たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

今日も1日なんとなく

2019年03月20日 21時44分02秒 | スイミング

毎週水曜日の午後は 妻が卓球サークルに出掛けるため 
爺さんのフリータイム?となるのだが
今日は 午前中 図書館に出掛けただけで 
午後は 雑物整理等と ウツラウツラで 終わってしまった。
せっかくの うららかな春陽気だというのに・・・・・・、
いかん!いかん!、
やおら重い腰を上げ 
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席し、
先程 戻ったところだ。

今日は 3月の3週目、N指導員による平泳ぎ中心レッスンだった。
毎度のこと 基本、基本の繰り返しだが 
特に ストロークの 手、キックのタイミング、姿勢を
チェックされた。
最後に 珍しく 平泳ぎ 50m×4本が入り 
多分 トータル 800m~900m 泳いだのだと思う。

レッスン終了後は 例によって居残り フリーコースで 
疲れを知らない?ベテラン女性陣の後ろにくっついて 
クロール 50m×10本 4種目 25m×4本、
喘ぎ喘ぎ なんとか 泳ぎ切って引き上げてきた。

斯く斯く然然 
今日も1日 なんとなく、
終わってしまい・・・。

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谷川敏朗著 「良寛全句集」

2019年03月20日 07時48分22秒 | 読書記

図書館から借りていた 谷川敏朗著 「良寛全句集」 (春秋社) を 読み終えた・・・と 言うよりは パラパラ目を通し終えた。
子供の頃から 「良寛和尚」、「良寛さん」と なんとなく 親しみのある人物として イメージだけは 描いてきたような気がするが 
実際は どんな人物で どのような足跡を残したのか等 しっかり学んだり調べた記憶は無い。
なんとなく 触れてみたくなり 手が伸び 借りてきたものだ。

「良寛全句集」

巻頭に 「本書は 良寛の遺墨や良寛関係の写本、活字本から採用して 良寛作といわれる俳句(発句)をすべてを収めた。ただし 父以南の作品と思われるが 良寛として伝承されてきたもの七句を含む。(後略)」 と 記述されている。
また 歳時記により 「新年」、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、「無季」に 6分類されている。

「新年」 (3句)
例えば 
「のっぺりと師走も知らず今朝の春」
(歳末を越して新しい年になったが その忙しかったこともみな忘れたのか 何ごともなかったように 新春の朝が訪れた。まことに喜ばしいことだ)

「春」 (21句)
例えば 
「今日来ずば明日は散りなむ梅の花」
(今日 あなたが見に来なければ このように美しく咲いている庭の梅の花も 明日になったら きっと散ってしまうでしょう。ぜひ今日見に来てください)
例えば 
「いでわれも今日はまじらむ春の山」
(世を避けて暮す人のように 山ごもりをしていた身であったが さあ わたしも 世間の人と同じく 今日は春の山に分け入って 咲く花を賞でることにしよう)
例えば
「散る桜残る桜も散る桜」
(桜の花びらがしきりに散っている。だが 木の枝には まだかなりの花がついている。しかしそれも やがては散ってしまう。桜の花びらは まことにはかないものだ)
人間の寿命も 長短あっても 必ず死ぬ運命にあるということを暗示した句。

「夏」 (20句)
例えば 
「昼顔やどちらの露の情やら」
(昼顔が夏の暑さにめげず 愛らしく咲いている。その可愛らしさは 朝顔の趣を受けたのか それとも夕顔の趣によるものか 思いまようことだ)
例えば 
「夏の夜やのみを数えて明かしけり」
(今年もまた のみが出る夏がやってきた。眠れないまま 身体に取りついたのみを数えながら 短い夜を明かしたことだ)

「秋」 (36句)
例えば 
「ゆく秋のあはれを誰に語らまし」
(山の木々の葉は散りはじめ 秋の季節は過ぎ去ろうとしている。このもの悲しく晴らしようもない思いを 誰に話したら分ってもらえるだろうか。心から聞いてくれる人が欲しいものだ)

「冬」 (15句)
例えば 
「焚くほどは風がもて来る落ち葉かな」
(わたしが庵で燃して煮たきするくらいは 風が吹くたびに運んでくれる落ち葉で 十分間に合うことだ。だからわたしにとって kの山の中の暮らしは 物に乏しくとも満ち足りていることよ)
例えば 
「のっぽりと師走も知らず弥彦山」
(弥彦山は ほかの山から一つだけ離れて立っている。人々が忙しく駆け回っている12月の時季も知らぬ様子で 物にこだわらず ゆったりとそびえていることよ)

「無季」 (12句)
例えば 
「倒るれば倒るるままの庭の草」
(今年の夏は 今まで味わったことのない激しい暑さである。この暑さのため 庵の前にある庭の草は枯れかかって 倒れてしまったまま 起き上がろうとしない。まことに憐れなことだ)
例えば 
「来ては打ち行きては叩く夜もすがら」
(荒れ野に 雨や風にさらされている髑髏が一つある。鬼神がきて 杖でたたいた。通り過ぎて戻り また杖でたたいた。このようにして 一晩中たたいてやめなかった。

「諸本から削除した良寛の句」 (21句)
例えば 
「裏を見せ表を見せて散る紅葉」
良寛の時世句の句とも言われており 良寛ゆかりの岡山県倉敷市玉島の円通寺にその句碑が有るのだそうだ。

「良寛遺墨中の他句」 (37句)(父以南の句等)
例えば 
「ほふづきやあからみかへる枯野かな」

良寛・・・曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家、
良寛は 江戸時代後期 宝暦8年(1758年)10月2日 越後国出雲崎(現在の新潟県三島郡出雲崎町)で 出生したとされている。
父親以南は その土地の名主で 四男三女の長子だった良寛は 父の後継者として名主見習いを始めたが 突然出家。曹洞宗の寺院海嶽山光明寺で修行を始める。22歳の時 備中玉島(現在の岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚を「生涯の師」と定め師事、12年間修行を重ねる。その間 故郷を捨てたことになるが 良寛に関わる資料は残っていないそうだ。
修行を終えた34歳の時 国仙和尚の「好きなように旅をするが良い」の言葉を受けて諸国を巡り始め 48歳のとき 越後国蒲原郡国上村(現在の新潟県燕市)国上山の国上寺の五合庵で暮らすようになる。
何ごとにもとらわれず 子供らと日が落ちるまで 鞠付きやかくれんぼをして遊んだという良寛に纏わる話は この頃のもののようだ。
61歳の時 乙津神社境内の草庵に居を構えたとされ、残されている良寛の書は 円熟期に達していたこの時期に生まれたものとされている。