歳とって、いいなぁと思うのは、世間体とか、人並みとかってことが気にならなくなることだ。慣習とか常識なんてものにもとらわれなくなる。おいおい、そりゃ身勝手老人の誕生ってことじゃないか?高齢は恥の掻き捨てか?うん、これはたしかに気をつけなくちゃならんことだが、自分の考えややり方を気負いもなく押し通せるって点では、背中の荷物は間違いなく減った。勝手放題、やりたいようににやって、失敗したら、自分が責任とればいいだけのことだ。
稲刈りだって同じこと。米作りには暗黙の掟、は大袈裟だが、そんなことしちゃわかんねえ!とか、そいつぁうまくないんねえか?なんて暗黙の了解事項が結構ある。代々受け継がれた農業知識だからって面もあれば、農業改良普及所の先生方からのお教えは守らねば、って意識、無意識が働いて、稲刈りタブーてヤツが幅を利かせている。
稲は、日がたっぷり上がって、夜中に降りた露が乾いてから刈る、なんてのも常識の一つだ。そりゃ乾いてから刈った方が、後々の杭かけ乾燥が上手く行くてのは当たり前の話しだ。しかしねえ、ここいらじゃ、秋口夜はぐっと冷え込んで、降りる露の量も半端じゃないし、それ乾くの待ってたら、昼過ぎになっちまう。そんなことしたら、作業時間は大幅に制限されて、日が落ちてまで田んぼをうろつきまわらなくっちゃならない。せっかくだもの、お天道様の下で健やかに働きたいじゃないか。ええいっ、刈っちゃえ、刈っちゃえ!夜露で濡れて立った構うこっちゃねえ、刈り倒してそののまま置いておけばそのうち乾くさ。年寄りのことだ、刈ったそばからささっと集めたりできゃしねえんだし。刈った後で乾燥、乾燥。てことで、9時前には作業に入るようになった。
刈った稲束はその日の中に杭かけする、これも今まで何とはなしにとらわれてきた農家の常識だった。小さい田なら、刈っては集め、揃えては杭にかける、一日の作業で完結する。大きい田でも、一日一枚と限定して仕事にかかれば、なんとかなる。今日はこの田、明日はあっちを片づける、そんなやり方を守るという意識もなく当たり前に実行してきた。
今回は少し事情が違った。最終日、できれば午前中、遅くとも午後2時には終えなくちゃならない事情があった。残るは一番大きな1反2畝の田んぼ、男は僕1人、女は神さんとお隣さんだけ、この年寄り3人組で1枚を半日でやりきるのはとても無理だ。かといって翌日に延ばすわけにも行かない、これまた理由あり。となったら、前日に半分でも刈り倒しておくしかない。できれば、杭立ててそこに数を合わせて積めればもっと確実だ。幸い前日は強力な助っ人も入ってくれたこともあって、その日予定の田はお任せして、一気に大きな田の刈り倒しを行った。
刈ったまま置いておけば、当然夜露をしたたかに浴びる。置いた地面からの水分も上がって来そうだ。何より、こういうやりかけ、ほったらかし仕事は見苦しい。農家は常に見栄え良く仕事をする。世間様に怠け者と見なされたくないからだ。この世間体を気にする意識がいつしか美意識となり、農村の美しさを保ってきた。だが、反面、過度の自己抑制にも繋がってきたわけで、もうそろそろ、自由で合理的な働き方を選択しても良いだろう。て言うより、今回そうせざるを得ない。
結果は上々!翌日が朝から晴天と恵まれたこともあって、刈って束ねておいた稲が濡れるってことも少なく、作業はスムーズに進行し、予定時間も大幅に短縮して午前中にすべて稲刈りを終えることができた。守れるものならしきたりは守った方がいい。好き好んでぶちこわそうとするほどの元気もない。だが、雁字搦めになって苦労するのはお断りだ。年寄りには年寄りの働き方がある。分をわきまえつつ無理のないしきたりを作っていけばいいんだ。周囲の意識も緩やかになってはいることだし。
さて、残るはまだまだ青いモチ米の田だけ。満月モチって中手の品種を、あろうことか水口近くの2枚に植えているので、あと1週間は置きたい。幸い、ここまで持った応急手当のバインダーも最後の最後に悲鳴を上げて壊れたことだし、まずは、前半戦、いや最後のイニングを残すのみってことで、とりあえず、さなぶりだ。目出度し、目出度し!