たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「寄り合い家族」 No.017

2023年10月21日 18時29分46秒 | 物語「寄り合い家族」

第4章 「巣鴨の家」
(2)

正月気分もおさまり、よく晴れて風も無く、陽射しが温かく感じる日だった。くには、盥(たらい)に汲んだ井戸水で、せっせと洗濯に精を出していたところだったが、通りの板塀から、ひょっこり顔を覗かせた入江綾子が、
「くにさん、ちょっと、いい?」と、言いながら入ってきた。
千代子と同い歳の女の子がいたこともあって、ここ、巣鴨に引っ越してきてから直ぐに親しくなり、互いに行き来するようになっていた、近所の資産家の入江淳一郎の妻である。
くにより、2~3歳は若く、気さくで、誰とでもおしゃべりする女性だったが、人当たりの良いくにとは、特に馬が合ったようで、お互いに、「くにさん」「綾子さん」と呼び合う仲になっていたのだ。
「今日は、だいぶ、あったかくて、助かるねー、」
「何しろ、洗濯物、たまってしまってさあ・・・」
「玄関の横の梅、ちょっと、蕾、膨らんできたんじゃなーい」
洗濯は、まだ終わってはいなかったが、くには、手を休め、綾子を家の中へ招き入れ、いつものように茶を入れると・・・、
「実はねえ、くにさん、ウチの人がさー、知り合いから聞いてきた話なんだけどさー、掃除とか、洗濯とか、食事の世話とかしてくれるおばさん、探しているっていう人、いるんだってさー・・・」
「詳しいことは分かんないけど、どうも、金物問屋のご隠居の家でねえ、駒込らしんだよ。駒込なら、近いしさー・・・」
「住み込みでなくってもいいって、言ってるようだしさー、くにさん、どうかしらねー、・・・」
くには、前の年の秋に、この巣鴨の家に引っ越してきてから直ぐにも、本格的に仕事を探し始めていて、あちらこちらに声を掛けていたのだった。くにと千代子、母娘の事情を知って、いろいろ心配してくれる人がいたが、尋常小学校高学年の千代子を一人、放っておく分けにはいかず、やはり、限られた時間の仕事となると、なかなか難しく、千代子が、学校を卒業するまでは、無理かなあ等と思い始めていたのだった。
「わたしなんかでも、務まりそうなのかしらね」
綾子がもってきてくれた話に、なんとなく気乗りしてしまったくに、
「せっかく、旦那さんが心配して、もってきてくれた話、うかがってみようかしらん」
「綾子さん、旦那さんに、その方の住所とか名前、聞いてもらうよう、お願いして下さいな」等と応じ、綾子は綾子で、くに、千代子、母娘には、なんとしてもお節介を焼く気になっていた。
その数日後の昼過ぎ、綾子が、夫の淳一郎が知り合いから聞き込んできた、家事手伝いをするおばさんを探しているというお宅の情報を知らせにやってきた。そのお宅は、松本善蔵、良重という老夫婦の家で、駒込の駅から歩いて5~6分に有るのだという。善蔵は、2年前まで、浅草で金物問屋を営んでいたが息子に譲り、隠居暮らしをしていたが、今年の正月、妻の良重が足を悪くし、思うように家事を熟せなくなってしまい、急遽、お手伝いさんを探しているということのようだった。
「ウチの人、くにさんのこと、知り合いに話したんで、多分、その松本さんの方に連絡してくれていると思うよ」、
綾子から急かされたくには、その翌日、早速、駒込の松本善蔵邸を訪ねたのだった。
どっしりした造りの邸宅で、訪いをいれると妻の良重が玄関に出てきた。足を引きずっていたが、品の良いおっとりした女性で、くには 第一印象、好感を抱いたのだった。予め、話が通じていたのだろう、すんなり迎え入れられ、座敷に通され、夫の善蔵とも型通りの挨拶を交わしたが、細かいことに拘らない鷹揚な人柄のように見え、くには、たちまち、この家の家事手伝いを、やる気になってしまったのだった。
さらに、働く時間も、きっちり定めること無しで、食事の支度、片付け、掃除、洗濯等さえ、きっちりしてもらえれば、それで良いこと、くにと千代子の事情も聞き知っていて、子連れで通ってもらっても一向に構わない等、くににとっては、願っても無い条件が揃っていて、くには、一も二もなく、「よろしくお願いします」と、頭を下げるのだった。善蔵・良重夫婦も、くにの人柄を感じ取ってくれ、大いに好感を持ったようで、
「明日からでも、お願いしますよ」と、歓迎されたのだった。
特別、準備するものも無く、くには、その翌日から、駒込に通い始めた。他人様の暮らしの中に入り込み、家事をするには、気遣いも必要、馴れるまでは、相当な時間は掛かるものだが、若い頃から、女中奉公等していたくににとっては、その辺の心得は十分に有り、料理の腕も素人とは言えず、善蔵、良重夫婦は、くにの働き振りに感心するばかりだった。
千代子を、出来るだけ一人にしたくないくには、千代子の登校時間、下校時間、休日、朝、昼、夕、時間を調節しながら、時々は、千代子を連れて、松本邸へ通ったのだが、善蔵、良重夫婦にとっては、女の子が時々家に居る暮らしが楽しみになり、千代子を孫のように可愛がってくれるのだった。
ある日、くにが千代子を連れて、松本邸で出向き、家事をしていた時、良重の姪だという日出典子という来客が有り、くには、引き合わされた。典子は、くにより1歳歳上で、夫と共に、吾妻橋の近くでメリヤス下着等の縫製業を営んでいるという、サバサバ、如才ない、江戸っ子気質の女性だった。
情に厚い典子は、年齢もほとんど同じくにが、養女の千代子を連れて、叔母の家で、家事手伝いの仕事に通っていることに、すごく同情を感じたようで、積極的に話掛け、打ち解けて、旧知の友達のように、接してくれたのだった。月に3度は、松本邸に立ち寄っているという典子、くにと顔を合わす度に、親しくおしゃべりするようになり、
「今度、ウチに、遊びに来なさいよ」等と 言われる仲になった。
善蔵、良重夫婦には、そんな、くにと典子の関係が、仲の良い娘姉妹のようにも見え、温かく見守る風であった。
やがて、3月になり、千代子は、転校してわずか数ヶ月の尋常小学校を卒業することになったが、担任の先生や同級生と馴染む間もな無しで、感慨は薄いものだった。千代子は、晩年になって、その卒業した小学校のことが、ほとんど記憶に無いことに気がつくのだった。

