たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思う

2021年11月05日 21時58分31秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラと、ページを捲ってみたところ、なかなか、詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、正月になると、必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみようと思っているところだ。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その1

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ思う

出典 詞花集(巻七)

歌番号
77

作者
崇徳院(すとくいん)

歌意
川の瀬の流れが速いので、岩にせき止められる急流が
二つに分かれても、結局はまた一つに合流するように
私とあなたとの仲が、人に妨害されて、
例え別れることがあっても、
後にはまた必ず一緒になろうと思っているよ

注釈
「瀬をはやみ」・・川の瀬が速いこと。「瀬」とは、浅く流れが急な所。
「岩にせかるる」・・岩にせき止められる。
「滝川の」・・急流のこと。上から流れ落ちる滝とは限らない。
 ここでは、二人の恋の激情を意味している。
「われても」・・「水が割れる」、「仲が割れる」の意を掛けている。
「あはむとぞ思う」・・「あは」は、水の流れが「合う」ことと、
 二人が「逢う」ことを掛けている。
「む」は、意思の助動詞。
末には、きっと逢おうよという強い意思が込められ、
男性的気勢がこもった作品になっている

崇徳院(すとくいん)
第75代天皇、
鳥羽天皇の第1皇子、わずか5歳で即位、
在位18年で退位、
弟の後白河天皇と対立し、保元の乱を起こしたが敗れて、
讃岐国(香川県)に流され、その地で没した。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)





好天に誘われて Go To 散歩!

2021年11月05日 16時02分54秒 | 散歩・ウオーキング

朝夕の気温は、一桁台になる日が多くなっている当地だが、
今日の日中は、20℃前後まで、上がり、
すっきり、さわやかな、温かな秋晴れ。
好天に誘われ、ぶらり、近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で 約8,500歩。

ブルーベリーの紅葉

君の名は?

エノキ(榎)

馬頭観音

サザンカ(山茶花)?

サルビア・ガラニチカ?

 

セグロセキレイ

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惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里

2021年11月05日 13時44分26秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録しているある方のブログ拝見していて、すっかり脳裏から消え去っていた言葉、「都々逸」(どどいつ)を見掛け、記憶が炙り出されてきた。昭和20年代~30年代、まだラジオしか無かった時代、電波が極めて届きにくく、NHKラジオ第1放送、1局が辛うじて聞けた北陸の山村で幼少期を過ごしたが、特に夕食後の団欒時等には、茶箪笥の上に鎮座した中古ラジオの前に家族が集まり、ほとんど毎日、番組を楽しみにしていたものだった。とっさに思い浮かぶ番組だけでも、「三つの歌」「お父さんはお人好し」「私は誰でしょう」「とんち教室」、「民謡を訪ねて」等々。「浪曲」「落語」「漫才」「漫談」等も多かったが、その中に、時々「都々逸」も有ったような気がする。子供のこととて、意味も分からず、面白くもなんともなかったが、元々東京人だった祖母が、寄席物、特に「浪曲」が大好きで、よく聞いており、なんとなく聞いている内に、サワリや断片的一部を覚えてしまったりしたものも有った。「都々逸」に関しては、節回し?や雰囲気程度しか記憶に残っていないが、懐かしさは有る。
今更になってネットで調べてみると
「都々逸」とは、江戸時代末期に初代・都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された七・七・七・五調の俗曲のことで、元来、三味線と共に歌われ、男女の恋を歌ったものが多かったのだそうだ。昭和時代中期頃までは、寄席の前座や合間に歌われたりしたようだが、時代が変わり、「浪曲」と同様、すたれてしまったということになる。ただ、唄物から離れて、文芸形式としての都々逸は、現在でも、新聞紙上等に作品が紹介されているようだ。この際、「都々逸」の有名な作品例をいくつか、書き留め置こうと思っているところだ。


都々逸作品例その2 
「惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里」(作者不詳)


惚れた相手(恋人や好きな人)のところへ行くには、
例え千里の道のりも、一里程に短く感じるものだという歌。
自分の好きな人のために、自分が好きにすることは
どんな苦労も苦にならないという意味合いがある。

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「娘」(再)

2021年11月05日 08時29分36秒 | 詩・エッセイ

4年前、2017年12月24日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「娘」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「娘」と題した詩(もどき)が有った。「1964年(昭和39年)3月26日」の日付が記されており、今から57年も前に書いたもののようだ。まだ独身の頃で、将来、結婚して、女の子が出来、そのまた十数年後、中年になって、成長したその娘とデート(?)する情景等を、空想、妄想したような類で、映画の1シーン、小説の1コマ等から、憧れたのかも知れない。
残念ながら、現実は、全くそのようにはならず、子供は、男二人(今は、もうすっかり中年、おとっつぁんになってしまっているが)、着こなし良い紳士にも成れず、文字通り、全て、夢、幻で終わってしまったが・・・・・。
50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思っていないはずで、恥ずかし気もなく走り書きしたものだが、こんな物をよくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

「娘」

何十年かが過ぎ去って
もはや 私は 若者ではなくなっています。
暖かい春の日射しを浴びながら 
公園をゆっくり散策するカップルがあります。
私と娘の二人。
人々は うらやましげに この二人を見送っています。
中年の 着こなしの上手い紳士と 
伸び伸びと育った新鮮な乙女、
恋人同士のように腕を組んでは 
はしゃいで、とびはねては 二人で笑い転げます。
何て幸せな風景なのでしょう。
甘えん坊で泣き虫な娘、
でも ちょっぴりお茶目でかわいい娘、
娘は 私の手を引っ張って 街を歩み、買い物に付き合わす、
喫茶店の片隅で待ち合わせ、駅のホームで 合図する、
私と娘の会話って どんなに楽しいものかな、
そんな日がいつか来るのだろうか、
いつも そう想っている私、

(1964年3月26日)