昨日、一昨日、多分 10年振り?にもなる 部屋の模様替え(家具の移動等)、壁のカビ除去、大掃除に精を出しました。
腰を痛めないように細心の注意を払いながら へっぴり腰で ノロノロ。
脚立で おっかなびっくり 壁や天井の掃除も。
出てきた大量の雑物の整理が まだまだ終わっていませんが とりあえずすっきり。
普段使わない筋肉を使い 体の節々が痛くなっています。
昨夜は 疲れ果てて いつもよりやや早めに就寝したのですが 3時頃には いったん目覚めてしまい・・・・・、
「いかん、いかん、もう少し 寝ないと」
いつもだったら 目覚めたら もう眠りにつくこともないのですが 今朝は 直ぐまたトロトロと眠りこんでしまったようです。
朝食の準備の音で目覚めて時計を見ると 8時ちょっと前、
気が付くと 毛布を蹴飛ばして 熟睡していたようです。
「春眠 暁を 覚えず」 ・・・・か。
「春暁(しゅんぎょう)」 孟浩然(もうこうねん)
春眠不レ覚レ暁 春眠(春眠) 暁(あかつき)を 覚えず(おぼえず)
処処聞二啼鳥一 処処啼鳥(しょしょていちょう)を 聞く(きく)
夜来風雨声 夜来風雨(やらいふうう)の 声(こえ)
花落知多少 花(はな) 落つること(おつること) 知る(しる) 多少(たしょう)
昭和30年代の高校生時代、2年生だったか3年生だったか忘れてしまいましたが 1年間だけ 「漢文」という教科が有ったことを思い出しました。なんで覚えているかというと 漢文担当教師が 父親と同級生だったことで 緊張感が有ったからだと思います。
当時 「漢文」なんて なんだか別世界の教科のような感じが有って、ちんぷんかんぷんのまま なんとか単位を取ったような気がします。
元来 中国の文章を 返り点(レ点、一二点)だ、置き字だ、いろいろなルールで 日本流に読む教科でしたが どうも苦手でした。
ただ 後年になって いろいろな場面で 漢文、漢詩等を耳にするにつけ 多少でも習っていたことが役立っているような気がしたことも有りでした。「春眠 暁を 覚えず」が 孟浩然の詩 「春暁(しゅんぎょう)」の1節と知ったのも 随分 後年になってからのことですが 漢詩独特の味わいがあるように思ったものです。
漢詩の形式には 絶句(ぜっく)と律詩(りっし)が有るんだそうです。
絶句・・・四句からなる詩、律詩・・・八句からなる詩、
さらに 絶句のうち、1句の字数が 五字のものを 五言絶句、1句の字数が7字のものを七言絶句というのだそうです。
上記 「春暁」は 「五言絶句」のいうことになります。