政権の退陣に直結した参院選は鬼門。後々まで側近に「いつも巡り合わせが悪い」とこぼしていた。
この時点では、与党が過半数割れしており、「ねじれ国会」の状態。それだけに、安倍は一人でも多くの候補者を当選させることに尽力していた。そこで力を借りたのが、統一教会だ。
この年の参院選では、同じ清和会で同郷の北村経夫に教団票を振り分けたとされる。ジャーナリストの鈴木エイトが入手した教団の内部文書にも〈首相からじきじきこの方を後援して欲しいとの依頼〉と記されていた。結果、序盤は劣勢と伝えられていた北村が当選を果たしたのだ。
三年後の一六年七月の参院選はどうだったか。最大の焦点は、改憲勢力で三分の二以上を確保できるか否か。安倍はまたも、改憲に前向きな教団の力を頼みにする。元参院議長の伊達忠一が明かしたように、清和会の宮島喜文に教団票を振り分けたのだ。宮島も当選し、三分の二を確保した。
実は、参院選の一カ月前、教団トップ二人が首相官邸に招かれていたという証言がある。鈴木エイトが言う。
「当時の統一教会の徳野英治会長と、『全国祝福家庭総連合会』の宋龍天総会長です。教団側にこの面会を確認したところ、『なぜ知っているのですか?』と驚いていた。参院選の一カ月前ですから、宮島氏への支援などについても話し合われたと見られます」
徳野に尋ねると、書面でこう回答した。
「申し訳ありませんが、記憶にございません」
教団前会長の徳野
一九年七月の参院選は再び北村に、今夏の参院選では自らの元首相秘書官、井上義行に教団票を振り分けた。教団票は全国で七、八万票とされるが、井上は落選した前回から約八万票増やし、当選している。
圧倒的な知名度で盤石を誇る自らの選挙でも、それは変わらなかった。自民党山口県連幹部が証言する。
「下関家庭教会は選挙を支援する政治家リストを作っており、北村経夫参院議員のほか、安倍さんの名前も記されていた。昨年十月の衆院選で、安倍さんは地元で第一声を上げましたが、その場にも下関家庭教会の信者が姿を見せていました。第一次政権前と違って、安倍さんと統一教会側が直接結びついた印象です」
こうして、集票力のある保守系団体として統一教会と手を握ってきた安倍。最近では、LGBT法案や選択的夫婦別姓への反対でも歩調を合わせてきたが、前出の衛藤晟一はこう憤る。
「彼らは実態を隠して近づいてきますが、霊感商法などに加え、日本人に多額の寄付を要求してきた。根っこは“反日団体”です」
実際、統一教会の教義では「韓国はアダム国家、日本はエバ国家」とされ、エバはアダムに奉仕しなければならないとしている。
「そんな団体と付き合えるはずがない」(同前)
なぜ韓国と厳しく対峙してきたはずの安倍は、統一教会を切れなかったのか。
安倍周辺が指摘する。
「祖父の代から付き合いがある統一教会の実態を知らないはずがありません。それでも、安倍さんの本質は徹底したリアリスト。政策実現のために、選挙での勝利が絶対条件と考える政治家です。それは、晋太郎さんが落選した憂き目を間近で見たり、第一次政権の参院選で惨敗して党内から引きずり降ろされた経験を持っているから。教団は、安倍氏が任命した下村博文文科相時代に『世界平和統一家庭連合』へ名称変更しました。確実に一人当選させる力を持ち、表向きは『平和連合』の名で活動する保守系団体と手を組まない選択肢は無かったのです」
前述の動画で、梶栗は安倍がメッセージを寄せた理由についてこう胸を張った。
「この八年弱の政権下にあって、六度の国政選挙において私たちが示した誠意というものも、ちゃんと本人が記憶していた」