たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ヒオウギ(檜扇)

2021年08月17日 17時34分14秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

草花にも疎い爺さん、ブログを始める以前は、我が家の庭に咲く花であろうが、道端、空き地、畑、川原等で蔓延っている野草であろうが、公園や植物園等で鑑賞出来る草木であろうが、まるで関心興味も無しで、見ても、花名も知らず、分からず、覚えられずで、ほとんど珍紛漢紛だった気がする。数多のブログを拝見するようになってから、その無知ぶりを痛感、初めて、花名等を知ろうという気になったものだったが、教えてもらっても、自分で調べても そのそばから忘れてしまう老脳、出来る限り、写真を撮り、ブログに書き込むことで、少しづつ、分かる草花が増えてきたように実感している。(以上、過去記事コピペ文)

昨年、2020年7月21日、散歩・ウオーキングの途中に撮ってきた写真の中にも、「君の名は?」だった花が有ったが、相互フォロワー登録している方から教えていただき、「ヒオウギ(檜扇)」であることが分かった。教えてもらっても、自分で調べても そのそばから忘れてしまう爺さん、また忘れてしまわない内に、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにする。

2020年7月21日 民家の庭先に咲いていた「ヒオウギ(檜扇)」


ヒオウギ(檜扇)

アヤメ科、アヤメ属、多年草
    別名 カラスオウギ(烏扇)、ヌバタマ(射千玉)
    「檜扇」は 葉が長く扇状に広がり、宮廷人の檜扇に似ていることから
    付けられた花名、
原産地 日本、中国、朝鮮半島、インド
草丈 40cm~1.2m
花色 オレンジ色、赤い斑点が有る、
   午前中咲き、夕方にはしぼむ、一日花、
開花期 7月~8月頃
花言葉 「誠実」「誠意」「個性美」


 

 

 


爺さんの備忘録的鳥図鑑その23「カルガモ(軽鴨)」

2021年08月17日 11時20分58秒 | 爺さんの備忘録的鳥図鑑

鳥にも疎い爺さん、子供の頃から目の当たりにしていた スズメ、ツバメ、カラス、ハト位は、パッとみて直ぐに分かるが その他の野鳥については、実際に見ても 以前は、ことごとく「君の名は?」だった。
それが ブログをやるようになってからのこと、数多の方々の鳥の写真等を見て、次第に興味関心が湧き、散歩・ウオーキング途中、やたら写真を撮ってきたり、教えて貰ったり、自分で調べたりして、少しずつ分かる鳥が増えてきている。ただ、一度分かっても、そのそばから忘れてしまう老脳。ネット等から参照した情報を、記憶力減退老脳に代わる記憶補助として、ブログ カテゴリー 「爺さんの備忘録的鳥図鑑」に 書き留め置こう等と思っているところだ。鳥に詳しい方からは 「なーんだ、そんな鳥も知らなかったの?」と笑われそうだが 爺さんにとっては新知識、新情報、備忘録的鳥図鑑になる。(以上 過去記事コピペ文)


「歩くことが一番」等と言われ、出来る限り、近くの川辺り等を散歩・ウオーキングしている爺さんだが、毎年、春先から夏に掛けて、カルガモ(軽鴨)の親子を見掛けられることを知ったのも、つい最近、ブログを始めてからのことだ。それまでは、カモもアヒルも区別出来ないような類だったような気がする。いろいろな野鳥と出会える川辺りだが、ほぼ毎回、最も良く見掛けられる鳥が カルガモ。親子連れのカルガモ等を見掛けたりすると足が止まり、しばし、コンデジで カシャ、カシャしてしまっている。これまで撮った写真の中から何枚か引っ張り出し寄せ集めて、ZUISOにしてみた。


ZUISO「毎年散歩の途中で見掛けるカルガモ親子」 → こちら


YouTube 「温かくも厳しいの子育て」


カルガモ(軽鴨)

