たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

不気味な雲

2019年03月31日 18時27分48秒 | 暮らしの記録

日没前の東南の空、なんだか不気味な雲、

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記念艦「三笠」観覧と「よこすかスプリングフェスタ」見物

2019年03月31日 11時36分08秒 | 旅行記

昨日3月30日(土)、思い立って 一度は訪ねてみたかった神奈川県横須賀市に行ってきた。
記念艦「三笠」の観覧と 隣接の米軍横須賀基地で開催された「よこすかスプリングフェスタ」の見物が目的だったが、
長距離の移動と 3月下旬とは思えない震え上がるような寒さの中を歩いた長い1日、かなり疲れて帰ってきた。 

昭和20年代から30年代前半、小学生高学年、中学生の頃、文部省推薦映画等と称して学校から 「この映画は、映画館に行ってもよろしい」という許可?が出て 指折り数える程の回数だったが 隣りの町まで出掛けたものである。
ほとんどは 忘れてしまったが 脳裏に焼き付いている映画もいくつかは有る。
1957年(昭和32年)に公開されたという 新東宝の「明治天皇と日露戦争」という映画もそのひとつだ。
それまで 「嵐寛十郎」といえば「鞍馬天狗」のイメージしか持っていなかった子供だったが 「明治天皇」になりきっていた映画で、そのことも印象的だった。
旅順攻略、日本海海戦・・等 鎖国から開国後50年も経過していなかった日本が、列強に初めて戦勝したという近代日本史最大の史実を描いた映画でもあるが 目から鱗であり、感動したものだ。
また つい近年 2011年には NHKのテレビドラマ 司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」が放送されたのを観たが 改めて 日露戦争の歴史的重さを思ったものだ。
そんな日露戦争を描いた映画や小説、テレビドラマで クライマックス的に登場するのが日本海海戦であり、戦艦「三笠」である。

記念艦「三笠」観覧

観覧料 600円、
30分コース、60分コース、艦内ガイドのてきぱきとした案内説明を受けることが出来る。 

「三笠」は 日清戦争後 ロシア帝国に対抗するため軍拡を進める日本海軍がイギリスのヴィッカース社に発注し、建造した戦艦で 1902年(明治35年)に日本海軍に引き渡された戦艦である。
1903年(明治36年)には 連合艦隊の旗艦となり、1905年(明治38年)5月27日、5月28日のロシア、バルチック艦隊との日本海海戦では 司令長官東郷平八郎大将が その旗艦「三笠」で、Z旗を掲げ、「興国の興廃 この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」を発し、結果、歴史的大勝利に導いた。
「三笠」は 日露戦争直後 佐世保港内で爆発事故のため沈没、339名の死者を出し、明治39年に修理され現役に戻ったという。
大正3年、第1次世界大戦時には 日本海等の警護活動に使われていたようだ。
大正10年には ウラジオストック港外で座礁浸水、応急修理し舞鶴に戻ったが ワシントン条約で「三笠」の廃艦が決定、大正12年には 関東大震災で岩壁に衝突、解体予定となったが 保存運動が起こり 大正14年 記念艦として横須賀に保存されることになった。
現在の細部は 復元されているものが多く ダミー、レプリカだったりしている。

 

東郷平八郎銅像

東郷平八郎書

連合艦隊巡洋艦信濃丸から 「敵艦隊らしき煤煙見ゆ」の通信を受け 「直ちに出撃用意」が下命され 「三笠」から大本営に対して 「敵艦隊見ゆとの警報に接し 連合艦隊は直ちに出動、これを撃沈せんとす。本日天気晴朗なれど波高し」と 打電したが
「本日天気晴朗なれど波高し」は 参謀秋山真之が書き加えたものであるという。

  

 

 

 

世界三大記念艦

「三笠」      「ヴィクトリア号」     「コンスティテーション号」

  

日米親善よこすかスプリングフェスタ2019年見物

  

 

 

 

 

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