(つづく)

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.93 「いっせき」

2023年10月21日 15時00分38秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、話したりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出し、ブログ・カテゴリー「懐かしい故郷の方言」に、書き留め置くことにしている。

懐かしい 昭和20年代、30年代の農村風景
「ニワトリの餌やり、チャンバラごっこ」
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画。
ご本人のご了解を得て拝借している。


No.93 「いっせき」

「一番、大事」「一番、大切」「頼りにしている」等というような意味合いの言い方、言葉だったような気がする。近所の農家のおばあちゃんが、よく使っていた。

例えば

「カアチャ ダイジニシナイヤ、アンチャ、イッセキ ダワネ」
(お母さんを大事にしなさいよ。貴方(長男)が、一番頼り なんですから)

 

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日毎に夜明けが遅くなり・・・、

2023年10月21日 12時11分23秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の日の出時刻は、5時55分頃、
日毎に、夜明けが遅くなっていることを、実感している。
真夏には、5時台にしていた、散歩・ウオーキングも
今は、6時を過ぎてからとなり、
次第に、ジャンパー等、冷え込み対策も、必要になってきている。
今朝も、脚、腰、痛!、痛!、体調イマイチだったが、
猫体操、10分~15分、なんとか大丈夫そう?
やおら、重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
足、腰、の痛みを庇ってしまい、
どうしても、腰が曲がり、前屈みになってしまう、八十代の爺さん、
途中、何度も立ち止まり、背伸ばし、伸脚、屈伸、しながら、
  胸を張れ腹へっこめろ腰伸ばせ
スマホの歩数計で 約5,500歩。

いた!、いた!、カワセミ

 

