自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

日本の神話と精神文化と癒しの心

2015年07月25日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

天照神が天の岩戸に隠れた真相 ~前  2015・7・25

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これまでのブログの流れから少しはずれる今日の話題。

千島学説から 恐れが腰痛の原因であるという新しい説を

発表して話題になっているその二つの間にある 

生体論の共有性から話題を変えて 秀真伝えのお話しを

少しさせていただきたい。

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 "秀真伝え"は 姑(はは)、須田麻紗子が 生涯の研究として

取組み,近年 ”完訳超古代史 秀真伝(ほつまつたえ)”として 

原文、対訳、現代仮名、漢字振り当て、大訳などの完訳を試みて、

出版した。


自然治癒力セラピー協会でも 有志が集い、秀真伝えの輪読会

を行っている。

なぜ、ここで 秀真伝え?とピンとこない読者もおられよう。

"秀真伝え"と自然治癒力の関連性といえば、 古代の同書を編纂

した血統をひく、スクナヒコの尊 (奈良大三輪神社に祀られている) 

が日本で最古の医術者 として 秀真伝えに登場して来る。


姑(はは)は 指圧学校で東洋医療を学びながら,秀真伝えの

研究を重ねていくうち,不思議な能力が開発され、新しい 療養術、

(後年 神気法と名付けた) を取得した

その際、霊能力者が施術する母の後ろに 医療箱を片手にもって

立っている十二単の姫君の姿を 霊眼で感知している。

 

姑(はは)は ”秀真伝えの中に流れる波動こそ、人の順気に

呼応して、魂と気、身体を浄化させる要素でもある”と実感して

いると、語った。

 

自然治癒力の一環として こういうわけで 私自身も、秀真伝え

に流れる言霊の波動と その内容そのものの深さを感じている。

たとえば、

輪読会当日、体調を崩し、数日寝込んでいた参加者も 一時間以上の

道のりをかけて、参加してくださる。

その理由は 秀真伝えを2時間 輪読しているだけで、体が軽くなり、

調子悪い症状も改善されていくということを何回か体験している

からだ。


皆さん活き活きとした面持ちとエネルギーで白熱した議論?を

重ねながら、超古代の神代に戻るこのひと時に、自分の心の中の

深奥に眠る原点にも、むすびついていくような安らかさと

心地良さを感じているのだろう。

 

さて、神話はどこの国でもその国の精神的遺産であると

考えている。

”秀真伝え”は ”古事記”と異なり、単なる神話ではなく、その

大元となる日本立国の超古代史であると編者の姑(はは)は

言う。

そう、捉えられる人には、秀真伝えから 深い日本人の魂の

ルーツを探ることができる。

 

今日は、古事記でも特に、有名な天の岩戸のお話しを、

取り上げてみたい。

”天照大神” が、天成神道 と呼ばれる 和の心 と日本人の

モラル観を 超古代において、民のために、そして、国を

司る神々のために、すでに創られていたというお話しでもある。


私たちが日本人固有の美的、道徳的、価値観が どのように

形作られてきたかも同時に知りうる。

そうした道徳観や価値観は、歴史的根底として存在してきたと

いう実感を持てる。

 

和の精神、赦しと寛容、正義、律儀、実直、正直 勤勉など、

他国と比べ 抜きん出ている日本人の特性は、超古代史の中で

どのように描かれているのだろうか?

 

さて、天照大神は女性神ではなく、男性神であったことは

すでに、過去のブログ記事でお伝えした。

秀真伝えでは 天照大神の弟君にあたるのがスサノオの尊

となる。 

古事記ではスサノオの尊の暴挙に対し、天の岩戸にお隠れに

なったことになっているが、”秀真伝え”第8紋(あや)でも

スサノオの尊の荒々しさは 以下のように形容している。

 

“其の後に素戔鳴尊の仕業(しわざ)は味気(あぢき)なく、

天神地祗の御供田の苗代に草の種を振り蒔(ま)き、

畔(あぜ)をこわすなり。


故に稲の実乘らず、また御(み)稲(そろ)の新嘗(にいなめ)

