真理は単純で美しい
* * * * * * * *
4世紀に実在した女性天文学者ヒュパティアのストーリーです。
舞台はエジプト、アレクサンドリア。
そもそも4世紀などといわれてもぜんぜんピンときませんが、
ローマ帝国の末期、キリスト教がどんどん勢力を広げている時期。
エジプトには太古からの「神」があったわけですが、
異端を認めないキリスト教徒により迫害されていくのです。
ヒュパティアは、学問を弟子たちに講義します。
それは天文学であり数学であり・・・、世界の真理を追求する科学です。
地球は丸いという説があるけれど、それならば、裏側や側面の人は何故落ちないのか。
地球が動いているというなら、いつも風は同じ方向に吹くのではないか・・・。
弟子たちの素朴な疑問に、ヒュパティア自身も解答は持っていません。
でも、今すぐに役に立つようなことではないけれど、
真摯に真理を突き止めようとする、
これこそ科学する心、学ぶ心ですよね。
学校の原点がここにある。
終盤に、地球が太陽の周りを正円ではなく楕円軌道で回っていることを
彼女が立証するシーンがあります。
ちょっと感動ものです。
真理というのは単純で美しいのだなあ・・・。
ところが、そのときすでに彼女には危険が迫っている。
キリスト教は地球が太陽の周りを回っているなどという“まやかし”は受け入れません。
それを説くヒュパティアは魔女だということで、抹殺しようとする。
かくして真理への道は閉ざされ、
それから果てしない暗黒の時代が続くわけです。
キリスト教はその発生時にはとんでもない迫害を受けたわけですが、
いずれそれはこのように逆転し、異端を迫害する立場になる。
十字軍の遠征もしかり。
十字架の下でどれだけの犠牲があったかなど考えるだけでも恐ろしい・・・。
しかし、この作品で考えるべきなのは、
このような宗教の恐ろしさというよりは、
時代の流れの中で、大衆が一つの方向に動こうとするときのヒステリックな残酷さ、
このことなのだろうと思います。
現代は、特定の宗教ではなく、ネットが世界を支配しています。
マスコミやソーシャル・ネットワーク、
時にこれが私たちをとんでもない方向へ動かしてしまう危険性はないのでしょうか。
私たちは宗教に絡め取られたいにしえの人々を笑うことは出来ません。
自分にとっての“真理”を大事にしたいですね。
図書館の貴重な人類の英知が燃やされていくシーンは
本当に見ていて辛いです。
このような愚かしいことがまたあってはなりません。
さて、映画の話に戻りますが、
この作品ではヒュパティアに対して、彼女を恋い慕う奴隷のダオスを配置しています。
彼は彼女に付き従い、弟子たちへの講義を聴いている内に
実は最も真理を語るにふさわしい知識を身につけているのです。
しかし、聡明なヒュパティアではありますが、
当時の“身分”というものにはなんの疑問も持ってはいなかった・・・。
彼女から見るとダオスはやはりただの奴隷。
それに耐えきれず彼は彼女の元を去り、キリスト教の僧兵となってしまう。
つまり彼女を迫害する立場です。
彼女を最も理解しながら、敵対する位置にいる・・・、
この彼の存在がこのストーリーに深みを加えています。
作品中幾度も私たちは宇宙に浮かぶ地球の映像を目にします。
ヒュパティアのいるアレクサンドリアを俯瞰しどんどん高度を増して、
大気圏外へ出て、地球を見渡す映像となっていく。
ヒュパティアは、この光景をどんなにか見てみたかったでしょう。
壮大な地球に対して人々の営みは何とも矮小でせせこましいけれど、
この世の有り様をきちんと想像し、証明することが出来る人の力はやはり偉大ですね。
いろいろと考えるべきことの多い作品です。
「アレクサンドリア」
2009年/スペイン/127分
監督:アレハンドロ・アメナバール
出演:レイチェル・ワイズ、マックス・ミンゲラ、オスカー・アイザック、アシュラフ・バルフム
