長男、次男が まだ保育園、小学生だった頃、春、秋等の休日、よく家族で周辺の低山を歩き回っていたものだが、次男が小学生になった頃からは、一時期、每年、夏に、尾瀬や八ヶ岳、白馬等北アルプス等に出掛けるようになっていた。時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の夏休みの思い出になれば・・との思いが有って、忙中敢えて閑を作り、強引にスケジュールに入れ、山へ向かっていたような気がする。息子達が巣立ってからも、夫婦で、ちょこっと山歩きを続けてはいたが、完全に仕事をやめてからは、後期高齢者、時間が有っても、気力体力減退、あの山もこの山も遠い思い出の山となってしまい、今となっては あの時、あの山へ、思い切って行ってて本当に良かった等とつくづく思うようになっている。以前、そんな山の思い出を備忘録としてブログにも書き込んだり、古い写真は、デジブックにしたりして懐かしんでいたが、デジブックが終了してしまったこともあり、改めて、少しづつ思い出しながら、過去の記事を、コピペ、リメイクしていこうと思っているところだ。(以上過去記事コピペ文)
その4 「旅行会社の強行日程格安バスツアーで訪れた初めての尾瀬」
今から37年前、1984年(昭和59年)の夏、家族で「尾瀬」を訪れたことがあった。その時の写真、何度も何度も、ブログに載せてきた気がするが、改めて何枚か引っ張り出してみた。ブログを始めてからの話、古いアルバムのプリント写真をスキャナーで取り込み、回顧録の如くのブログ記事に挿入したりしてきたが せっかくデジタル化した写真、とりあえず外付けHDに送って保管してある。バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)で撮った写真で、しかも スキャンしたものとて きれいな写真であるはず無しだが、写真を見ると あの時、あの場所の記憶が蘇ってくる。
第1日目、出発前、大清水
ヘッドランプでの夜行等 もちろん初体験、
ワクワク感と緊張感の息子達
三平峠で休憩中の写真だと思う。
つきっきりの添乗員に撮ってもらったような気がする
温泉小屋の朝
息子達にとっては 山小屋泊も初体験だったが
当日は 畳1枚に 2人、3人、
折り重なるような超満員
うっかりトイレに行って帰ってこようものなら
自分の寝る場所が無くなっており、
隙間に割り込む有様、
それでも 疲れから 熟睡出来たようで
すっきりした顔
第2日目、尾瀬ヶ原ハイク
下田代付近の写真
集合場所 鳩待峠までは 自由行動
尾瀬ケ原と至仏山
尾瀬を満喫、夏山の魅力に取り憑かれた瞬間だった。
職業柄、まとまった休みが取れなかったり、経済的、精神的余裕も無く、また息子達の年齢のことも有り、家族で旅行や登山等は 夢のまた夢だった頃だったが、その年の 息子達の夏休み直前に たまたま 地元旅行代理店主催の「尾瀬ハイクバスツアー」参加募集の新聞折込みチラシが目に止まり、せめて、夏の思い出になればと、意を決して申し込んでしまったものだった。
それまでずっと、思いを馳せていた「尾瀬」、もちろん格安ツアー料金に飛びついたものだったが、長男が11歳、次男が7歳となっており、そろそろ、家族で山へ行けそうかなと判断してしまったのだった。
ところが、バスツアー出発時、集合した参加者を見て、びっくり。そんな小さな子供連れは我が家だけで、思わず「大丈夫かいな?」と 不安に駆られた気がする。
しかも 午後10時に出発、夜行で走り、登山口大清水には 深夜3時頃到着、車内での仮眠もそこそこ、寝不足のまま 早朝ヘッドランプを点けて出発、三平峠、尾瀬沼、見晴十字路、温泉小屋(泊)、翌日は 尾瀬ヶ原を縦断し 山の鼻、鳩待峠から帰路につくというかなりの強行軍。山の知識も経験も乏しかった我が家、ツアー参加者の多くが、山慣れしていそうな中高年、遅れがちになり、いつも最後尾にいた我が家4人に 添乗員はつきっきりで、さぞかし顰蹙を買っていたのではないかと 後々まで反省したものだった。
息子達は 心配するほども無く完歩、夏休みの大きな思い出になったはずだが、「初めての尾瀬」で夏山を満喫した我が家、夏山の魅力にとりつかれてしまい、以降、「せめて、毎年、1回は 夏山へ行こう」と決め込んで、八ヶ岳、木曽駒ヶ岳、白馬岳、乗鞍岳 等々を 家族で訪れる事になった。それ故、「尾瀬」は 我が家の山歩きの原点だったとも言える。
「夏の思い出」 唄 鮫島有美子 (YouTubeから共有)
尾瀬には 後年になってから 妻と二人で、「燧ケ岳~燧裏林道」、「至仏山」、「アヤメ平~尾瀬ケ原」、で訪ね、旧い友人と 「草紅葉の尾瀬ケ原」で 訪ねており、まだまだ何度でも訪ねてみたいと思っていたが、気力体力減退の今では、「はるかな尾瀬・・・・」になってしまっている。