の神御衣を織る齋(いん)服(は)殿(との)に汚物を

投(な)げ入れ殿(との)を汚すなり。


天日尊は勅宣りを以って糺(ただ)されぬ。素戔鳴尊の

責(せめ)一人(ひとり)に帰し身の置き処なし。故に剣を

提(さ)げて殿(との)に昇(のぼ)り佇(たた)ずむ時、

各齋服殿の戸閉ぢぬ。


素戔鳴尊は怒(いか)りて斑駒を逆(さか)剝(は)ぎにして、

殿の甍を穿(うが)ちて投げ入(い)るる。 “ 

 

その諸行の猛々しく荒々しい様が具体的に述べられている

行(くだり)だが、“その後に”という言葉は何を指しているかと

いうと・・・・。


’その後’とは、”わけありの事件”が多々あり、特に、天照大神の 

妃(きさき)になった姉妹、“持子典侍妃と早子内侍妃” と

スサノオの尊の関係をほのめかしているという。

特に、そのうちの一人の妃と密通を犯してしまうスサノオノミコト。 


天照大神の正室(中宮)は、その怪しい気配に感づき、

二人の局(つぼね)をスサノオの尊から離した。

その下りが以下である:

“両妃は内宮より北の局に帰りて共に歎き居るなり。

素戔鳴尊はこれを聴き、生来短慮にして堪忍(かんにん)

のならぬ性格故、向(むか)津(つ)姫(ひめ)に対する

怒りに耐えかねるなり。”

 

それを聞いたスサノオの尊は 短気さ余って、中宮の向津姫に 

怒りを抑えきれなくなった。

短剣をかくして 密通相手、早子姫の部屋に隠れて、暗殺を企てる。 


しかし、早子姫に “出世を願うのなら今は辛抱を” 

と諭される。

その時現場の前を、中宮の妹、

“稚(わか)桜(ざくら)姫(ひめ)花子(はなこ)内侍妃”が 

通りかかり 二人の話を聞いてしまうのである。 


姉、中宮に伝えた稚桜姫だが、中宮は 夫、天照大神には

このことを秘めておく。

そこで、早子持子両妃を呼び出し、“筑紫国の宇佐に流罪”と

いう詔(みことのり)をだし、二人を九州現在の福岡県

に送った。


現在でも”宗像(むなかた)三女神”の祭りがこの地に

残っていると聞くが、この三女神こそ、早子が流刑になった

とき、連れて行った、三人の娘姫子たち、

“竹子・湍子(たきこ)・田奈子の三姫”である。

 

その後、竹子は 琵琶湖のちくぶ島神社のご祭神 

弁天様としてあがめられる。


湍子は 江の島の弁天様として、田奈子は厳島神社の

ご祭神となった。 


それぞれ 水場に祀られた、

なぜなら 母親は実は大蛇の魂を持っていたからだと

言われる。 

なぜ、大蛇に化身したのか?

秀真伝えには、筑紫の国に流された早子と持子は 

姫たちの待遇より自分たちの待遇が悪いのを恨み、

怒りが爆発して、”大蛇”に変身したとある。

 

“筑紫の国神赤(あか)椎(つちの)命(みこと)は姉妹(えと)の

二妃と三姫子を受け取りぬ。

宇佐(うさ)の古(ふる)宮(みや)を造(つく)り改(か)えて、

三姫子を置き、二妃は疜(あち)局(つぼね)に置くなり。


二妃は怒りて三姫子を養育せぬ故、赤椎命は此の由を

中宮に告ぐなり。

よって中宮より北の局の豊姫に「筑紫に降りて三姫子を

養育すべし」との詔(みこと)が下る。


二妃は怒りて遂に大蛇(おろち)に変化し、簸川(ひかわ)

に到りて世に蟠(わだかま)るなり”

 

 大蛇に変身した早子はその後、八又の大蛇と言われる、

”やまたのおろち” になる。

一方、持子は 九頭竜(くずりゅう) となる。 


箱根や戸隠神社に九頭竜神社があるが、この謂れ(いわれ)

は、この事件[筑紫流罪]に 少なからず、関連しているの
である。

 

こうして大蛇と変身してしまう、天照大神の側室たちと

関係を持ったスサノオの尊だが、姉妹達が、 中宮 

(天照大神の正室) セオリツ姫(向津姫)によって、

筑紫に流された後も、その荒々しい諸行は留まらず、

暴挙をとどめる手段はなく、ついに、天照大神は岩屋に

お隠れになってしまう。

 

続く~

 

 

コメント (4)
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