たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

雨の合間に収穫

2020年07月24日 15時20分05秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

昨日 1日中降り続いた雨は、未明には上がったようだが 
相変わらず 雨雲が低く垂れ込めていて いつまた降り出すか分からない空模様の1日。
収穫係の妻、
もう 4日間行っていないし・・、
今日は どしても行かなくちゃ・・、
ということで 雨の合間に 「Go To ハタケ」

(1)エダマメ、
   イマイチ出来が良くないが 
   虫にやられる前に収穫した方が良さそう・・
   ということで 一部収穫、
   ビールのつまみ、1回分位にはなるか?

(2)トマト、
   防獣ネット、防鳥ネットで覆い包む如くにしてあるのにも関わらず
   熟れたトマト4個が、蔕(へた)を残して綺麗に食べられて 
   落ちており・・、
   多分、犯人は ハクビシン(白鼻芯)?、
   それにしても、ネットは破られていないし・・、
   何処から侵入したものやら?、

(3)キュウリ、インゲンマメは ほぼ最終、
   次回には 片付けなくては・・、

(4)シシトウ、ピーマン、ミニトマト、ナス 収穫
   いずれも 不出来、
   とても 他所様にお裾分けすること等、出来ない有様。
   今年の夏野菜は、ほとんど不調のまま、終わりそうだ。


猫の額の我が家の庭の門扉の横に置かれたプランターで
オニユリ(鬼百合)が 一斉に咲き出している。

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旅の思い出・「青葉城恋唄」の故郷を訪ねて

2020年07月24日 08時08分22秒 | 懐かしいあの曲

今から12年前、2008年8月に 七夕祭り開催中の仙台を訪ねたことがあった。
一度は訪ねてみたいと思っていた さとう宗幸の「青葉城恋唄」の故郷、杜の都、仙台だったが、気力も体力も減退し始め、「その内いつか・・・」等と言ってられない歳になってしまい、思い切って出掛けたものだった。当時は まだ自営の仕事をしていた頃で、往復新幹線、1泊(格安ビジネスホテル泊)2日の慌ただしい旅だったが 今になってみれば、「ああ あの時 行ってて良かった」と思ったりする。
昔のことを懐かしがるのは 老人のもっとも老人たるところ・・等と自嘲しながらも、古い写真を引っ張りだして その中の何枚かを フォトチャンネルにしてみた。記憶はどんどん薄れてしまうが 写真を眺めると、あの時、あの場所の情景が蘇ってくる。

追想アルバム・「青葉城恋唄」の故郷を訪ねて・その1 → こちら

広瀬川流れる岸辺 おもいではかえらず 
早瀬おどる光に ゆれていた君のひとみ 
時はめぐり また夏が来て あの日と同じ流れの岸
瀬音ゆかしき 杜の都 あの人はもういない

追想アルバム・「青葉城恋唄」の故郷を訪ねて・その2 → こちら

七夕の飾りはゆれて おもいではかえらず
夜空輝く星に 願いを込めた君のささやき
時はめぐり また夏が来て あの日と同じ七夕まつり
葉づれさやけき 杜の都 あの人はもういない

追想アルバム・「青葉城恋歌」の故郷を訪ねて・その3 → こちら

青葉通り 薫る葉緑 おもいではかえらず
樹かげ こぼれる灯に 濡れていた君の頬
時はめぐり また夏が来て あの日と同じ 通りの角
吹く風やさしき 杜の都 あの人はもういない

エレキギター演奏の「青葉城恋唄」 (YouTubeから共有)

今更になってネットで調べてみると
「青葉城恋唄」は 作詞 星間船一、作曲 さとう宗幸。青葉城(仙台城)の城下町として発展した仙台市の情景と失恋の心情が織り込まれた叙情的な楽曲である。
東京の企業を脱サラし 郷里宮城県に戻ったさとう宗幸(本名・佐藤宗幸)が 1977年(昭和52年)4月から NHK・FM仙台のDJとなっていた頃、リスナーだった仙台出身の星間船一(本名・星捷一)から寄せられた詩をもとに さとう宗幸が作曲した曲だった。1978年(昭和53年)に ダーク・ダックスと競作で リリースされた「青葉城恋唄」、当初は ダーク・ダックスの方が売り上げが多かったのだそうだが 多くのメディアにも紹介され 全国的に 「青葉城恋唄」は さとう宗幸の曲として定着した。

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