8月15日。今日は、「戦争で亡くなった人たちを追悼し 平和を願う日」として定められた「終戦の日(終戦記念日)」。終戦から76年目になり、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開催されたようだが、毎年この日を迎える度、幼年時代、戦後の貧しい暮らしの記憶が有る程度で、実際、戦争に関わる記憶は、ほとんど無い戦中生まれの爺さんではあるが、マスメディアが伝える戦争の実態、悲惨さ等に、耳目を傾けてしまう。戦争体験者がどんどん少なくなっている今こそ、戦争を知らない世代に伝えることが多いのではないかと思っている。
平和の有難さをかみしめながら、改めて、8月15日を日本政府が「戦争の日(戦争記念日)」と定めた理由や経緯等をネットで見てみた。
ナチス・ドイツ降伏後の第二次世界大戦末期、ベルリン郊外のポツダムに 米大統領トルーマン、英首相チャーチル、ソ連共産党書記長スターリン、中華民国主席蒋介石が集まり ポツダム会談が行われたが、1945年(昭和20年)7月26日に、「日本への無条件降伏要求の最終宣言」が 米、英、中三国の共同声明という形で発表された。いわゆる「ポツダム宣言」。(ソ連は、当初署名しておらず、「米英支三国共同宣言」とも 言われた)
日本政府が「ポツダム宣言」を受託しないことを確信した米大統領トルーマンは、原子爆弾攻撃を正当化し、8月6日に、広島に、8月9日には、長崎に 原始爆弾を投下。ソ連も、「日ソ中立条約」を破棄して、対日参戦、「ポツダム宣言」にも参加した。
日本政府は、1945年(昭和20年)8月14日の御前会議で、正式に「ポツダム宣言」を受託を決定し、連合国側に通告。1945年(昭和20年)8月15日正午には、「ポツダム宣言受託と降伏決定」を国民に伝える「玉音放送」が有った。
日本が「ポツダム宣言」受託後も、ソ連や中国と一部戦闘が続いたが、1945年(昭和20年)9月2日に、日本政府は米戦艦ミズーリの艦上で、「降伏文書に調印」し、正式に「第二次世界大戦(大東亜戦争)」が 終結したことになった。
「終戦記念日」は 玉音放送が有った8月15日と定められており、「愚かな戦争の敗戦記念日」とも言えるような気がする。
76年経った今になってもなお、明かされる事実も多々あるようだが、当時のことを知る人が、どんどん少なくなっており、戦争を知らない世代に、戦争の悲惨さをどのように伝えていくか、8月15日は、そんな意味の有る日なのかも知れない。
「戦争を知らない子供たち」・ジローズ (YouTubeから共有)