読後、しばし、愕然!後、がっくり!
やるもんだなぁ!見事だなぁ!すごい執念だ。小説書き切るってことはこういうことなんだ。
今まさに、喫緊の課題!!て問題に正面切ってぶち当たってるもの。官僚たちの忖度だろ、権力のメディア支配と迎合だろ、反対者の抑圧だろ、どれもこれも放ってはおけない重大問題、きっちりと書き切っている。
官僚の忖度も公安検察の実態、ほらほら思い当たるだろ、伊藤詩織さんの件。準強姦で逮捕状が出ていた山口敬之、執行直前に警察上部の一言で取り止め、その後検察審議会も不起訴にした、あれだよ。他にも一連の安部案件、モリカケ、桜騒動での検察の動きのなさ、資料隠蔽したり嘘ついた官僚の論功行賞。
メディア支配についちゃ、報道ステーションへの介入とか、NHKへの口出しなんかの抑圧の鞭と、報道キャップや記者たちとの食事会なんかの懐柔など硬軟織り交ぜて激しさ増している。反対者弾圧で言えば、元文部事務次官の前川さんつぶし!徹底して傷を探し、極端にフレームアップして追放したのなんか記憶に新しい。ここらは、政治の門外漢の俺でさえ知ってる事実だから、裏じゃもっともっとどぎつい謀略が行われていることだろう。
『天上の葦』じゃ、ニュースショーのアンカーつぶしとして描かれている。ひょんな取っ掛かりから事件の真相に迫ることになった私立探偵二人、策謀を察知したがゆえに組織から追われる公安刑事、その追跡を命じられつつもいつしか、公安およびマスメディアトップの陰謀に歯向かうことになるはぐれ者刑事、これら4人が徹底した追跡を搔い潜りつつ、ついには、忖度とメディア支配の構造を暴き切るという物語だ。って、おいおい、ネタバレじゃんか。
なんせ、上下2巻、通して1000ページを超える大作だから、筋立てだけのはずがない。前半の妙味は、失踪した公安刑事の足取りを追う推理とサスペンス。錯綜する関係者の中を戸惑いつつ手探りし、詐欺師まがいの手練手管で真実の末端に食い込む三人。ついには、公安警察から追われる身になるも、追いつ追われつ、彼らがたどり着いたのは瀬戸内海の小さな島。ほぼ年寄りばかりのこの島、うむっ!?これ、横溝正史の世界じゃん。牢屋とか水神様の社と宝物とか出て来るし。因習と余所者排除の島民たちの不気味さ、と、かなりの部分を占める島での展開が大いにスリリングだ。そして、物語のもう一つの核が明らかにされる。
ついに発見され、あわやのところで逃れた男たちが、ついたどり着いた真相を世間に公表し、黒幕たちを追い詰めて行く、その過程も、ラジオパーソナリティやらユーチューブやらネットニュースやら週刊誌やら、今時のメディアを巧みに使って権力と渡り合って行く。ここなんか、そういった世界に疎い者としちゃ目を見張る面白さだった。ラスト、お定まりの拷問に耐えつつの大逆転!なんてのもあって、スカッと心地よく読み終えることができた。
それにしても、伏線の多彩さ!そこら中に散らばったヒントを回収する巧みさ!随所に見られる仕掛けや工夫!よくぞ、破綻なくまとめてくれたことか!作家の力量とともに、とことん考え抜く知的体力の強靭さに圧倒された。
全体を引っ張るもう一つの鍵は、冒頭、渋谷のスクランブル交差点で天を指さして死ぬ老人の謎だ。ショッキングだねぇ!その不可解な行動は何を意味しているのか?戦時下、若かりし老人がたどった数奇な運命とそこに絡まるもう一人白狐の存在がさらに謎を呼ぶ。このいわばサブストーリーの謎解きが実は重大なテーマを支える骨格となっているのだ。
二人の老人の過去、そこには、以降の人生を覆い尽くす悔恨があった。一人は、海軍の報道管制官として、真実を隠し偽の戦況報告で国民を煽ったという過去が。もう一人には、新聞記者として、目前に迫った都市大空襲を知りつつも子どもたちを疎開させられなかった屈託が。特に、この戦争末期の空襲と児童疎開に関する政府や軍、そして、それに迎合した新聞各社の報道については、とことん書き込まれている。あたかも、ここが作者の一番の書きたかったことでもあるように。その資料の当たり方、その提示はほとんど論文と言ってもいいほどの徹底ぶりだ。この執念とも言える描写に打たれたのが、読後、がっくりの理由だ。ここまでの執着を持ち続けて台本を書いていたか?
ただ、グイグイと引きずり回されたこの読書体験の中で、唯一、気分が停滞したのが、この、児童疎開問題だった。はっきり言って、子どもたちを空襲から救えなかったことが、一生の傷として残るものか?よほど鋭敏な感性と、強い責任感の持ち主でなければ、あり得ない話しじゃないのか。一生を捧げるほどの悔い、隠しおおせねばならぬ疚しさ、もっともっと凄まじい汚辱を予想していただけに、肩透かしを食らった感が強かった。
だってな、あの、人の命など駒一つにさえ扱われなかった時代、必死で子どもたちに寄り添おうとした記者ゃ将校って、称賛ものじゃないか。仮に、後悔はあったとしてもひた隠す汚点ではないだろう。自分が手を下した罪ではないのだから。もっともっといい加減に無責任に生き延びた人間たちはたくさんいた。インパール作戦など兵士を見殺しにした指導軍人たちとか、敗戦を機にコロリと主張を変えた記者たちとか、植民地経営から戦後処理へと楽々転身した幾多の官僚、財界人とか・・・・
そんないい加減さ、無責任さが、あの滅茶苦茶な戦争を引き起こしたっ言いたかったのだろう。でもなぁ、この二人のようなスーパーマンみたいな人間引っ張ってこられてもなぁ。って引いてしまったわけなのだ。
凄い、素晴らしい、と、大いに楽しませてもらったものの、心に迫って来るものは、も一つ足りなかった。その原因は、この過去の傷を清算しようとした老人たちのリアリティの無さだったがするんだが。