たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

戀という字を 分析すれば 愛(いと)し愛(いと)しと 言う心

2021年11月29日 20時11分32秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録しているある方のブログ拝見していて、すっかり脳裏から消え去っていた言葉、「都々逸(どどいつ)」を見掛け、記憶が炙り出されてきた。昭和20年代~30年代、まだラジオしか無かった時代、電波が極めて届きにくく、NHKラジオ第1放送、1局が辛うじて聞けた北陸の山村で幼少期を過ごしたが、特に夕食後の団欒時等には、茶箪笥の上に鎮座した中古ラジオの前に家族が集まり、ほとんど毎日、番組を楽しみにしていたものだった。とっさに思い浮かぶ番組だけでも、「三つの歌」「お父さんはお人好し」「私は誰でしょう」「とんち教室」、「民謡を訪ねて」等々。「浪曲」「落語」「漫才」「漫談」等も多かったが、その中に、時々「都々逸」も有ったような気がする。子供のこととて、意味も分からず、面白くもなんともなかったが、元々東京人だった祖母が、寄席物、特に「浪曲」が大好きで、よく聞いており、なんとなく聞いている内に、サワリや断片的一部を覚えてしまったりしたものも有った。「都々逸」に関しては、節回し?や雰囲気程度しか記憶に残っていないが、懐かしさは有る。
今更になってネットで調べてみると
「都々逸」とは、江戸時代末期に、初代・都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された七・七・七・五調の俗曲のことで、元来、三味線と共に歌われ、男女の恋を歌ったものが多かったのだそうだ。昭和時代中期頃までは、寄席の前座や合間に歌われたりしたようだが、時代が変わり、「浪曲」と同様、すたれてしまったということになる。ただ、唄物から離れて、文芸形式としての都々逸は、現在でも行われており、新聞紙上等に作品が紹介されているようだ。粋でストレート、ことわざの感覚で、これまでなんとなく聞いたことが有る、「都々逸」の有名な作品例をいくつか、書き留め置こうと思っているところだ。

(ネットから拝借イラスト)


都々逸作品例その5 
「戀という字を 分析すれば 愛(いと)し愛(いと)しと 言う心」


フム、フム、なーるほど・・、

おあとがよろしいようで・・、


庭先の赤色侘し冬隣

2021年11月29日 16時48分32秒 | 暮らしの記録

当地、今日は、終日、薄曇りで、体感的には、冬日だった。
今年も、残すところ、1ケ月余り、
この時期、殺風景になっている猫額庭で目立つのは、
マンリョウ(万両)の実と ナンテンの実。
  庭先で赤色侘し冬隣
日暮れが早い。

マンリョウ(万両)

ナンテン(南天)

 

 

 


想い出の旅アルバム 「紅葉のカナダ・メープル街道」 その1 (再)

2021年11月29日 12時11分26秒 | 旅行記

つい数年前まで自営業を続けていて、時間的、精神的、経済的余裕も無く、海外旅行どころか、国内旅行も、夢のまた夢だった気がする。我が家にとっては、せいぜい、子供を連れて、夫婦のどちらかの実家を訪ねるのが旅行であって、夫婦で観光旅行等、指折り数える程しか出来なかったものだ。完全に仕事を辞めてからは、時間的、精神的余裕は出来たものの、今度は、気力、体力減退、旅行意欲も薄れてしまい、さらにコロナ禍で、すっかり出不精になってしまっている。
夫婦にとって、そんな貴重な旅の写真は、以前 「デジブック」にしていたが、すでにサービスが終了してしまっており、写真は、再び、外付けHDに眠ってしまっている。

今から5年前、2016年10月、まだまだ自営業を続けていた頃だったが、すでに、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になっており、清水の舞台から飛び降りる思いで、旅行会社の格安ツアーに申し込みし、「紅葉のカナダ・メープル街道」を訪れたことが有った。旅行記は、当時、ブログにも書き込んでいるが、再度、順次、写真を引っ張り出して「ZUISO」にしてみようと思っているところだ。

「紅葉のカナダ・メープル街道」 その1
「ローレンシャン高原・トレンブラン山」

(ネットから拝借画像)

 


ZUISO
想い出の旅アルバム
紅葉のカナダ・メープル街道(1)トレンブラン山
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(続く)