gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、なんとなく、嬉し、懐かしくなってしまい、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることもある。最近のこと、5年前、2017年に書き込んでいた記事「千曲川旅情の歌」にも、度々、アクセスが有ることに気が付き、早速、コピペ、リメイク(再編集)することにした。こんなことが簡単に出来るのも、「デジタル」のメリットであり、従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことである。ブログを始める前までは、想像も出来なかったことが、今、出来る・・・、出来ることはやってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
雪解け、せせらぎ、丸木橋・・・♪、
北陸の山村育ちの爺さん、毎年、この時期、春は名のみの風なお寒き北国の情景等を、数多のブログで拝見させていただく度、郷愁に駆られてしまうこと多しだ。
新緑と桜と雪山の情景、田起こしの情景等々、ふるさとの原風景、旅先で見た早春の風景等に重なるが、中でも、数十年に渡り、車で往来した地、信州の早春の風景がイメージとして思い浮かんでくる。安曇野を走る時は、抒情歌「早春賦」が、北国街道を走る時は、島崎藤村の詩「千曲川旅情の歌」が、頭を過ったものだった。
「千曲川旅情の歌」
今更になってネットで調べてみると、「千曲川旅情の歌」は、1905年(明治38年)に発行された詩集「落梅集」に収録されていた島崎藤村の二篇の詩、「小諸なる古城のほとり」、「千曲川旅情の詩」を、後に、島崎藤村自身が自選、刊行した「藤村詩抄」で、「千曲川旅情の歌、一、二」として、一篇に合わせたものだった。
「小諸なる古城のほとり」(「落梅集」より)
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る
あたたかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよう波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
「千曲川旅情の歌」(「落梅集」より)
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思いわづらふ
いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ
百年もきのふのごとし
千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
ただひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ
詩朗読・森繁久彌、「千曲川旅情の歌」 (YouTubeから共有)
作詞 島崎藤村、作曲 弘田龍太郎、唄 鮫島有美子、「小諸なる古城のほとり」
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