第2章 「出自」
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話が前後することになるが、3歳の時に実の母親と死別し、5歳の時に実の父親と離別、石澤くにの養女となり、くにの娘として育った千代子が、実の父母、木村甚一郎やよ志のこと、木村家のこと、自分の出自のことを、一番最初に知ることになったのは、14歳~15歳の頃になってからのことだった。
ある日、その歳になるまで、存在すらも知らなかった、千代子の実の兄だという徹郎が、突然、東京巣鴨のくにの家を訪ねてきた。(後年になってから、もしかしたら、くにとは連絡を取り合っていたのかも知れない・・と、千代子は思ったものだったが)。千代子は、飛び上がらんばかり驚き、実の兄との再会に涙を流したのだったが、その後、度々 二人は、密かに会い、お互いの胸の内を語り合うようになった。そんな千代子に、徹郎は、実の父母、木村甚一郎・よ志のこと、木村家のこと、千代子が生まれてから養女になるまでのことを、知っている限りを語ったのだったが、そのひとつひとつが、千代子の知らなかったことばかりで、大きな衝撃を受けるのだった。ただ、徹郎からは、嘆いたり、悲しんだり、恨んだりすることをするな、今、幸せなんだから・・・と、やさしく慰められ、千代子は、それに頷き、素直に従うのだった。
その当時、徹郎は、住み込みで働きながら、夜間の大学に通う学生だった。背が高くスマートで格好良い青年、千代子にとっては、初めて間近に見る異性、まるで恋人のような存在にもなり、信頼し、慕い、デートを重ねたのだ。
千代子は、晩年になってから、「お兄さんと過ごしたあの頃が、人生で最も楽しい日々だった」と繰り返し、述懐していたものだ。
衝撃だった話のひとつは、それまで、実の母よ志が、3番目の子供を出産する時、子供と一緒に亡くなったと聞いていたものが、実は、千代子の下に、もう一人、男の子(徹郎と千代子の弟)がいて、生まれたばかりに、戸籍に入れずに、他家の子供として認知、貰われていったのだという話だった。そんなことが出来るんだろうか?、千代子には信じられない、狐につままれた思いだったが、徹郎は、知っていたのだ。ただ、両家の取り決めで、家を訪問したり、その弟と会うことは一切しないことになっているということで、徹郎ももちろん会っておらず、千代子にも、今は会うことが出来ないということを語り、所在も名前も知らせなかった。
その話は、事実だった。実の弟の名前は、浩史。戦後、昭和30年代になってから、徹郎は、すでにその家の世帯主となっていた浩史と連絡をとり合い、物心付く前に、実の父母と縁が切れ、離れ離れになって育ち、音信も不通だった、徹郎、千代子、浩史、実の、兄、妹、弟3人が、ただ一度だけ、涙の再会を果たすことになったのだった。
(つづく)