 

君の名は?
直径20cmもあろうかという大きな実


(追記)
「オニユズ(鬼柚子)」の実のようです。
相互フォロワー登録している、mirapapaさんに、教えていただきました。


 

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秋たけなわの候

2023年10月20日 08時41分26秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の日の出時刻は、5時54分頃、
天気予報では、「晴のち曇」になっているが、
からりと乾燥した、秋晴れの1日になりそうだ。

「秋たけなわの候」・・・、等という言葉があるが、
今が まさにその時期・・かな?。
「たけなわ」とは、漢字で、「酣」と書き、
お酒を発酵させる際に、だんだんと甘くなってきた状態を表現する言葉なのだそうだ。
転じて、「物事の盛り」という意味の言葉になっている。
「へー!、そうだったの」、
今更になって、目から鱗・・・である。

今朝も、妻が散歩・ウオーキングに出かける音で目覚めたが
脚、腰、痛!、痛!、体調イマイチ、
  ここ2~3日、休んでるし(サボってるし)・・・、
  こんな気持ち良い朝に、歩かなくちゃ・・・
やおら、重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
足、腰、の痛みを庇ってしまい、
どうしても、腰が曲がり、前屈みになってしまう、八十代の爺さん、
途中、何度も立ち止まり、背伸ばし、伸脚、屈伸、しながら、
  胸を張れ腹へっこめろ腰伸ばせ
スマホの歩数計で 約5,000歩。

キンモクセイ(金木犀)が満開

シュウメイギク(秋明菊)

 

ボタンクサギ(牡丹臭木)

君の名は?
キミガヨラン(君が代蘭)・・・、だった。


爺さんの備忘録的花図鑑「キミガヨラン」
👇
こちら


 

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忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

2023年10月19日 17時20分15秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その31

忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
物や思ふと 人の問ふまで

出典
拾遺集(巻十一)

歌番号
40

作者
平兼盛

歌意
誰にも知られまいと、恋しい思いを、包み隠していたけれども
私の恋心は、とうとう顔色や表情に表れてしまったことよ。
「恋の物思いをしているのか」と、人が怪しんで尋ねるほどまでに。

注釈
「忍ぶれど」は、「心の中でこらえていたが」の意。
「色」は、「顔色」「様子」の意。
「出(い)でにけり」の「けり」は、詠嘆の助動詞、
「物や思ふと」は、「何か物思いをしているのですか、と」、・・の意。
「人の問うまで」の「の」は、主語を示す格助詞。

天徳4年(960年)、村上天皇、左大臣藤原実頼等が参列して
行われた、「天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)」に
出された歌で、壬生忠見(みぶのただみ)と争って勝った歌。


平兼盛(たいらのかねもり)

光孝天皇の曾孫で歌人の平篤行の子供、
三十三歌仙の一人
天暦4年(950年)以降、山城介、駿河守等に、任じられた。


振り返り記事
「壬生忠見(みぶのただみ)」
👇
こちら


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)

 


(つづく)

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その37

2023年10月19日 11時31分57秒 | 山歩記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、11年前の2012年3月に、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めていた記事、「小遠見山」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その37
「小遠見山(ことうみやま)」(再)

今から15年も前の2008年7月20日のこと、
当時は、まだ、母親が北陸の山村で一人暮らしをしていて、認知症が始まり出し、「要支援」状態に入っていた頃で、自営業のスケジュールを調整し、妻と二人、その様子見に、毎月のように、車を飛ばし、1泊~2泊で、トンボ返りを繰り返していた頃だったが、その日、帰り道に、寄り道をし、ほんの数時間だったが、「小遠見尾根」を歩いたものだった。
毎度、「安曇野」を通過し、北アルプス、後立山連峰等を、横目でチラ見しながらも、時間に追われて、ただただ先を急いでいたものだったが、「少しは、楽しまないと・・」と思い立って、予め、山歩きの準備をしていたのだった。


歩行コース・歩程等

白馬五竜テレキャビン「アルプス平駅」→地蔵の頭→見返坂→一ノ背髪→二ノ背髪→
小遠見山山頂(標高2,007m)→(往路を戻る)→二ノ背髪→一ノ背髪→見返坂→地蔵の沼→
白馬五竜テレキビャン「アルプス平駅」 
(標準歩行所要時間=約3時間30分)


