よしっ、降って来た!そのまま、そのまま、そのまま降り続けるんだ!
畑はからからで野菜たち、ぐでーっと熱射病状態、植え替えたばかりのセロリの苗も瀕死の有様。田んぼも水がちょろちょろとしか来なくなった。どうか、どうか、お願いだから雨よ、降り続いてくれ。
田畑ばかりじゃない。こっちの心と体も農作業の雨天順延を心から願っている。炎天下の作業がもう何日続いたことか。いい加減にしてくれよ、頼むから休ませてくれ!体がもたん!って、勝手に休めばいいじゃん?それ正しい。なんも給料もらって畑仕事してるわけじゃないんだから、疲れたら休め、嫌なら寝てろ、それ真っ当な言い分だ。でも、それ間違ってる。農業てもんの実態を知らない戯言だ。
甘かないんだ、農業は。一日手を抜けば、雑草たちは倍に生がる。青虫はこれ幸いとキャベツの葉を食い進む。ぎりぎり精一杯のせめぎあいなんだ。ひとたび優位に立てば、嵩にかかって押し寄せてくる。劣勢の中での逆転劇には、がむしゃらな努力が必要になるんだ。草いきれの中、四つん這いで草を取るとか。
だが、もっと大きいのは、心の問題だ。強迫観念って言ってもいい。晴れたら田畑に出る!心のスイッチがそのようにセットされてるんだ。他の選択肢なんか準備されていない。雨でもないのに、家になんかいたら、無賃乗車でもしてるようで居たたまれない。
雨が降れば、諦めがつく。というより、よし、休んでよい、とお許しが下る。しばらくぶりの休養にくつろぐことができる。だから、雨よ、降り続いてくれ!
ってこんなに雨乞いしてるのに、上がっちゃったよ。もう!田んぼの除草、行くしかないか。不足気味の水を引っ張るために、水路拡張作業も必要だ。大豆畑周囲の草刈りだって。・・・・
晴耕雨読、悠々自適、そんなのどこの話しだよ!