わかっちゃいたんだ、セリフ突っかかるって、動きに戸惑うって。シニアはなぁ、一筋縄にゃ行かんのだよ。覚えたことが出てこない。その日の調子で、反応が鈍くなる。わからなくなりゃ途方にくれる。お互い固まったまま緊急停止!あ~あ!まっ、通せたことは通せたけどね。
プロローグとエピローグはヤバイって思ってた。どうしても人数そろわず稽古の回数も少なかったから仕方ない。と、納得してはいるものの、婆さんたちが大人数でがやがやわいわい大騒ぎするシーン、こういうごちゃっと混乱した状況って苦手なんだなぁ、年寄りたちは。静かに相手とやり取りしている分には、巧みにセリフを操る役者たちも全員が動きつつランダムに叫ぶとなると、もう、頭がこんがらがってしまうみたいだ。
若い連中なら、頭と体って連動していて、動きながらしゃべったり、議論したり、叫んだりも苦にならない。が、年寄りは、認知様式が違うようなんだ。頭の一隅にきっかり整理してしまい込まないと覚えられない。身の回りだって同じこと、若い奴らはごみ溜めみたいな部屋だって目指すものはすぐに見つかるけど、歳よりは箪笥の引き出しにきちんと整理整頓しておかないことには、どこに何を置いたかわからなくなる。これと同じことだ。動きの認知と言葉の認識とが脳の別の領域にあって、その間の伝達神経が歳とともに減少してくってことなんだろう。体で覚えるってことも苦手だなぁ。だからダンスだって頭で踊る。だからリズムに乗れていない。これは運動認知域の柔軟性の有無ってことかな。
それと経験ってのは大きい。以前から踊ってたとか芝居やってた、となると自然と身についている部分はかなり大きいから、記憶力の減退や運動能力の低下も、経験知でカバーできる。しかし、菜の花プラザシニア団のシニアたちは、シニアになって初めて飛び込んだ演劇世界、蓄積ってものがとても少ない。となると、一から十まで頭で覚えるしかない。乏しい脳記憶細胞を総動員してだ。これはやっぱり大仕事なんだと思う。
なんて、評論家ぶって解説しててどうする。何としても仕上げにゃならない。もうこうなれば繰り返ししかない。嫌ってほど繰り返し、やり直して体と脳に叩き込むしかない。シーン全体の雰囲気を感じ取ってもらうしかない。
幸い、主役に絡まる部分は順調に来ているから、後は、最初と最後、それと歌と踊りだ。最後の追い込み5日間の連続稽古、ぎたぎたと追い込んでいくしかないだろう。