たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

イチゴの苗、植え付け

2021年11月10日 20時41分40秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

昨日は、1日中、かなりまとまった雨が降り続いた当地、
今朝は、すっかり雨も上がり、次第に、快晴の1日になった。

雨上がりの朝

当地の今日の日の出時刻は、6時13分頃、
日の入時刻は、16時39分頃、
日長時間は、約10時間26分、

前日にまとまった雨が降った晴日は、畑仕事には、絶好のコンディション、
イチゴの苗を植え付けるにはもってこいの日、
今日、やるっきゃない・・か、
午後になって、やおら、重い腰を上げ、約3時間半、畑仕事と相成った。

(1)イチゴの苗、植え付け、
   先日下準備しておいた畝に、牛糞混入、元肥施し、2畝。
   苗は、今年のイチゴの子株、孫株を採取したもの。
   生育の良いものを苗としたが、うまく根付いてくれるかどうか。

  

ホウレンソウ
1番手のホウレンソウが、発芽、生育不調、失敗だったため、
再種蒔きしていたが、今度はなんとか、発芽し始めた感じ。

しゃがみこんでの植え付け作業、足、腰、痛!、痛!
16時過ぎになってしまい、
秋の日は釣瓶落とし、日が傾き、急に冷え込んできて・・、
今日は、ここまで・・・、


猫額庭のフェンス際で、大きくなり過ぎて、
毎年、何度も大胆に剪定しているキウイ
痛めつけても、痛めつけても、健気に、秋には、実を生らせる。
毎年、葉が枯れて、カサ、コソ落ち、下に積もる頃に
収獲することしているが、今年は、ちょっと、変?
ほとんど、葉が枯れてこない。
収獲適期には違いないはず、試しに 数個、採り、
しばらく、リンゴと一緒に保管し、試食してみることに。

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あらざらむ この世のほかの 思い出に 今ひとたびの 逢ふこともがな

2021年11月10日 09時02分26秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラと、ページを捲ってみたところ、なかなか、詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、正月になると、必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみようと思っているところだ。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その2

あらざらむ この世のほかの 思い出に
今ひとたびの 逢ふこともがな

出典 後拾遺集(巻十三)

歌番号 56

作者

和泉式部(いずみしきぶ)

歌意

(私はまもなく死んで)この世にはいないでしょう、
(だから)死んだ後の、あの世での思い出にするために、
(せめて)もう一度、あなたにお逢いしたいものです。

注釈

「あらざらむ」・・生きていないだろうの意。「この世」を修飾する言葉、
「この世のほか」・・仏教思想で「死後の世、あの世、来世」のこと、
「逢うこともがな」・・「逢う」は、単にお逢いするという意味ではなく、
夜を共に過ごすの意味が有る。
「もがな」・・「したいものだ」と訳する願望の終助詞。


和泉式部
大江雅致の娘、和泉守橘道貞に嫁ぎ、小式部を生んだ後、一条天皇の中宮彰子に仕え、さらに藤原保昌の妻となった。
歌才と美貌のほまれが高い情熱家で、冷泉院の皇子為尊親王、ついで、その弟帥宮敦道親王との恋愛等、男性遍歴を重ねた。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 

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