その日は、三連休の中日で、帰途、各地での渋滞を懸念、実家を早出し、国道148号線を南下したようだ。白馬五竜エスカルプラザ駐車場着までは、スムーズで、天候もイマイチだったせいもあってか、1,000台は駐車可能とされている大駐車場も、10%程度で、ガラガラ、閑散としていた気がする。

先ずは、全長2,016mの「白馬五竜テレキャビン」で、「とおみ駅」から「アルプス平駅」(標高1,515m)に上がる。所要時間=約8分。

白馬五竜テレキャビン「アルプス平駅」

しばらくは、山野草園内を登っていく。

イブキジャコウソウ(伊吹麝香草)

シコタンソウ(色丹草)

ニッコウキスゲ(日光黄菅)

コマクサ(駒草)

ハクサンボウフウ(白山防風)?

 

地蔵の頭(標高1,676m)

                       オオバギボウシ?

 マイヅルソウ(舞鶴草)

ゴゼンタチバナ(御前橘)

シモツケソウ(下野草)

 

小遠見山山頂(標高2,007m)

往路を戻り、途中、「地蔵の沼」コースへ・・・

Img_1702_2

地蔵の沼(標高1,648m)

 

ヤナギラン(柳蘭)

 

11時頃には、白馬五竜テレキャビン「アルプス平駅」に戻ったようだが、
家族連れ等が、続々、ゴンドラで上がってきて、かなり賑わっていたような気がする。
熱々の豚汁?がふるまわれていたり、オカリナのグループが演奏していたり・・・、

Img_1749

ゴンドラ乗客には、冷たいおしぼりのサービスが有り・・・、
11時30分頃、次第に混み合ってきた駐車場を後に、一路、家路についたのだった。
案の定、中央自動車道は、笹子トンネル手前や、上野原IC付近で、断続的に渋滞があり、
途中、何度も休憩しながら、17時30分頃、帰着したようだ。
15年前、あの頃はまだ、長距離運転、山歩き・・・、
そんな気力体力が有ったんだなあと、つくづく思ってしまう。

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鉄道唱歌・信越本線篇

2023年10月18日 18時07分26秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「鉄道唱歌・東海道本線篇」に、アクセスが有ったことに気が付いた。「鉄道唱歌・東海道本線篇」が有るのなら、「信越本線篇」も有りそうなもの?、YouTubeで、検索したところ、やはり有り、共有させてもらうことにした。
最早、遠出することをしなくなった老夫婦、
居ながらにして、国内旅行気分に浸ることにする。
子供の頃から、慣れ親しんだ、(旧)「信越本線(しんえつほんせん)」
懐かしい響きだ。

鉄道唱歌・信越本線篇 (YouTubeから共有)


振り返り記事
「鉄道唱歌・東海道本線篇」
👇
こちら


(ネットから拝借画像)

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ダイコン、間引き、追肥、土寄せ 他、・・・・、

2023年10月18日 17時10分26秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

天気予報を見る限り、
今日は、全国的に、秋晴れが広がっているようで、
当地も、早朝の気温こそ、10℃前後と低かったものの、
日中は、25℃前後まで上がったようだ。
絶好の行楽日ではあったが、
  もう、6日間も行ってないし・・・・、
  今日は、どうしても・・・・、
ということで、
やおら重い腰を上げ、午前中、Go To 畑! と相成った。

(1)1度目の種蒔き不調で、2度目追加種蒔きをし
   発芽、生育、危ぶまれたダイコン(大根)、
   なんとか、揃ってきた。
   先ずは、草取り(草抜き)してやり、
   間引き(とりあえず3本立ち、1回目)し、
   追肥、土寄せ・・・、
   生育、例年より、かなり遅れているような気がする。

(2)サニーレタス、追加種蒔き
   先日、種蒔きしたのが、ほとんど発芽しておらず、失敗?、蒔き直し、
   今年の秋野菜、冬野菜、発芽、生育、みな、おかしい?気がする。

(3)コマツナ(小松菜)も、1回目種蒔き失敗して、
   先日2回目種蒔きしていたが、今度は、なんとか揃って発芽している。

(4)サトイモ(里芋)、試し掘り、
   毎年、葉茎が枯れて倒れる頃に収穫しているサトイモ、
   待ち切れず、1株、掘ってみたが、小粒ばかり・・、
   やっぱり、ちょっと、まだ、早いようだ。

 

(5)ハクサイ(白菜)も、例年より、かなり生育悪し、
   もしかしたら、巻かないかも知れない?