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4世紀に実在した女性天文学者ヒュパティアのストーリーです。
舞台はエジプト、アレクサンドリア。
そもそも4世紀などといわれてもぜんぜんピンときませんが、
ローマ帝国の末期、キリスト教がどんどん勢力を広げている時期。
エジプトには太古からの「神」があったわけですが、
異端を認めないキリスト教徒により迫害されていくのです。
ヒュパティアは、学問を弟子たちに講義します。
それは天文学であり数学であり・・・、世界の真理を追求する科学です。
地球は丸いという説があるけれど、それならば、裏側や側面の人は何故落ちないのか。
地球が動いているというなら、いつも風は同じ方向に吹くのではないか・・・。
弟子たちの素朴な疑問に、ヒュパティア自身も解答は持っていません。
でも、今すぐに役に立つようなことではないけれど、
真摯に真理を突き止めようとする、
これこそ科学する心、学ぶ心ですよね。
学校の原点がここにある。
終盤に、地球が太陽の周りを正円ではなく楕円軌道で回っていることを
彼女が立証するシーンがあります。
ちょっと感動ものです。
真理というのは単純で美しいのだなあ・・・。
ところが、そのときすでに彼女には危険が迫っている。
キリスト教は地球が太陽の周りを回っているなどという“まやかし”は受け入れません。
それを説くヒュパティアは魔女だということで、抹殺しようとする。
かくして真理への道は閉ざされ、
それから果てしない暗黒の時代が続くわけです。
キリスト教はその発生時にはとんでもない迫害を受けたわけですが、
いずれそれはこのように逆転し、異端を迫害する立場になる。
十字軍の遠征もしかり。
十字架の下でどれだけの犠牲があったかなど考えるだけでも恐ろしい・・・。
しかし、この作品で考えるべきなのは、
このような宗教の恐ろしさというよりは、
時代の流れの中で、大衆が一つの方向に動こうとするときのヒステリックな残酷さ、
このことなのだろうと思います。
現代は、特定の宗教ではなく、ネットが世界を支配しています。
マスコミやソーシャル・ネットワーク、
時にこれが私たちをとんでもない方向へ動かしてしまう危険性はないのでしょうか。
私たちは宗教に絡め取られたいにしえの人々を笑うことは出来ません。
自分にとっての“真理”を大事にしたいですね。
図書館の貴重な人類の英知が燃やされていくシーンは
本当に見ていて辛いです。
このような愚かしいことがまたあってはなりません。
さて、映画の話に戻りますが、
この作品ではヒュパティアに対して、彼女を恋い慕う奴隷のダオスを配置しています。
彼は彼女に付き従い、弟子たちへの講義を聴いている内に
実は最も真理を語るにふさわしい知識を身につけているのです。
しかし、聡明なヒュパティアではありますが、
当時の“身分”というものにはなんの疑問も持ってはいなかった・・・。
彼女から見るとダオスはやはりただの奴隷。
それに耐えきれず彼は彼女の元を去り、キリスト教の僧兵となってしまう。
つまり彼女を迫害する立場です。
彼女を最も理解しながら、敵対する位置にいる・・・、
この彼の存在がこのストーリーに深みを加えています。
作品中幾度も私たちは宇宙に浮かぶ地球の映像を目にします。
ヒュパティアのいるアレクサンドリアを俯瞰しどんどん高度を増して、
大気圏外へ出て、地球を見渡す映像となっていく。
ヒュパティアは、この光景をどんなにか見てみたかったでしょう。
壮大な地球に対して人々の営みは何とも矮小でせせこましいけれど、
この世の有り様をきちんと想像し、証明することが出来る人の力はやはり偉大ですね。
いろいろと考えるべきことの多い作品です。
「アレクサンドリア」
2009年/スペイン/127分
監督:アレハンドロ・アメナバール
出演:レイチェル・ワイズ、マックス・ミンゲラ、オスカー・アイザック、アシュラフ・バルフム