ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

山形新聞日曜随想8月

2015-09-02 07:09:26 | 暮らし

今日から米沢市芸術文化協会ステージフェスティバルのリハーサルが始まる。いよいよ、5日の本番に向けて秒読みだ。連日朝から夜までの真剣勝負、ブログを各暇があるかどうか?早速今日は無理無理無理!ってことで、苦しい時の山新頼み、日曜随想8月掲載分でお茶を濁そう。ごめんなさい。

 根っからのパン好きだ。好きが高じてパン職人になった。もう40年も前の話しだが、東京で5年間、見習いから始めて窯番、成形、仕込み、最後はスーパーマーケット内の小さなインストアベーカリー(売り場兼工場)を任されるまでになった。いずれは自家製パンが売りのレストランも悪くない、なんて夢抱いたりもしたが、パン屋修行の合間に通ったパン学校の講義が面白く、結局は大学農学部に進んで微生物と食品加工を学び、山形県の農業高校の教師になった。すべてはパンが取り持つ人生模様だ。

 みんなパンが大好きだ。食品加工の実習ではパン製造は生徒たちの一番人気、バターロール、菓子パン、デニッシュパンと、超高校レベルのパンまで作ったがどれもこれもあっという間に売り切れた。学園祭で生徒と一緒にやった置農パン屋は大人気、加工室前には焼き上がる前から長い行列ができ、販売と同時にお客さんが殺到、奪い合いの口喧嘩にまで発展するほどの人気だった。

 実習で使うのは北海道産の小麦粉。そりゃアメリカ産の方が安いし、よく膨らんで作りやすい。でも、頑張れ日本農業!が旗印の農業高校で使うわけにゃいかんじゃないか。米消費じり貧のご時世に、パン作りなんか教えてどうすんの?なんて、ちょっぴり後ろめたい気持ちもなくはなかった。これ以上パン好き多くなったら、米作りますますヤバイよ。とは言っても、やっぱりパンは魅力だし、大切な食品でもあるわけで、教えないわけにはいかない。ジレンマ抱えつつも、国産小麦粉使用でなんとかバランスをとった製パン実習だった。

 職を退き米作りに本腰を入れてみれば、もはやパンを作る大義名分は失われた。貯蔵庫に山積みになった米を無視してパンに横恋慕でもあるまい。パン食べたい!欲望をぐっと堪える日々が続いた。米粉パンなら、と考えてみたこともあったが、外国小麦のグルテン使うのも業腹なら、自家産米の製粉手数料が馬鹿高いことにも行く手を阻まれて、この計画はおじゃん。まっ、食うものあるんだ、感謝しなくちゃ、と思いなして諦めかけていたら、難問一挙解決の素晴らしい方法が見つかった!

 ごはんパンだ。炊いたごはんを小麦粉に混ぜてこね、発酵させて焼く。米100%でないのがちょっと残念だが、国内産小麦粉と混ぜて焼けば、パンを食べつつ米の消費にもつながる。いやいや、食べ物は頭で食うもんじゃないぞ。味だ、問題は。これがなんと、思いがけずの美味しさなのだ。ふっくらもっちりとして、パンとケーキの間のような食感に、米と小麦の薫りが一つになって香ばしいことこの上ない。一気に虜になってしまった。毎週のように、生地をこね様々なパンを焼いては楽しんでいる。食パンはもちろん、菓子パンやブリオッシュ、デニッシュペストリーにも挑戦し手作りレパートリーはますます広がっている。もち米を加えるとさらにふっくらすることなど、コツのコツも掌中に収め、ユニット棚を利用した発酵室まで作り上げるという熱の入れようだ。今では、知人に頼まれて焼いたり、講習会を開いたりと、微力ながらごはんパンの知名度アップを画策している。

8月3日には、南陽市の子どもたちと菓子パンを作った。米沢平野土地改良区が主催する「水とくらしの歴史発見」という、農業水利を子どもたちに知ってもらうプログラムの一環だ。自分たちでこね上げた生地がぐいぐいと膨らみ、いろんな形に焼き上がる。自分の手でパンが焼けた!という感動に、ごはんもパンになるんだぁ!という新しい発見が加わる。大切なお米、ごはんはパンになっても美味しいよ!子どもたちの輝く笑顔。ごはんパン、大きな可能性を秘め、瑞穂の国の新しい魅力、誕生だ!

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