カモ目、カモ科、マガモ属、
形態 全長 50cm~65cm、翼長は オスの方が メスより若干長い。
   頭頂や背、腰は 黒褐色、次列風切の光沢は青紫色、 
   オスの腹部は 濃褐色、メスの腹部、胸部の羽色はやや不明瞭。
分布 中国、日本、朝鮮半島、アムール地方、等
生態 河川、湖沼、湿地、干潟、水田等に生息、渡りは行わない、
   食性は 主に植物食。


 


「中学生日記より」その41(再)

2021年08月17日 06時28分27秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(以上 過去記事コピペ文)


その41 「騎馬戦、棒倒し、神社の掃除」

昭和30年(1955年)9月8日、木曜日、天気 晴、

1限目 国語、
2限目 理科、昆虫の種類
3限目 英語、日本語を英語になおす、
4限目 体操、全校体操
5限目 保体、✕、きばせん(騎馬戦)、ぼうたおし(棒倒し)
6限目 社会、✕、草取り、

1、放課後、お宮(神社)のそうじ(掃除)、
  おぞいほうき(箒)をもっていって(持って行って)、はじ(恥)をかいた。

帰家(宅) 15時

M男の通っていた1学年1クラスの小さな小学校中学校併設校では、毎年9月に小中合同の運動会を行っていたが、この日も、それに備えて、練習をしたようだ。
4限目の体操の時間は、全校生徒児童が校庭に出され、声の大きな男性教師の号令で、全校体操の練習をしたようだ。
5限目は 保体(保健体育)をつぶして、騎馬戦競技、棒倒し競技の練習をしたようだ。走るも、跳ぶも、投げるも駄目な、ひ弱な子供だったM男は、運動会は、大の苦手だったが、なかでも、騎馬戦、棒倒しは参加したくない競技だったが、男子生徒全員参加。騎馬戦とは 真ん中の頑丈な子の肩に左右の子が腕を掛け、最も威勢の良い子が騎乗、4人で騎馬を作り、紅白陣が対峙、ヨーイドン!のピストルの音を合図に、上級生、下級生、でっかいの、ちっちゃいの、強いの、弱いのが入り乱れて立ち向かい、敵の騎乗の子供の鉢巻をもぎ取る競技。もぎ取られなかった騎馬の数で勝敗を決する競技だった。うまく逃げ回り最後まで残る騎馬も合ったが、ぶつかり合いで支えきれず崩れてしまったり、はずみで下敷きになってしまったり、さんざんな目に遭ったような気がする。棒倒しも同じようなもので、紅白に分かれ、3m程の太い竹の棒を立て、保守組はしがみついて支えるが、威勢の良い敵の攻撃組にぶちかまされ、よじ登られ、あっという間に倒されてしまう類の競技。擦り傷、鼻血の子も出るような危険な競技だったが、当時は そんなことは当たり前、父兄からもクレーム等出なかったのかも知れない。もちろん M男は保守組で、踏みつけられ、下敷きになる方だった。6限目は 社会の時間をつぶして、校庭等の草取り、掃除をしたようだ。
放課後は お宮の掃除をしたと書いてある。当時 毎年 9月9日には、学校の近くの村の鎮守、小さな神社の祭礼が行われていて、村民は 「ここのかの祭り」と呼んでいた。その日は 農家はもちろん、勤め人も休暇をとり、村中が祭り一色となるが、その前日のその日の放課後、M男達中学生も、神社の掃除に動員されたようだ。
おぞい箒を持って行って 恥をかいたと書いてある。
「おぞい」とは 「おぞし」から生まれた方言だと思われるが M男達が聞いたり、使っていた「おぞい」は、本来の意味とは若干異なっていて、「使い物にならないような」とか「ダメな」とか「古い」とか「ガタガタな」とかいう意味合いだったような気がする。その日は、各自 家から 竹箒等を持って登校したのだと思うが、多分 M男が持って行ったのは、手作りの貧弱な竹箒だったのだろうと思う。