水やりをしていると目の前の畝に降り立つ、ツマグロヒョウモン
接写しても、逃げない・・・、

君の名は?

間引きしたダイコン(大根)
つまみ菜

今年も、塩漬けにし、切り刻み、熱々のご飯にマブシ、菜飯にして食することに・・・、

頻繁休憩しながら、午前中、2時間半も掛かってしまい、
足、腰、痛!、痛!、
体力限界、時間切れ、
引き上げてきた。
やれ、やれ、1件落着!

 

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オミナエシ(女郎花)

2023年10月17日 13時59分57秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地や我が家の猫額庭等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まった花の写真を引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。花名を調べたり、知ったところで、ナンボになる分けでも無しだが、脳トレ、ボケ防止の一助になるかも知れない等と、勝手に思い込みながら・・・。


「オミナエシ」

9年前、2014年8月30日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「オミナエシ」

2018年8月2日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「オミナエシ」

2019年7月23日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「オミナエシ」

2021年7月27日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「オミナエシ」

今年、2023年7月4日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「オミナエシ」

 


オミナエシ(女郎花)

オミナエシ科、オミナエシ属、多年草
   和名「女郎花(オミナエシ)」の「オミナ(女郎)」とは、美しい女性の意で、
   「万葉集」では、「女郎」の他、「佳人」「美人」「娘子」「娘」「姫」等の
   字が、使われていた。
   「女郎花(オミナエシ)」の「エシ」には、動詞「ヘス(圧す)」の連用形と
   する説と、推量の「ベシ」とする説があるとされ、
   「美女をも圧倒する美しい花」、あるいは、「女らしい花」の意味となる。  
   他にも、「女飯」が語源とする説等、俗説が有るようだ。
   別名 チメグサ(血目草)、アワバナ(粟花)、ハイショウ(敗醤)、
原産地・分布 日本、中国、朝鮮半島、東シベリア等、東アジア、
       日本では、北海道、本州、四国、九州の、
       日当たりの良い草地等に自生している。
草丈 60cm~1.5m、
花色 黄色、
開花時期 6月頃~10月頃、
花言葉 「親切」「美人」


「女郎花」は、
日本では、万葉集の時代から親しまれた植物で
「秋の七草」の一つとされている。

振り返り記事
「秋の七草」
👇
こちら


「女郎花」は、
 俳句では、「秋」の季語

何うらむさまか枯野の女郎花    正岡子規 

ひょろひょろと猶露けしや女郎花  松尾芭蕉 

よろよろと我もまけめぞ女郎花   小林一茶 

行秋に袖も留るや女郎花      加賀千代女


 

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天高く・・・・、

2023年10月17日 09時17分58秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の日の出時刻は、5時51分頃、
今日も、からりと乾燥した、秋晴れの1日になりそうだ。
脚、腰、痛!、痛!、体調もイマイチだったが、
猫体操、10分、なんとか大丈夫そう・・・?
やおら、重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
足、腰、の痛みを庇ってしまい、
どうしても、腰が曲がり、前屈みになってしまう、八十代の爺さん、
途中、何度も立ち止まり、背伸ばし、伸脚、屈伸、しながら、
  胸を張れ腹へっこめろ腰伸ばせ
スマホの歩数計で 約4,100歩。

 

君の名は?

あちらこちらで、キンモクセイ、満開に・・・、

玄関先に、朝の訪問者、
アオイロカメムシ?・・・かな、

 

(追記)
ネットで調べてみると、
どうも、「アオクサカメムシ」のようだ。

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